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紙の本
車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける本書を再び多くの人に読んでほしい
2011/09/12 10:07
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
セピア色やモノクロの車いすが、折りたたまれたり、倒れたり、風呂敷に包まれて見えなくなったり、画面いっぱいに大きくなったり…、絵本の表紙から裏表紙まで描かれているのは車いすだけ。描いたのは、友人として長年著者である吉村敬子さんの車いすを押し続けた画家松下香住さん。各ページには著者の思いが関西弁で一文ずつ添えられている。「わたし でかけるのん いややねん」に始まり、「そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーか」で終わる。
なぜ、人は車いすに乗っている自分をじろじろ見るのだろう?
なぜ、障害を抱えた自分が強くならなくてはならないのだろう?
違うのは車いすを使わなくてはならないということだけなのに…。
著者が幼いころから感じてきたであろう心の叫びが痛いほど胸に響く。手足に障がいを抱え、車いすで生活を続けている著者が感じている理不尽な思いや悔しい気持ちを無言の車いすが代弁している。
1980年に出版されて話題になった本書を30年経た今、図書館で借りた。日本の社会は、未だに障がい児・者にとって多くの問題を抱えている。著者の思いは悲しいかな、今も変わらないだろう。図書館で借りた絵本に「書庫納」というシールが貼られていた。絶版になっていないことだけが救いだ。本書の出版の一年前の1979年に偕成社から「ハンディを負った子を理解するための本」の一冊として『車いすのレイチェル』が出版されている。レイチェルが生き生きと生活する様子が描かれており、イギリスと日本の社会の在り方の違いが浮き彫りにされていたが、今は絶版で手に入らない。あまりにまっすぐに障がいを語り、描き過ぎていたからだろうか。本書が、今も読み継がれているのとは好対照だ。
「そやけど なんで わたしが 強ならなあかんねんやろーか」
最後の一文ががっつりとと胸に迫る。障がい児・者は、障がいを抱え不自由を感じながら精一杯生きている。そして、さらに追い打ちをかけるように「強くなること」を要社会から求されているのだ。もし、自分が「強くなれ」と社会から要求され続けたら、どのように感じるだろう。障がいを抱えた人に「強くなれ」と要求する社会は間違っている。障がいを抱えて生まれてきても、普通に生きていける社会の実現を願わずにはいられない。車いすを描くという斬新なアイデアで、障がいを抱えた著者の思いを訴え、読者に問題を投げかける本書を再び多くの人に読んでほしい。
紙の本
シンプルなイラストと文章…。なのに心にグサッと突き刺さる。
2004/09/21 02:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:チャミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「わたし でかけるのん いややねん」という言葉から始まるこの絵本。まるで、友達に話しかけるような語りで、少しずつ少しずつ心の中で思っていることをうちあけてくれるような文章だ。そして、この本に描かれているのは車椅子のモノクロのイラストだけ。フレーズごとに、車椅子は表情を変える。折りたたまれていたり、斜めから見たものや、時には布に包まれていたり…。冒頭の言葉に添えられた車椅子のイラストは、折りたたまれた状態。まるで、何かを拒否しているような印象だ。そして、次のページでは「人のようさんいてるとこ きらいや」。ここでは、車椅子は横倒しになっている。そう、車椅子は作者の気持ち。「みんな じろじろ見るから いややねん」という言葉には、布で覆い隠された車椅子。ページをめくるごとに、作者の語りかける言葉が、ズンズンと胸に響き、無機質な車椅子が人間味を帯びてくる。心が空虚な気分を表す時には、車椅子は濃淡のない、ただの細い線で形だけを描いたもので表現されている。
著者、吉村敬子は、1歳2ヶ月のころ、脳性小児麻痺と診断された、障害者だ。手足が不自由な彼女は、外出時には車椅子を使っている。そして、言葉以上の想いを伝えるイラストを描いた画家は、著者の友人であり、彼女の車椅子を押し続けた松下香住だ。単に、著者と画家という組み合わせでは、こんなにも絵と文章が互いに共鳴しあうような作品は産まれなかっただろう。
あとがきで著者吉村敬子は次のように述べている。「(略)そんな私が、外へ出かけるようになり、心の中でいつもくすぶっているものをはっきり書けるようになったのは、15歳の時、この絵本を描いてくれた松下さんと知り合うサークルに入ってからだった。そこで、はじめて差別について考え、自分が障害者であるということを自覚できたからだと思う。(略)何故私たち障害者だけが、声を大にして問題提起をしなければならないのだろうか? すべての人が、なんでもなく、ふつうに、快適なくらしができるような社会になって欲しいと思う」
長い間、著者の車椅子を押し続け、彼女の不安や疑問、葛藤などの心の叫びを共感しつづけた画家だからこそ描けた絵。そして、著者自身の想いを素直な言葉で表現された文章。どんなに、ここで感動した想いを述べても、表現しきれません。まずは、一度、読んでみてください。心に何かが伝わります。
最後の言葉「そやけど なんで わたしが 強くならなあかんねんやろ—か」は私の心に突き刺さり、忘れられないフレーズです。
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