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【展覧会】(読書メモは、この続きに)
瀧口修造:夢の漂流物 同時代・前衛芸術家たちの贈物1950s-1970s
主催: 世田谷美術館
会場:世田谷美術館
会期:2005年2月5日(土)~4月10日(日)
観覧料:一般:800円
観覧日:2005年4月3日(日)
詩人/美術評論家・瀧口修造
1903年12月7日 富山生まれ
1923年4月 慶応大学文学部予科に入学。
1923年12月 大学へ退学届を提出。
1925年4月 慶応義塾大学に再入学。
1930年6月 ブルトンの『超現実主義と絵画』を翻訳、刊行。
1931年3月 慶応義塾大学英文学部を卒業。
1935年12月 鈴木綾子と結婚。
1945年5月25日 東京最後の空襲で高円寺の家全焼。
1960年10月 初の個展「私の画帖から」を南天子画廊で開催。
1979年7月1日 心筋梗塞により死去。
4月3日(日)桜祭りでにぎやかな砧公園の中の世田谷美術館に入ると余り人が居らず、静かだ。丁度、昼時と言うことと、他の展覧会に比較して入場者が少ないためと思われる。
会場を入ってすぐのコーナーには、瀧口修造の作品、デカルコマニーが百点ほど展示してある。辞書によると下記のようです。
デカルコマニー[(フランス) décalcomanie]
紙に絵の具を塗り、それを二つに折るか、別の紙を押し付けるかして写しとる画法。偶然的・幻想的形態が得られるのでシュールレアリストが好んで用いた。
鍾乳洞の様でもあり、霜柱の様でもあり、火山の爆発の様でもあり、珊瑚の様でもあり、いろんな形に見えないこともない。大きさは15センチから20センチぐらいでしょうか。その横には、現代詩手帖が展示してある。表紙が瀧口修造のデカルコマニーによる作品が使われている。
次のコーナーには、瀧口の詩に、阿部芳文やミロのイラストが入った作品がある。
さらに先は、いわゆる漂流物の展示になっている。
ダリ、ミロ、ジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシス、マルセル・デュシャン、マン・レイ、中西夏之、赤瀬川原平、難波田龍起、小山田二郎、合田佐和子、瑛九、草間彌生、西脇順三郎、三木富雄・・・抽象画が多い。
武満徹の絵が4枚あった。3枚は海を描いたものだけど、どこか特定の場所と言うわけではなさそうだった。手書きの楽譜もある。
たくさんの展示物を見て、まだエネルギーが残っていたら、常設展で気を休めよう。
アンリ・ルソーの「サン・ニコラ河岸から見たサン=ルイ島」が展示してある。
難波田龍起の代表的抽象画が9点ほどある。
先日なくなられた、柳原義達の彫刻作品とデッサンが追悼のために展示してある。カラスやはとの彫刻が懐かしかった。
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(2005.06.28読了)(拝借)
世田谷美術館で、瀧口修造の展覧会を見たので、かみさんの本棚にあったこの本を読んでみました。
最初の32頁が、「瀧口修造アルバム」になっているので、展覧会のカタログ代わりになります。本人の写真、作品、関係者の写真、作品が掲載されています。カラーじゃないのが残念です。
本文は、大岡信さんがあちこちに書いた瀧口修造についての文章に、富山県立近代美術館で行った「瀧口修造と戦後美術」展記念講演を加えて一冊にしたものです。
●瀧口修造入門
「「詩」というものを簡潔に説明するなら、「物」をうたいながら「事」をうたい、「心」をうたって「事」にしてしまうものといえるでしょう。」
「瀧口修造の詩は、多くの人にとって、分かりにくい、難しい詩だと思います。瀧口さんの詩は、物から心に行く過程が単純ではない。あるいは、物から心に行く過程を、瀧口さん自身が意識的に断ち切っている部分さえあります。むしろ、断ち切っていることがしっかり分かると、そこで始めて瀧口修造の詩が分かってくるとも言えるように思います。」
「大学に過大な期待をかけて入る人というのは、必ず失望します。自分自身が何かやるべきことを持っていればよいのですが、漠然たる期待だけで入ったなら、大学は生ぬるい地獄になってしまう事は必定です。」(瀧口さんは、慶応大学に入ったけど、大学には最初出ただけで、その後でなくなったそうです。)
瀧口さんは、関東大震災の後、大学に退学届けを出し、北海道で1年半暮らしました。結局慶応へ戻り、イギリス留学から戻った西脇順三郎に出会い、5年間生徒として学びます。
「瀧口さんの、「絶対への接吻」という詩の最初の部分。
ぼくの黄金の爪の内部の瀧の飛沫に濡れた客間に襲来する
一人の純粋直感の女性。彼女の指の上に光った金剛石が
狩猟者に踏み込まれていたか否かをぼくは問わない。・・・
ここで用いられている一語一語は、確かに一定の意味を持った単語ですけれども、それらの単語の集積、単語を連ねていった挙句につくられたものは、全くありえない世界を構成している。」
「瀧口さんは戦争中にはシュルレアリストであることを理由に治安維持法によって検挙され、8ヶ月投獄されたこともあった。」
折々のうたの著者でもある大岡信さんは、瀧口修造の詩を幾つか取り上げて解釈して見せています。感受性の余り豊かでないぼくには、残念ながらほとんど分かりません。世の中には、自分には分からないが他の人々には分かる世界もあるということ認めればいいのかと思います。
●ミロと瀧口修造
瀧口さんは、1940年にアトリエ社から「ミロ」を出版している。なんとこの本が、「ミロ」について書かれた世界で最初の単行本ということです。
瀧口とミロは、ミロが1966年秋に来日した時、会い、上記の単行本を見せている。1970年には、ミロの絵に瀧口の「手づくり諺」をつけた本も出している。
●大岡信の本
「岡倉天心」大岡信著、朝日新聞社、1975.10.15
「日本語の豊かな使い手になるために」大岡信著、太郎次郎社、1984.07.20
「抽象絵画への招待」大岡信著、岩波新書、1985.05.20
「折々のうた」1-9、大岡信著、岩波新書、1980.03.21- 1991.08.21
著者 大岡 信
1931年 静岡県三島生まれ
1953年 東京大学国文科卒業