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恋愛話の自伝的小説。自分は性に冷淡としてるけど、マスコミなどの媒体が煽ってるだけで実際普通の人ってこんなもんなのでは?とか思ってしまう私も冷淡なのかしらん。当時の風俗がよくわかる。
それにしても、これ、注釈が少なすぎて読みにくい。
06/9/8くらい
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中編小説。小さい頃からの性欲についてまつわる話しを語る、独白。おもしろく、夢中になって読めた。小さい頃の男色話がおもしろかった。11.9-9.
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明治の性風俗に文豪の筆を通して触れられるということで、お洒落っぽいタイトルにも惹かれて購入。
英独語や古い言い回しが多いが読みやすかった。
フロイトと同時代の作品だが傾向が真逆なので、その辺りを掘り下げてみるのも面白いかもしれない。
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童貞をこじらせた非モテ男の性の回顧録。主人公が童貞をこじらせるのは決して道徳的な抑圧の結果ではなく、自分の容姿が劣っていることを性の目覚めよりも強く自覚したことによる鬱屈した諦めの境地の結果である。そういう意味では決して古びてなんか無く、現代にも十分通用する話なのではないだろうか。オナニーや同性からのレイプ未遂など際どい話もあるが、あくまでも淡々と過去の話が綴られていくのが童貞をこじらせた感じが強く、さらに同じような筆で脱童貞をしたあとの一種の賢者タイム的な悟りも綴られているのは面白い。当時の風俗や文化、上級学校の生活などもふんだんに描かれていてそういう部分でも興味深い。
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vita sexualis――ラテン語で「性欲的生活」の意。明治42年に発表された森鴎外の中編小説である。哲学者の金井湛(しずか)博士が少年時代からの性的体験について語るという体裁をとった小説で、内容が破廉恥だとして掲載誌『昴』は発禁処分を受けた。
…という話を聞いて、どんだけエロい小説なんだとわくわくしながら本書を読み、がっかりした青少年は後を絶たなかったんじゃないだろうか。鴎外先生も罪な人だ。
実際のところ、多くの青少年が期待するような濡れ場は殆ど書かれていない。芸者通いをしたことが最後の方に少し書いてあるくらいで、それも肝心の場面はぼかして書かれているのである。これなら江戸時代の枕草紙の方がよほど刺激的だっただろうに。明治政府の基準、よくわからん。
むしろ興味深いのは、金井君が10代のころ通った語学学校の話だ。明治時代だから当然男子校で、寄宿舎では全国から集まった秀才達が寝食を共にしている。生徒は軟派と硬派に大別される。軟派は女子が好きな者、硬派は男子が好きな者で、今で言うノンケとゲイである。圧倒的多数は軟派だが、学内で威張っているのは硬派の方だ。そして硬派の中核をしめるのは九州人である。
金井君は若いから硬派に狙われる。11歳の時、寄宿舎で先輩に手籠めにされかけた。自力で逃げ出して事なきを得たが、それを父親に話すと、父親は平然と「そういう奴がいる。これからは気を付けろ」と言う。金井君は、それが男子校では避けて通れない厄災なのだと悟り、寄宿舎では短刀を常に持ち歩くようになる。
女性との性描写が極めて淡泊なのに対して、男色にまつわる話は微に入り細に入り、やけにリアルだ。フィクションとはいえ、実体験がなければこうも詳細には書けまい。あるいは明治政府が隠したかったのは、我が国がどうしようもなくホモソーシャルな国だという事実だったかもしれない。ともあれ、明治の青少年の生態を活写したという意味で、本書は貴重な作品であるには違いない。さすがは鴎外先生である。
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性欲に冷淡だと自称する哲学者"金井湛(しずか)"が自己の性生活を告白していく自伝体小説。"人生は性欲のみではない"ということを暗示。
"ただならしているだけで、虎の恐るべき威は衰えていないのである。"が個人的に印象的なフレーズ
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性欲。このよくわからぬもの。
金井君に筆を取らせた疑問に共感して読み始めたが、中身は只々、金井君の場合であった。おそらく、金井君のした作業を自分自身の場合で行ってみない限りはわからないままなのだろう。かと言って、気が進まない。この先もよくわからないもののままであり続けるのだと思う。
p.89のおかあ様の「一種の表情」は、世の中の親がいつか通過する瞬間なのだろう。
「不必要な衝突」という表現は面白かった。