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喪われて二度と戻らぬものだからこそだろうか、故郷喪失者(ハイマートロス)が故郷を回顧する視線や、年老いた者が子どもの頃を回想する文章には、ある種の物狂おしい熱情が感じられるものだ。
ナボコフは、帝政ロシアの上流貴族の長男として生まれ、幼少時をペテルブルグにある自宅と、そこから50マイル程離れた父の領地にある別荘で過ごす。父はリベラルな人で領民にも慕われていた。入れ替わり立ち替わり現れる家庭教師(ナボコフは、なかなか手の焼ける子どもだったらしい)のもとで、教育を受け、美しく優しい母親に愛されて何不自由なく育つ。
ネヴァ河の流れるペテルブルグは、運河が網の目のように広がり、北のベネティアと呼ばれる美しい街だ。また、ペテルブルグ近郊の田舎は樺の木や樅の林の続く美しい自然に恵まれている。短い滞在だったが、その光景は今でも評者の目に焼きついている。そんな中で、お気に入りの蝶を採集したり、詩を書いたりしていた少年が、革命によって故国を追われてしまうのだ。故郷と幼少年時代を懐旧するナボコフの筆が必要以上に熱を帯びるのも仕方がない。
スターリンはともかく、レーニンやボルシェビキに対するナボコフの呵責のない攻撃は、マルクス・レーニン主義の政治的実験が潰えてしまった今だからこそ、当たり前のように読めるものの、ナボコフがアメリカに亡命した時何かと骨を折ってくれたエドマンド・ウィルソン(『フィンランド駅へ』という革命家群像を書いた)のように、レーニン贔屓にとっては、ずいぶんと反動的な物言いのように思われたのではないだろうか。
「自伝」と訳されているが、もともとは、ニューヨーカーその他の雑誌に掲載された文章を集め、『記憶よ、語れ』という題名を新たに附されて出版されたものである。いくつかの挿話は、そのまま短編集の中の一篇に使われている。避暑地で会った女の子の犬の名前が、打ち寄せる波の光景とともに記憶に立ち戻ってくる印象を描いた「初恋」の一文などは、若島正氏が、その著書『英米短篇講義』の中で、「ナボコフが書き得た最も美しい文章の一つ」とさえ書いているほどだ。
その他にも、おそらく『賜物』の中で出会ったのではないだろうか、長男に甘い母親が、プレゼント用に文房具店の巨大な広告用鉛筆を馬車で買いに行く光景を、家にいるナボコフが幻視する場面などにも見覚えがある。ナボコフ自身、すでに小説の中に書いてしまったエピソードには、自分だけのものという思いが失せてしまうという後悔めいた告白をしているので、これ以外にも小説の中に採用している話は数多いのだろう。
記憶を辿り、過去を呼び戻す能力に長けていることは自らも認めているが、それにしてもナボコフの筆になるロシアの夏の暮らしの何と生き生きとして瑞々しいこと。夏休みに読むのに相応しい恰好の読み物かも知れない。上流貴族の子弟と比べるのも畏れ多いが、捕虫網を手にして、めずらしい蝶や蛾を追いかけるナボコフ少年の姿に幼い頃の自分を重ねる読者もいるだろう。ここには、民族や国の違いをこえた、夏の日の少年の姿が活写されている。
一話完結の文章をまとめた物らしく、それぞれの章の終わりに結びの一文が用意されているのだが、余韻をにじませる終わり方に、他の小説作品にはないナボコフの一面を見たような気がする。自己の小説作品にも言及するなど、肩肘張らないナボコフに触れることのできる作品である。蝶の他にも、言葉遊びやチェス・プローブレムというナボコフ偏愛のアイテムを主題にした章もあり、ファンにとっては、たまらない一冊と言えるだろう。