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(2012.04.03読了)(2012.03.22借入)
「坂の上の雲」の第3巻まで読んだのですが、日清戦争がよく分からないので、立ち往生しています。「日清・日露戦争」原田敬一著、岩波新書、を読んでみてもよく分かりません。
この本でなんとなくわかってきました。ロシアがシベリア鉄道を完成させる前に日本としては、朝鮮半島を確保しておきたいということで、無理やり、戦争を始めた、ということのようです。
朝鮮は、清に保護を求めたので、清と戦うことによって、朝鮮を確保しておこうとした。陸戦では、中国方の将軍が弱気だったので、勝利を収めることができ、海戦でも何とか勝つことができたけれども、中国側の主力戦艦を沈めてしまえるほどの火砲はもっていなかった。清に対する優位性を確保するために尚も戦闘を続行しながら、和平会議に臨み、下関条約を結んだ。
その後、ロシア、ドイツ、フランスからの三国干渉のため、朝鮮や中国の遼東半島に対する利権は確保できなかった。(イギリスは、ロシアの呼びかけには応じなかった。)
この本でもっぱら出てくる人物は、伊藤博文(1841年10月16日~1909年10月26日)と陸奥宗光(1844年8月20日~1897年8月24日)です。この二人で日清戦争を戦った感じです。
1894.08.01 日清両国、宣戦布告
1894.09.15 日本軍、平壌総攻撃
1894.09.17 黄海海戦、日本艦隊勝利
1894.11.21 日本軍、旅順口占領(旅順虐殺事件発生)
1895.02.02 日本軍、威海衛占領
1895.02.12 清国北洋艦隊降伏
1895.03.30 日清休戦条約調印
1895.04.17 日清講和条約調印
1895.04.23 露独仏三国、対日干渉
【目次】
序文
1 序章・日本軍国主義と東アジア
2 日清開戦をめぐる東アジアの情勢
3 陸奥外交
4 戦争の経過と対朝鮮政策の展開
5 清国領土への侵入
6 下関条約と三国干渉
7 台湾占領と戦後経営
8 むすび・日清戦争の歴史的意義
日清戦争略年表
●繊維工業の労働条件、1894年(25頁)
拘束時間が非常に長い。
織物工場で12時間から16時間、製糸工場で11時間から最長17時間、旧式の紡績工場で15時間から17時間に及んでいる。必要睡眠時間に食いこむ長さであり、これらの工場では就業開始時間は午前4時となっているところが多い。
●低米価(29頁)
政府は低賃金を維持するために低米価を必要とした。
低米価を維持するために、安価な外産米の輸入は、政府の重要な課題であり、朝鮮の支配と占領は、外米の安定的な供給のためにも、また過剰人口を植民の名で棄民するためにも、政府にとって不可欠であった。
●豊島沖海戦(98頁)
東郷艦長はイギリス商船が清国軍隊によって不法占拠されたものと認め、停止命令を発した4時間後の午後0時40分に砲撃を開始、撃沈した。浪速は救命艇をおろして欧州人高級船員のみを救助して、船長、一等運転士、舵手を収容した。
●民衆の無関心(108頁)
民衆の多くは、開戦動機のわかりにくいこともあって戦争そのものに対して無関心であった。ジャーナリスト生方敏郎は「政府の事情も何も知らぬ地方民は、どうしてこの戦争が起こったかは容易に腑に落ちなかったであろう」と指摘し���いる。
●講和条件案(121頁)
(一)清国は朝鮮の独立を認め、かつ朝鮮の内政に干渉しない永久の担保として、旅順口及び大連湾を日本に割与すること。
(二)清国は日本に軍費を償還すること。
(三)清国は欧州各国と締結した条約の基礎に立って日本と条約を締結すること。
●旅順虐殺事件(132頁)
『ニューヨーク・ワールド』は旅順の日本軍は陥落の翌日から4日間、非戦闘員、婦女子、幼児など約6万人を殺害し、殺戮を免れた清国人は旅順全市でわずか36人にすぎないと報道した。
●李鴻章狙撃事件(159頁)
1895年3月24日、会議場(下関春帆楼)から旅宿に帰る途中李鴻章は自由党系の壮士小山豊太郎にピストルで狙撃され重傷をおった。
●下関講和条約(169頁)
下関講和条約の要旨
(一)朝鮮国の完全無欠な独立自主の国であることを承認する。
(二)遼東半島、台湾、澎湖列島を割譲する。
(三)軍事賠償金庫平銀二億両を支払う。
(四)清国と欧州各国間条約を基礎として日清通商航海条約および陸路交通貿易に関する約定を締結すること。
●三国干渉(172頁)
三国干渉の主導権を取ったものはドイツではなくロシアであった。ロシアは日本の南満州占領を黒竜江省への脅威と見なし、また日本の行動が中国分割の引き金になることを恐れ干渉に向かったのである。
●衛生の軽視(184頁)
日本の兵士の真の敵は悪疫であった。予防体制ができておらず、衛生設備が悪かったので、非常に多くの人が病死した。出征中入院加療を受けたものは延17万人に達し、うち重傷で内地に後送されたものは海外派遣者の約3分の1に当たる6万7600名に達した。入院患者延17万人のうち、戦闘による負傷者は4519名にすぎず、他は赤痢、マラリア、コレラなどの伝染病かあるいは脚気であった。
●陸軍(219頁)
兵站の不完全により平壌戦では弾薬、糧食が欠乏し戦闘の継続さえ危ぶまれた。糧食は現地調達に頼ったため、強制徴発を認めざるをえず住民の不信をかい、抗日運動を強めた。
☆関連図書(既読)
「坂の上の雲(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1978.01.25
「坂の上の雲(二)」司馬遼太郎著、文春文庫、1978.01.25
「坂の上の雲(三)」司馬遼太郎著、文春文庫、1978.02.25
「条約改正」井上清著、岩波新書、1955.05.20
「日清・日露戦争」原田敬一著、岩波新書、2007.02.20
「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子著、朝日出版社、2009.07.30
(2012年4月3日・記)