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森田峠・句集「避暑散歩」を読み了える。
まず題名(阿波野青畝・命名)から、違和感を持つ。避暑地の別荘を持っていた訳ではないようだが、避暑地の散歩は、僕には馴染まなかった。僕は農家の次男に生まれ、帰郷して働いたが、避暑の余裕はなかった。(子の幼い頃、家族で海水浴へは何年か行ったけれども)。近隣の在が、農家から兼業農家となる貧しさで、誰も避暑地へ行く考えが浮かばなかっただろう。
1961年、「吟行を専らとする競詠会結成。」とある。時間と金銭の掛かる吟行会を専らとするのは、職業が教師だった余裕だろうか。
句風は、虚子、青畝に学んだ写生を究めようとしたとされ、風物、吟じかたに新しさがある。
後藤比奈夫・句集「初心」を読み了える。
「クリスマスイヴ好きな人ふたりあり」、「リラ似合ふ人雪柳似合ふ人」の、2句が人騒がせである。俳誌主宰者の御曹司の句だから、会員の心を騒がせただろう。後藤夜半の選を通ったとある(全句が)から、主宰者の父が通すべきでなかった。父子の甘え、甘やかしは、公の場では見せるべきでない。
写生の道を進んで、新しさもある。心理陰翳を捉えるに敏い。以後の句業に注目すべきだろう。
現在、100歳を越えて作句している。いわゆる「長生きも芸の内」である。
12番目の句集、桂信子「新緑」を読み了える。
結婚して2年で死別、実家に戻り母と二人暮らし、就職、空襲、転勤、移住などの経験、また第1句集「月光抄」への批判等は、彼女の心を強くしたようだ。
1954年、「女性俳句」を創刊している。
女性が、男性俳人の古強者と伍して行くには、たいていでない苦労があったと思われる。失うものの少ない事が、強味だったろうか。
句集の途中、1973年に、その残る母を失った。やや剛性の句風なのも、致し方ない成り行きだったか。
沢木欣一・句集「沖縄吟遊集」を読み了える。
なぜ「沖縄吟遊集」を、この大系に取り上げたか、わからない。同年「赤富士」、76年「二上挽歌」と、近い内に句集を発行している。
これまでの歳時記に収まらない風物の多い沖縄県に苦吟し、後の世界俳句へつながると見たのだろうか。
スローガン的でなく、漫遊記的でない句作が求められるが、後半ではやや風物に圧倒され、観光吟的になっている。
横山白虹・句集「空港」を読み了える。
なぜ28年もの間の句集を出すのか。僕のように無名ではないのである。横山白虹(よこやま・はくこう、1899年~1983年)は、1973年、現代俳句協会会長になっているのだ。戦中に心恥じる所があったのか。
詩性を求めるのか、まれに比喩が見られ(「秋天にあらゆるビルが爪立ちす」など)、俳歌に(近ごろは詩にも)比喩を嫌う僕には、引っ掛かる。
16番目の句集、小池文子・句集「巴里蕭条」を読み了える。
数少ない帰国を含め、フランス在住、外国旅行の句を成している。在外で季語を守り、鋭くとらえ、具体的な句風である。
モロッコ、カサブランカを訪いて39句、またリビヤにしばらく住み、帰国した際には療養所・病床の石田波郷を訪ね、多くの句を成した。
後書で「言葉は挨拶のために生まれたのではないだろうか。」と述べて、師、連衆、自身の地への挨拶として、句を作り続けた。
18番目の句集、細見綾子・句集「技藝天」を読み了える。
生活実感の籠った句風である。社会性俳句、前衛俳句に傾かなかった。
旧師・青々には、「つらい冬の時代である現在を気長に耐えていればいつか春がやってくる」という教えがあり、彼女もそれを守り、後に旺盛に句集を刊行した。
定型、季語、旧仮名、古典文法を守っての、達成である。
19番目の句集、中村苑子「水妖詞館」を読み了える。
「水妖詞館」は、無季ながら定型を守ろうとしている。旧かな、古典文法であり、「や」「かな」の切れ字も使う。
どんなに写生や直叙から離れても、定型を守る1行詩である。語の組み立てが外れていない。僕の読書のストライクゾーン内である。女性の心情も読み取れるようだ。
20番目の句集、赤尾兜子「歳華集」を読み了える。
句集として、司馬遼太郎、大岡信、塚本邦雄の護衛に守られた母艦のようである。
伝統回帰と言っても、有季、古典文法、新かなながら、575音の定型に収まる句は少ない。
例えば「霧の屋上庭園 しきりに卵割れあふれ」、「つぶやく小動物のあいさつ消えて水匂う」など、初句が大幅な字余りで、中句7音、結句5音と取ると、読みやすい句が多い。他のどこかで切ろうとすると、無理が生じる。
「妖しき祭怺う水栓も雪のなか」は、怺えるのが自分なのか、水栓なのか判然しないように、難解な句も多い。定型の「プール秋綿菓子色の水で陥つ」など、いっそう難解である。
宇佐美魚目「秋収冬蔵」を読み了える。
なぜ16年も間をおいて、第2句集を出版したのだろう。60年安保以降の世の風潮が合わず、再び保守化した1975年となって、出版したのか。
あるいは伝統派と現代派の間で、作句が揺れたのか。
松尾芭蕉や高浜虚子を吟じた句は、黄門様の印籠みたいなもので、反発の仕様もない。