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第二巻が扱うのは、戦国時代。
200年に及ぶ動乱の時代、韓・魏・趙、そして秦が覇を争う。
この頃は、外交の巧みさによって自国を守るという、策士が活躍した時代でもある。
魏の張儀は、外交を駆使しながら、自国に迫る軍事的圧迫を回避。母国魏を攻撃する斉の軍隊には、秦の軍隊を動かして後方を脅かすというもの。
ただ張儀の場合、自国魏が攻撃されてから秦に救援を求めるのではなく、まず秦に斉を攻撃する約束をとりつけ、その後に斉に自国魏を攻撃させるというもの。
また、この時代は食客が光彩を放った時期でもあった。
斉の宰相、孟嘗君は食客を三千人も養っていた。
中には泥棒を得意とする者、鶏の鳴き声を得意とする者など、異彩を放つ者まで手元に置いたというから、太っ腹だ。
孟嘗君が秦国で拉致された際に、これらの食客が役立ったというのは有名な話。
この食客というのは、世の中のアウトローであるから、することも凄まじい。
孟嘗君が、村を通るという噂を聞いた人々が、こぞって出迎えるということがあった。噂に聞く孟嘗君とはどんな人物だろうかと胸を弾ませていたのだが、現れたのは小ぶりな風采のあがらない男。
「なぁんだ。どんな偉丈夫かと思ったら、こんな貧相な男だったのか」人々の期待感は失望の笑いに変わった。
孟嘗君はこれを聞くと、烈火の如く怒り、食客たちに命じて村人を皆殺しにして立ち去って行ったという。
趙の宰相平原君の食客であった毛遂は、趙が秦に圧迫される危機に陥った際、楚の援軍を請いに出かける。
しかし、毛遂は身分を持たぬ食客の身。
「下郎の分際で何を言う」と楚王に相手にしてもらえない。
毛遂は、剣の柄を握りしめ、楚王に詰め寄る。
「王が私を叱るのは、楚の力を頼んでのこと。だがこれだけ近づいてしまえば、その力も頼りにはならず、王の命はわが掌中にあるも同然」
楚王は、毛遂に気をのまれてしまう。
「殷も周も小国の身をもって天下に君臨し諸公を統率した。だがそれは軍の力に頼ったのではない。天下の趨勢を察知して、信望を集めたからだ。
今、楚は百万の大軍を擁して覇王たる資格は充分にあるにもかかわらず、現実は秦の白起のごとき小伜の数万の大軍に領土を奪われ先祖のみたまを辱めた。これは万世の痛恨事、わが趙の国人さえ、ひとごとならず恥と考えている。王はこのことをなんとお考えか。いま趙・楚盟約して秦にあたろうというのは、趙のためではない。ひとえに楚のためを思えばこそだ。
さあ、わたしを叱った理由を、とくと承けたまろう」とまで言い放ち、盟約の約束をとりつけたというから凄い。
食客と王とのやりとりは、講談めいて非常に面白かった!
これは本旨とは関係がないが、我が国の天皇という呼称も、太古の支那からの輸入であったらしい。
太古の支那には、天皇・地皇・秦皇の三者が君臨し、そのなかでも秦皇がもっとも尊い存在であったという。
始皇帝とは、この秦皇の「皇」と太古からあった「帝」をあわせて、皇帝としたという。
天子の自称を「朕」としたのも、始皇帝以降だという。
言葉の誕生についても非常に興味深い記述に満ちた第二刊もおすすめです。