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あらゆる年貢や公事の実態と職人のすがたを示し、民衆=農民の稲作国家イメージを虚像であると論じた。今の社会史のスタンダードだけど、初めて読んだときは新鮮だった。
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[ 内容 ]
弥生時代いらい稲作を中心に生きてきた単一の民族という日本人像は、近世以降の通念にしばられた虚像ではないだろうか。
本書は、中世民衆が負っていた年貢・公事の実態とその意味を問い直し、さらに遍歴する職人集団の活動に光を当てることにより、その虚像をくつがえす。
日本中世の多様な姿とゆたかな可能性が描き出される。
[ 目次 ]
第1部 中世の平民像(平民身分の特徴;さまざまな年貢;年貢の性格 ほか)
第2部 中世の職人像(職人という言葉;職人身分の特徴;遍歴する職人集団 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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網野先生はやはり偉大です。しかし日本人の歴史認識は五十年経っても進歩がないんだなぁ。別のIT関連(?)は凄い進歩しているのに。
昔何があったか興味ない民族。忘れていく民族。今と先の進歩の方が大事な民族。それが日本人なのかも。思えば装飾されているとはいえ、中国人の方がその点両方(進歩も過去も)持っている。
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1980年刊行。著者は神奈川大学短期大学部教授。
本書刊行から30年も経過しており、確かに隔世の感は否めない。1974年に小学館文庫日本の歴史シリーズで鎌倉後期の巻を担当した時は、本書のように明確に中世民衆を論じていたわけではなかったが、徐々に平民・海民・傀儡・聖人等、中世の民衆に関する見解を展開していった。
まさに、本書はその渦中で生まれた書。非常に慎重な言い回しながら、水田稲作を生業としない平民・職人・芸能民について論じていくのが、逆に学会の風当たりの強さを感じ取れそう。
中でも、本書は、中世職能民の移動の自由が確保されていたこと、彼等への公事・年貢の性質、実態を解説する。
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1979年に岩波市民講座でおこなわれた講演をもとにした本です。日本の中世史に社会史的な視点をとりいれた著者の関心の中心であったテーマについて、わかりやすく解説がなされています。
著者は、「百姓」ということばが、中世以前には農民だけでなく平民身分の者を広く意味していることに注意をうながし、「日本人」という民族は稲作を中心とする歴史をあゆんできたという理解をくつがえします。そのうえで、中世の平民たちの負っていたいた年貢・公事にかんする事実を明らかにして、彼らの生活の実態にせまっています。
さらに職人の多彩なすがたについてもとりあげられており、東国と西国の職人のありかたのちがいや、差別とのつながりといった、著者の中世史研究における重要なテーマについての目くばりもなされています。
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前半「平民」の話はほとんど年貢で一貫していたのでてっきり年貢の本なのかと勘違いしたが、後半「職人」の話になって俄かに民俗学的な話が盛り上がってきた。惜しむらくは新書なのでそれ以上深く複雑に細かくは書けないこと。しかし非常に勉強になった。
なお、この本を読んでいて『もののけ姫』がチラチラ頭をよぎったが、宮崎駿は実際この本に発想を得て作中の庶民を描き、後には二人対談も果したらしい。