投稿元:
レビューを見る
密集した文字の羅列に臆してほんの少し目をそらす。その直後物語は急転直下、砂時計の最後の砂が落ちるが如くあっという間に終わりがくる。狐につままれたような、信じられない気持ちで読み返すが、やはり同じ。一編一編が事故にでも遭遇したみたいだ。
投稿元:
レビューを見る
2021年 40冊目
短編集だがどの話も重苦しく一作読むごとに一息ついた。消費するのではなく読み手が消費される文学。
投稿元:
レビューを見る
「国語力をつけるにはどうすればいいか」という質問を受けることが多い。ところがこの質問をされる方は、必ずと言っていいほど、質問した瞬間にご自分で答に気づいた表情をし、私がおもむろに「読書が…」と口を開くと、「やはり…」となる。「読書」は、本当は当然の行為なのに、いつのまにか、趣味や嗜好性の一部に取り込まれ、「読書しない」という個性があるかのように語られる。あるいは、「読書したら国語の成績が上がる」かどうかで、読書という行為の価値を計ろうとする。「これを飲めば痩せる」というのは、商業主義の好む論理であって、それを読書に当てはめるのはあまりにナイーブだ。
宿題の山、試験の嵐、部活動の疲労、といった苦難の中、どうか読書をしてほしい。その意義は、テストの成績ではなく、あなたの思考力をつくり、感性を育て、判断力を高め、想像力を大きくする。読書は、あなたの人間形成に寄与する、もっと高い次元のものだとわかってほしい。
そして、どうしても時間のない人、読書に抵抗のある人に、「劇薬」の超短編をお薦めする。ビアスはアメリカの小説家。『悪魔の辞典』の著者としても有名。彼の短編集の中の一つ、「アウル・クリーク橋の一事件」は、わずか15ページ。かつて、作家・筒井康隆が激賞した、短編の「どうしようもない傑作」(筒井康隆『短編小説講義』岩波新書)。これを入口に、短編好きになってほしい。その先に長編も待っている。この衝撃こそが「読書」からのメッセージだ。(K)
※ 岩波は絶版ですが、「光文社古典新訳文庫」から、『アウル・クリーク橋の出来事/豹の眼』として出ています。
「紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉」2014年7月号より。