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生理的欲求・安全の欲求・所属と愛の欲求・承認の欲求・自己実現
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欲求の階層ピラミッドで有名なマズローの心理学について解説した有名な本。
おおよそ現代におけるモチベーションの理論の先駆けとなる理論を築いたのはマズローである。
それまでの心理学や精神科学の2大勢力はフロイトの精神分析と、行動科学であった。
前者は精神疾患者、後者は動物実験を対象としていた。
マズローはこうした特殊な人間や動物としての人間ではなく、成功者と呼ばれる人間の考察を通じて健康な人間がより高みを目指すための方法を見いだそうとした。
それを先述の2つの勢力に対して「第3勢力」と呼ぶ。
モチベーションの理論は教育、犯罪者の構成、よりよい自分を目指すためなど様々な状況において有用である。(様々なモチベーションの本が毎月書店に並んでいます。)
そんなモチベーションの父の本を手にとって見てはいかがでしょう。モチベーションの道はマズローへ続くこと間違いなしです。
古い本なのでやや読みづらいが、示唆に富む記述が多くあり面白いです。
多くの人に読まれてる古典には深い洞察があることは改めて実感しました。
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http://blog.livedoor.jp/elma0451/archives/50840584.html
「マズローの心理学」フランク・ゴーフル著、小口忠彦監訳、産能大出版刊を読む
(略)
「自己実現」のキーワードを始めて知ったのは、約30年前。この言葉にあこがれてきましたが、少しも自己実現できていません。そこで、もう一度この意味を問うてみたくなり、「マズローの心理学」フランク・ゴーグル著、小口忠彦監訳を読み直して見ました。
以下は、本著書を抜粋要約したものです。全部本からの引用です。これは、自分のためのメモにしたつもりです。
第一章 マズローの生い立ち
アブラハム・マズローは、ギリシア時代から、ず〜っと心理学に課せられてきた根本問題、「心とは何か」という問題を解決するために生涯をかけた人である。マズローは、1908年、アメリカのブルックリン生まれ。少年時代にはブルックリン郊外の非ユダヤ人地区のただ一人のユダヤ人少年であった。
「私は孤独で不幸だった。私は図書館の中や本に埋もれて成長した。友人はほとんどいなかった。」
マズローは、成長するにつれて、ホワイトヘッド、ベルグソン、トーマス・ジェファーソン、アブラハム・リンカーン、プラトン、スピノザなどの哲学者の作品を熟読し始めた。そして、彼は、ウィリアム・グレーアム・サムナーの「習俗の発見」を「わが生涯のエベレスト峰」と読んだ。
マズローは、地味な研究に自己の全青春を捧げ尽くしただけでなく、心理学研究分野でも多くの経験も積んでいたのである。彼は早くから働き始めた。最初は、新聞配りをした。彼は早婚である。彼が20歳、妻が19歳のとき結婚した。
「私は、J・B・ワトソンを発見した。そして行動主義に熱中した。それは、私の興奮を爆発させた」
彼は、ウィスコンシンではハリー・ハーロー教授指導の下に猿を研究して、猿の性関係と支配関係の特質に関する学位論文を書いた。しかし、フロイト心理学を読み進むにつれ、彼の行動主義への熱狂はだんだんに醒めた。
マズローに赤ん坊が生まれるや、マズローは重大な発見をした。「生まれたその子は、私があれほどまでに熱狂し続けていた行動主義をもうこれ以上耐えられないほどに馬鹿げたものに思わせた。行動主義へ帰ることはもうできなかった」
「私はこの可愛らしい神秘的な赤ん坊をよく観察しているとそれまで、行動主義に熱狂していたことが、とても馬鹿らしく思えてきたのである。コントールを何ら受けていない存在の神秘と感覚に私は驚嘆しました。」とマズローは言っている。
1930年代、マズローはニューヨークへ戻った。マズローはニューヨークでは、ブルックリン・カレッジの教授であった。
1941年マズローは、「人類は、戦争や偏見や憎悪よりも、もっと偉大なことをなしうることを証明した」として、「平和主義のための心理学」探求に余生を捧げる決意をした。
人は精神の健康を理解するまでは、精神の病気を理解できないというのが、マズローの信念だった。しかしながら、フロイトばかりか、ハミルトンやショーペンハワーも、「最良の人間よりも劣等な人間を観���」することによって、人間の本性に関する結論を得ていたのである。
親切・寛大・友情といった積極的性質をもっている幸福・喜び・充実感・平和な心・満足・楽しみ・あそびなど、人間行為の積極的側面は科学者によって無視され続けている。多くの科学者は人間の弱点、消極的側面ばかりを強調して、人間の長所や可能性については、ほとんどあるいは少しも考慮を払ってこなかったのである。
第二章 人間を統一体として研究
マズローは、探し出せるかぎり「最上の人」を研究して、次のような結論を得た。精神的な病人に関する研究には価値があるが、それだけでは十分ではない。動物相手の研究にも価値があるが、それだけでは十分ではない。
精神的な病気を理解するためには、精神的健康についての徹底的理解を必要とするのである。マズローは、例外的に健康な成熟した人びと、を研究すれば、人間とその可能性について、人は大いに学ぶことがあるはずだ、と考えた。
「動物を研究に使用するのは、たとえば、自己犠牲、ユーモア、芸術、良心、創造・・・・・・といった特に人間らしい諸能力を無視することを、前もって保証しているようなものである。動物心理学は人間が一切の霊長類と共有している特徴を知るためには必要である。しかし、人間が他の動物と共有しない特徴、たとえば潜在学習のように人間が特に優れている特徴の研究には、動物心理学は無益である」
行動主義者は、自分のデータを高めるために動物に寄りかかりすぎているだけでなく、特に兎とネズミを使う傾向がある。しかし、マズローは、ネズミは生理的本能以外の本能をほとんど持たないという理由から反対する。「なるほど、ネズミには、当てはまるかもしれない。しかし、人間にとっては真理ではない」
行動主義者は、おそらく動物の研究に重きを置きすぎるためだが、希望、喜び、楽天主義というような積極的な動機があることを無視しがちである。
フロイトは、内的なものにとらわれ、行動主義者は、外的なものにとらわれすぎている。両方の見解は結合されねばならない。人間の行動の客観的研究だけでは十分ではない。完全な理解を得るためには、主観的なものも同時に考慮されねばならない。人の行動を理解しようと思えば、われわれはその人の感情、願望、希望、抱負を考慮しなければならない。
科学者は自己中心的ではなく、問題中心的であることを必要とする。最も偉大な、最も成功した科学者は、一般的に幅広い関心をもっている。たとえばそれは、アリストテレス、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、トーマス・ジェファーソンなどである。
著名な科学者のピエト・ハインは「われわれが解こうとする問題は、それを切断すれば、意味を失う。すなわち専門科学の気まぐれな枠組みは当てはめるためには切断したいからといって、それを切断してしまえば問題の意味は失われてしまうのである。問題をあまり多く切断しすぎると、残りの部分は無意味になる。問題が意味をもちうるためには、人間の知識や人間の活動の全分野を考慮に入れていなければならない」
人間は実体として、統一体として研究されねばならない。とマズロ��は信じる。おのおのの部分はそれ以外の部分と関連しており、そのすべてを一つの全体としてみなければ、解答は不完全になる。
たいがいの行動科学者は、衝動や本能をばらばらのものに分けてしまって、別に研究しようとしてきた。このやり方は、「全体は部分の総和以上のものである」と考える全体的アプローチに比べれば、一般にずっと非生産的であることをマズローは見出していた。(続く)
http://blog.livedoor.jp/elma0451/archives/50840589.html
「マズローの心理学」その2
第三章 自己実現の研究
マズローが、精神的に健康な人間の顕著な例を研究しはじめたのは、科学的な研究計画からではなく、マズローの個人的な好奇心を満足させたいという意図からであった。
自己実現した人びとについての調査は、マズローの学生時代からの好奇心に起因している。彼は自分が非常に尊敬し、賞賛する二人の教授を理解しようと試みていた。二人の教授というのは、マズローが学位を受けてニューヨークへ来てからの彼の師であった。この二人の人格は対照的であるとともに、両者に共通なある種の特徴もある、ということも突然閃いた。この発見に興奮して、若いマズローは、このようなタイプの個人が他にも見出せるかどうかを見きわめようとした。この時から、完全に成熟した人間についての彼のさらに広範な研究が始まったのである。
自己実現した人の定義はいぜんとして曖昧であったが、マズローは、大まかに、次のように記述した。
「自己実現とは、才能・能力・可能性の使用と開発である。そのような人びとは、自分の資質を十分に発揮し、成し得る最大限のことをしているように思われる」
自己実現した人は、人類の中の最良の見本、マズローが後に『成長している先端』と名づけるようになったものの典型である。
自己実現の特徴
マズローは、彼が研究した例外的な人びとのことを、『自己実現した人間』と、はじめて名づけた。
「卓越した人びとに見られる最も普遍的で共通な特徴」は、おそらく人生を明瞭に見る能力、人生を自分が望むようなものとしてではなく、あるがままの姿でみることのできる能力である。彼らは、自分の見解に対して、決して感情的でなく、より客観的である。
人間を正確に判断し、ニセモノやインチキを見抜く点において、彼らは、平均人とは並はずれた能力をもつ。
「自己実現する人間は、卓越した認識能力の故に決断力に富み、善悪を見分けるための明確な考えをもっている。彼らは、より正確に未来の出来事を予想できる。彼らは、混乱した現実を、より速く、より正確に見すかし、かつ見きわめることができる」
「そのうえ、彼らはある種の謙虚さをもっている。彼らは他人の意見に慎重に耳を傾け、自分はすべてを知っているのではなく、他人から何かを教えてもらえるのだということを認めている。子供のように天真爛漫である。子供は、世界を、状況を、ただあるがままの事態をそのまま認めながら、広大な没批判的な無邪気な眼差しで眺めるように、自己実現する人間も、自分自身や他人の人間性をそのような眼差しで眺めるのである」
「自己実現す��人間は、重要とみなす何らかの仕事や課題や職業に、例外なく専念していること」をマズローは見いだした。
「彼らにとっては、仕事は楽しくてたまらないものなのである。たいせつな仕事に没頭することは、成長・自己実現・幸福にとってきわめて必要なことである。しかも、彼らはそれを完全にやり遂げなければならないのである」
「マズローは、創造性は、彼が研究した自己実現する人間の全員にみられる普遍的な特徴であることを見いだした。『創造性』と結びついている特徴は、柔軟性、自発性、勇気、過ちをいとわないこと、開放的で、かつ謙虚である。これらの人びとの創造性は、物事を新鮮に、天真爛漫に見ることのできる子供と、多くの点で類似している」
「自己実現する人間は、あまり抑制的ではなく、したがって、表現がより豊かで、自然で率直である。創造性は勇気や、進んで困難に立ち向かい、他人の批判や嘲笑を無視できる能力を必要とする」
「人類の偉大な創造者はみな・・・・・・創造する際や、何か新しい事柄を断言する際の、孤独な一瞬に勇気が必要なことを証言している。これは一種の大胆不敵さであり、完全に孤独に直面すること、反抗、挑戦である」
「彼らは自信家であり、自尊心をもっている。したがって、自分のことを大切にすることも、なすべき仕事に熱中できるのである。また、物事をあまり恐れないので、馬鹿げた過ちをおかすことを決していとわない」
「本当に創造的な人間というのは、気違いじみた思考のできる者のことである。さらに創造的な人間は融通がきく。たとえば、状況の変化に応じて自分を変えたり、習慣を打破したり、過度の緊張をともなうこともなく、優柔不断を克服して条件を変えたりすることができる」
たいがいの人は現在発揮しているよりもずっと創造的であると、マズローは考えている。天才が遺伝的素質を備えていることをマズローは否定しない。偉大な才能は、先天的でもあれば後天的でもあるかもしれないが、しかしマズローは「偉大な人はまた非常に勤勉である」ことを指摘している。(続く)
http://blog.livedoor.jp/elma0451/archives/50840650.html
「マズローの心理学」その3
第四章 基本的欲求に関する理論
『人間の動機づけ(積極性・やる気)』に関するアブラハム・マズローの理論は、個人的・社会的生活のほとんどすべての側面にあてはめることができる。マズローは、動機づけ理論には、次のような仮説が必要であると考えている。
「すなわち、個人は統合され、組織化された全体であり、言い換えれば、一部分ではなく、全体としての人間が動機づけられるのである」たとえば、空腹なときは、その人間全体が空腹なのであって、食物を求めているのは胃だけではなく、その人間自身なのである。
生理的欲求
人間のすべての欲求の中で最も基礎的で強力であり、はっきりしているのは、生命維持に関する欲求である。すなわち、食物、飲物、保護、性、睡眠、酸素への欲求である。たとえば、食物、自己承認、愛などを欠いている人間は、まず第一に食物を要求し、この欲求が満たされるまでは他の一切の欲求は無視されるか、あるいは背後に追い��られてしまうであろう。
「極端にかつ危険なほど飢えている人にとっては、食物以外のものへは関心は何もない。彼は食物を夢見る、彼は食物に思いをめぐらす、彼は食物だけに感情を示す、彼は食物だけを知覚する、彼は食物だけを欲しがる」
「自分で空腹だと思っている人間でも、実際には愛情の欠乏とか、安全への欲求、その他の欲求を感じていることもありうる。あらゆる人間の欲求は相互に関連しあっているのである」
「即座に他のより高次の欲求が現れ、生理的空腹感よりもむしろ高次の欲求が支配するようになる。高次の欲求が満たされると次に再び、いっそう新しい高次の欲求が現れ、同様のことが続いていく。
これが、われわれがいう人間の基本的欲求は優位の順に、一つのヒエラルキーを形づくっている、ということである。事実、人間はその生涯を通して、常に何かを欲求している欠乏動物であり、ほんのわずかの時間以外は、完全に満足の状態にあることはほとんどないのである。つまり、一つの欲求が満たされれば、すぐに他の欲求がそれにとって代わってとび出してくるのである」
安全の欲求
生理的欲求が十分に満たされると、マズローのいう安全の欲求が現れる。
社会的欲求(集団欲求)
生理的欲求と安全の欲求が満たされると、社会的(集団欲求)が現れる。「人間はふつう、他の人びとの愛情関係、言い換えれば、自分のいる集団の中で一つの位置を占めることを渇望するようである。そして、この目的を達成するためには、非常な努力をするのである」
愛についてカール・ロジャースが次のようにいっている。「愛とは、深く理解され、深く受け入れられることである」マズローは「愛の欠如は、成長と可能性の発達を阻害するものである」ことに気づいた。赤ん坊は、繰り返し愛情を求め、愛情欲求が妨げられることが不適応を起こす第一の原因であると考えられている。
マズローはいう、「愛情欲求は、与える愛と受け取る愛の両方を含んでいる。・・・・・・われわれは愛を理解しなければならない。われわれは愛を教え、愛を創造し、愛を予想できるようにならなければならない。さもないと、世界は敵意と疑惑の中へ滅びさるであろう」
自尊の欲求(自我の欲求)
人間は2種類の自尊の欲求をもっている。すなわち自尊心と他者からの重要視、他人からの承認である。
「自尊心は—自信、能力、熟練、有能、達成、自立、自由などに対する欲求を含んでいる」
「他者からの重要視、他者からの承認は—名声、表彰、受容、注目、地位、評判、理解、などの概念を含んでいる」
「十分な自尊の欲求をもっている人間は、より自信があり、有能で、生産的である。ところが、この自尊の欲求が満たされないと、人間は劣等感や無力感を抱くことになる。その結果、絶望したりすることもあるのである」
「最も安定した、またそれだけ健康な自尊欲求の充足は、外見上の地位、名声あるいは不当なへつらいなどはなく、周囲からの相応な尊敬に基づいている」
自己実現の欲求
マズローは、自己実現の欲求のことを「人が完成・成功しようとするものに、ますます成ろうとする願望、人が成ること��できるものなら何にでも完成し、成功しようとする願望、対象との一体化願望である」と述べている。自己実現への欲求はもっとも高次元の欲求である。(続く)
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「マズローの心理学」その4−人間の可能性と至高体験
第五章 人間の可能性
20世紀の初期、アメリカの最も名高い心理学者ウィリアム・ジェームズは、次のように述べている。「ふつうの人は、彼の全可能性のごく一部だけしか用いていない」「われわれは、われわれの精神的および身体的な資源の、ごくわずかしか利用していない」ジェームズは、このことを彼の最も重要な発見であると考えていた。
「人間は、実現していない多くの可能性をもっているのだ」という信念が、マズロー博士の人間の動機に関する包括的理論の重要な一面なのであると。
ほとんどすべての人類には、自己実現の欲求と傾向がある、とマズローは信じている。実際、明らかにすべての人類がこの自己実現の可能性をもっている事実があるにもかかわらず、ごくわずかのパーセンテージの人しか、今、それを達成していない。
このことは、幾分かは人びとが自己の可能性に気づいていないためである。
マズローは、オリンピックの金メダル受賞者の例を引いている。この優勝者は、彼の専門における可能性とは何であるかを示して、これを他のあらゆる競技者の模範として掲げているのである。マズローが陸上競技チームで活躍を始めた青年の頃には、人間が1マイルを4分以内で走るのは不可能と考えられていた。結局は、人間的に「不可能」とされていたことが、現実に可能であると確かめられて、可能であることになったのだ。そして、新記録が出るたびごとに、これらの競技種目における人間の可能性は増大してきている。
至高経験
自己実現している人びとを、マズローは「至高経験者」と呼んでいる。至高経験をしている人は、より決然としており、謙虚にしてかつ確固とした自信をもっており、強く、ひたむきで、反対のものによく耐えることができる。観察者には、こういった人は、より頼もしく、信頼できるように見える。
幸福の瞬間には、疑念・恐怖・抑制・誘惑・弱さはなく、また自己意識の感覚もない。
至高経験は、偉大な音に耳を傾けるとか、立派な運動業績とか、満ち足りた性体験とか、ダンスからさえも、そうした多くの原因によって引き起こされるかもしれない。
マズローは、次のような例を挙げている。
「ある若い母親が、台所を忙しそうに動き回って、夫と子供の食事をこしらえていた。日光が差し込み、子供たちは小ざっぱりした感じの良い格好をし、食事をしながらしゃべっていた。夫はたまたま子供たちと遊んでいた。しかし、夫や子供たちを見た妻は、彼らの美しさや、彼らに対する自分の大きな愛情や、彼女の大きな幸運の感覚に突然激しく圧倒されて、彼女は至高経験をもったのであった」
「ジャズバンドのドラムを演奏して働きながら医学校へ行ったある若者は、彼の全演奏の中で、突然自分が優れたドラマーであり、自分の出来栄えは完璧であるように感じる絶頂を三度味わったと後年報告した��
「いっさいが滞りなく終わり、すばらしい夕べであった晩餐会の後、ある女主人は、最後の招待客に別れの挨拶をし、椅子にすわり、会食室を見回し、非常に幸福で陽気な絶頂に浸った」
マズローは、彼らが至高経験を話す時に共通だと思われるいくつかの用語のリストを作成した。その一覧表は、自己実現している人の存在価値と見えるごとく同一である。それらの用語とは「真理・美・全体性・二分法超越・躍動過程・独自性・完全・必然・成熟・正義・秩序・単純・豊富・無礙・楽しみ・自己充実」である。
多くの人びとは、それらの歓喜の瞬間やその後で、非常に幸運でありがたく感じ、その結果、他者や世界に愛情を感じ、その返礼として世の中に何か良い事をしたいとさえ思った。
ウィリアム・ジェームズは、これを「神秘的体験」と呼んでいる。そして、マズローは、これらの瞬間に、人々は多くの哲学者や神学者たちが現実の統一的側面に注意してきたのと同じ洞察をしている。
第六章 心理学的成長
マズローは、自己実現を目ざす成長は自然であり、かつ必然的でもあるという結論に導かれた。「成長という言葉で、彼は才能・能力・創造性・分別および性格の絶えざる発達を意味している。成長とは、あるレベルから高いレベルになっていく心理的欲求の漸進的な満足である。人間は、自分自身の本性の中に、ますます完全な存在になり、ますます彼の人間性を完全に実現することに向かう迫力を示している」
「人間は、成長する能力を持っている」
「成長しつつある個人は、常に自分自身に挑戦している。このことは勇気を必要とする」
「成長と発達の喜びは、努力を、自己訓練を、そしてある程度の苦痛を必要とする」
「自己実現している人々は、一般の人々よりもより柔軟であり、新しい考え、新しい経験に対してもっと開放的である」
その後、第7章から第13章まで続くが、割愛する。第6章までで、マズローの心理学の概要が著され、後半は、それについての問題点と応用の仕方が述べられている。
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成長する先端
毎年、春になっては読み、読んでは感動し。そして全部読み終わらないまま、また1年たってしまう。。。今年こそは最後まで読んでしまおう。
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(1983.11.01読了)(拝借)
☆関連図書(既読)
「人間の魅力」ボブ・コンクリン著・柳平彬訳、創元社、1973.01.20
「人間関係の心理学」早坂泰次郎著、講談社現代新書、1979.04.20
「やる気の心理学」昌子武司著、あすなろ書房、1977.07.
「やる気の健康学」柳平彬著、日本経済新聞社、1982.07.22
「モチベーション」松井賚夫著、ダイヤモンド社、1982.09.09
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マズローの研究を、精神分析と行動主義と比較して分かりやすく説明している。
訳書なので若干読みにくいけどまあまあ。
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50年以上も前に提唱されたマズローの欲求段階説はこの価値の喪失の時代の本質を見事に看破していると思う。理論全体としてはヒューマニズムに偏るきらいは否めないが、人間を性の奴隷とみなすフロイト理論やその他行動主義者らの理論よりはよほど受け入れやすく、また現状に即しており実際的だと思われる。承認欲求もつまるところ自己実現欲求に還元されることを思えば実に示唆に富む内容に満ちていることに気づかされる。
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フロイト主義や行動主義など、主観と客観の両極端にあたる手法の問題点を明らかにし、第三勢力の心理学の可能性を模索する。
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欲求の階層構造ばかりが有名な気はしていたけれど、理論のみならず教育や労働といった実動面も含めた考察がなされていて解かりやすい。
「褒められて伸びる」という大人に疑問を持っていたけど、基本的欲求が満たされた後に賞賛があることで小児期の人格形成に大きな影響があるということか。そして安全面などが満たされればさらに高次の自己承認が大事になってくる。また労働という面では、作業を分担するのではなく運営参加し責任をもつことで社会的承認を得て、徐々に高次欲求の創造性や自己実現につながる。こういったことが、半世紀ほども前にこんなに明確に論証されていたというのは知らなかった。