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狼に育てられた野生児の実録。人が人に育てられることで得る感情の豊かさ。虐待が盛んな世の中で、今一度、人間が人として成長するために必要なものを考えてみよう。
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狼は、なぜ人の子を育てたのか?不思議、不思議、不思議・・・・・。カマラとアマラは狼か人間なのか?そして本人にとってどちらが幸せだったのか?発見されなかった狼に育てられた子も、いるのではないか?・・・興味は尽きず。
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1977初版。1920年インドのミドナプールの山奥で発見された野生児アマラとカマラ。アマラは推定1歳半。カマラは8歳。乳幼児期から8年間も狼生活を送った為、人間の生活に適応していくことに多大な困難と時間を要し、最後まで2本足で走ることができなかった。人は後天的影響大である。
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名前だけは知っていた、カマラとアマラの観察記録をはじめて読了。「本当に狼に育てられていたのか」については論議を呼ぶところだけど、そんなのどうでもいいとおもってしまった。カマラがこんなにも可愛らしく思えるように変化するとは…、まだまだ沢山言葉だって喋れるようになっただろうに、病に倒れたことが本当に残念でたまらない。
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シング牧師夫妻と教会の子供たちがアマラに、そしてカマラに懸命に接している様子が観察日記のように綴られた一冊。でも、読み終わったあとにはあたたかい気持ちになって、何か大事なものがもらえた気がする。生死の際はみんなひとりかもしれないけれど、生活は誰かと一緒でないとおそろしくさみしいなあと思いました。
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かなり昔の記事。1920(大正2年)の出来事。
これが宣誓され事実であるならばスゴイ。
今、やろうと思っても出来る事じゃないからね(人道的、道徳的に無理)。
捕獲時推定8歳(アマラ)と1歳半(カマラ)。
日記のように詳細に書かれている。
賛否両論はアリ、当時はかなり話題になったであろう事は推測出来る。
コレを信じて言うならば、
『人は人を手本として生きている』という事実。
養育していた シング牧師一家 はとても慈悲深く、彼女らを手助けしている。
カマラは順応性が高かったが1921年に永眠。短い一生を終える。
アラマは年齢がそれ相応に高かったし、体格、肉付きも変形していたため順応性はかなり遅かったようだ。
だが。
一度ついた『文化の灯』は成長と共に、非常にゆっくりだが体格等と共に成長をはじめた。
1929年、彼女は直立する事も、歩く事、話す言葉の意味も理解を示したまま永眠。
服を嫌がった彼女が徐々に少女になっていく様をまざまざと見せつけられる。
人は人ナシでは人になれない と痛切に思った。
写真も紹介されているが、復元でカラーにする事は難しいのだろうか?
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狼に育てられた子を引き取り育てた実録。
人は人に育てられてこそ人になる。
親、教育の大切さを感じさせられる。
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小学校時代に教科書にでてきたことを思い出したので読んでみようかと。現在では内容は信憑性の低いことがわかっているようですが、一つのフィクションの読み物として楽しもうかと。2013/04/27読み始めました。この書を読んでみて次のことを思いました。人間という生き物は模倣の”ゴールデンタイム”に人間的なことを習得しないとそれを過ぎてから極めて習得が困難になるということだろうか。また人間はどんな人でも一歳ぐらいまでには二足歩行ができるようになるのを当たり前のことと思うが、これはものすごいことなんだなということを改めて思った。二足歩行ができる、それだけでとんでもない身体能力人間という生き物は習得しているのだなあと。そして、心に一番ぐさりときたのは「一度しっかり身についた習慣を変えることはとても困難だということ」です。これは大人になった今、身にしみて実感しています。
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、あくまでも狼っ子たちは人間的性質を忘れてはおらず、カマラに関しては11歳という普通で考えるともう成長がある程度止まる年齢にありながら、狼から4、5歳の人間に成長したことに驚いた。また、模倣をすることで人間らしさを手に入れ、喃語をしゃべるほか、赤ん坊のように、なにかに愛着を持つこともできることが、人間の一歩なのだとわかった。