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読みたいけれども、すでに品切れ重版未定。
できれば手元に持っておきたいけれど、無理か……。
図書館で借りよう。
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『ローディンの戦い』
嵐の為にロホランのスタルノ王の領地に流れ着いたフィンガル王。かつて自分を騙し打ちにしようとしたスタルノ王を警戒するフィンガル王。フィンガル王の偵察。途中であった少女オーイ・ヴァーン。スタルノ王の息子スワラン王子に恋するオーイ・ヴァーン。スワラン王子が殺されたと勘違いし悲しみにあまり死んでしまうオーイ・ヴァーン。ロホラン勢とフィンガル王の戦い。フィンガル王を闇討ちにしようとするスタルノ王。反対するスワラン王子。
『クー・ヴァラ』
ローマ軍のスコットランド侵攻に対抗するフィンガル王。王の恋人クー・ヴァラの不安。戦勝を報告に来たはずのヒジャランはクー・ヴァラに振られたことを恨み敗戦とフィンガル王戦死を知らせる。悲しみのあまり死んでしまうクー・ヴァラ。
『カリク・フーラ』
フローハル王に包囲されるサルノ王の都カリク・フーラ。フローハル王と救援に来たフィンガル王の戦い。フローハル王を慕うウハの行動と講和の祝宴。
『カルホウン』
フィンガル王の叔父クレサ・モーナの昔の恋。恋人ムーサをめぐる争いと別れ。思い出を語るクレサ・モーナ。その時フィンガル王の領地に侵入してきた異国の軍隊。率いるのはムーサの息子カルホウン。
『オーナ・ナム・モール・ウール』
マロルコル王の娘オーナ・ナム・モール・ウールに求婚し拒絶されたトウン・ホルモド王の攻撃。オシャンを救援に向かわすフィンガル王。オシァンの勝利とオーナ・ナム・ムール・ウールとの結婚。
『グール・ナン・ドゥナン』
フィンガル王の命で記念碑を建てる土地の視察に来たトスカルとオシァン。その途中であった若者。
『クローマ』
婚約者を亡くた息子オスカルを慰めるためにオシァンが語るかつての戦功。クロアール王に戦いをしかけたローマル王の軍勢を打ち破るオシァン。
『カルホウンとクール・ヴァル』
父親を殺害されたカルホウンとコルマル。敵であるラーモールの娘クール・ヴァンに慕われて脱出に協力してもらったカルホウン。オシァンの協力で反撃に出るが殺害されるコルマル。
『フィンガル』
エーリンのコルマク王の領地に侵攻したスワラン王。見張りに立つクーフーリンが発見する。戦争か和平かでもめるエーリン勢。コナルにもたらされた敗戦の予言。開かれた戦端。敗走するエーリン勢。殿軍を務めるクーフーリンとコナル。上陸したフィンガル王の軍勢。激戦の中活躍を見せるオスカル。フィンガル軍を指揮するガル。ガルの苦戦とオシァンの活躍。敗北し囚われたスワラン王。
『タイモーラ』
王位を簒奪したカラバルを攻めるフィンガル王。策略を用いてオシァンの息子オスカルを殺害するカラバル。偵察に出るフィラン。エーリン勢を率いるカーモール。ガルを指揮官に総攻撃をかけるフィンガル軍。フィランの奮戦。カーモールとの戦いで倒れるフィラン。救援に向かうオシァン。フィランの死。カーモールを倒すフィンガル王。戦いののち槍をオシァンに託し戦いからの引退を宣言するフィンガル王。
『クーン・ルーフとグーホウナ』
���スカルに娘をさらわれたクーン・ルーフの追跡と相討ち。
1997年3月19日購入
1997年4月26日初読
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ケルトの蒼い草原に立つ
遠い海からの風に耳をすませば
石の積まれた大地に眠る
強靱勇壮なケルトの戦士たちの
古く懐かしい伝説が語り継がれる
心象風景。まるで夢の中でみたことのあるような、風景。知っているのに届かない、そんな風景。そこには奇跡も絶対の神という存在があるわけでもなく、ひとが剣をふるい戦う。
戦い、名誉を残すこと。挑まれれば一騎打ちに必ず臨み、決して逃げるなどしない。たとえ、倒されることが分かっていても。戦って命を散らすこと、戦いに勇ましく向かっていく、戦いそのものが戦士に与えられた定めなのだ。いかに、戦いをドラマチックにこなすか、名誉はその一点に尽きる。勝ち負け、生き死には抜きに。
女性を守り、弱きを助け、向かってくるものはたとえかつての友であっても容赦はしない。戦いを放棄することは、戦士であることをやめることに他ならない。戦士であることをやめた時から、石は積まれず、歌は生まれない。
こんな戦いだけの定めの中にあるから、酒宴という場の特殊性がどうしようもなく懐かしい。敵も味方もなく、ただ歓びを分かちあう。敵であっても素晴らしい武勇はほめたたえられ、身内を殺した者であっても隣同士で酒を酌み交わす。謀略をめぐらしてこれを壊す者の悪がより一層苦々しく見えてしまう。
竪琴と、声ひとつで感情に直に働きかける、歌の力。音楽の力は浄化の力。大地に倒れていった者たちに、物語を与えて、魂に安らぎを与える。歌人たちは戦争に参加して戦争を形作ると同時に、戦争を戦争たらしめる特別な存在。オシァンについては、さらにひとりの英雄として、物語に直接登場する。時間の流れがタペストリーのように編みこまれる。
時間(とき)のめぐりが一方向でないことに加えて、オシァンという特殊な存在が語ることにより、重層化する。どこかノスタルジックなのは、印象的な自然だけでなく、同じ時が読んでいる今も流れているからなのだと思う。
論争が絶えないようだが、何が大切にしたいのかわからない主張が多い。フィンガル王やオシァンは存在しないというが、現に語られているではないか。マクファーソンの創作では?というが、創作できるのは、オシァンが存在するからではないのか。
このような語りの中で、こうした物語が展開されるというこの端的な精神の形。絶対な存在の形はテキストに現れていないけれど、たしかにひとつの精神がテキストの中で生きている。