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いわゆるファム・ファタールものの古典。戯曲だが、きわめて読みやすく、男女の機微についての考察にあふれている。
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私は一日だって自分で生きたことはない。
パンドラは与える者。何も奪わない。誰からも奪わない。
男達はルルを鏡に見立てた。理想にのぼせ上がり、ルルを一度も見なかった。矛盾が浮き彫りになった時鏡は砕け散り、破片が彼らに突き刺さった。彼らは自分を破滅させた。
ルルは二人の夫を愛さなかった。三人目の夫は愛したけど、彼を殺した。彼がルルに自殺を強要したからだ。その後も一人だけ愛したけど、彼はルルに娼婦になる事を強要した。だからルルは立ち去った。
ルルはセックスを自分から切り離して商品になんて出来ない。
どうしてルルは彼女から奪おうとする人ばかり愛するの?彼女に尽くす人は軽んじられる。与えられる事に背を向け続けた。与えるために自分の信念を裏切って、彼女を殺す人間を招いた。
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ドイツの劇作家で表現主義や不条理劇の先駆とされるヴェデキント(1864-1918)の代表的戯曲、『地霊』1895年、『パンドラの箱』1906年の作。
ルルという女は、世紀転換期ドイツという時代に於ける官能の真空だ。彼女の官能に向かって、欺瞞に塗れたブルジョア社会の俗物たちが吸引されていく。或いは、ルルという女は、世紀転換期ドイツという時代の鏡だ。吸い寄せられた俗物の眼差しをその俗物性のままに反射させる。
シュヴァルツ――・・・僕の眼を見てくれ!
ルル――ピエロ姿の私が眼の中に見えるわ。(『地霊』第1幕)
ルル――わたしは大喜びで、あなたのなすりつけた罪をしょいこんであげるわ! あなたは今は清らかな男にならなくちゃいけないんですものね。今は自分のことを、模範的な品行方正人間、絶対にゆるがぬ掟を守る道徳的な人間だと思う必要があるんだものね。でなければ全く無経験なあんな女の子と結婚なんかできないもの・・・・・・(『地霊』第3幕)
こうして舞台上は俗物ブルジョアの眼差しの乱反射が飛び交い、その中に於いて唯一人ルルだけが、どこか実体の無いぼんやりとした、何者でもない主客の彼岸に在るが故に無垢な、中心としてある。
ルル――・・・わたしは、たましいのない女よ。(『地霊』第4幕)
そして俗物たちは、ルルによって反照させられた自らの俗物性によって破滅していく。
ところで、『パンドラの箱』第1幕に興味深い場面がある。『地霊』最後の場面に於いてシェーンを殺害した彼女が、或る計らいから監獄を抜け出て、こう云う。
ルル――何カ月も自分の姿を見ることができないと、ほんとうに胸がしめつけられるほど不安になるのよ。でも新品のちりとりが支給されたことがあったわ。朝七時に掃除するとき、その裏側に顔をうつしてみたの。ブリキだから決してうつりはよくなかったけど、でも嬉しかったわ。――あなたの部屋から絵[『地霊』で破滅した俗物画家シュヴァルツが描いたピエロ姿のルルの肖像画]をもってきてよ。・・・。(『パンドラの箱』第1幕)
これは、謂わば、悲劇の主客が転倒したことを暗示するかのような台詞だ。上記の通り『パンドラの箱』は『地霊』から10年以上経たのちに書かれている。『地霊』に於いて主客の彼岸にあったルルは、自身を自らの眼差しに晒すことで悲劇の俎上に降りてきてしまったのではないか。10年の隔たりがある『地霊』と『パンドラの箱』の間には、ルルの劇中人物としての布置に大きな差異があるように思われる。然しそれによって、『パンドラの箱』はより激烈にブルジョア社会の欺瞞性・暴力性を指弾することになる。それは、本戯曲を「Famme fatale (=男を破滅させる悪女)物」などと規定する男根中心主義的な解釈をも予め糾弾の対象としているだろう。
俗物的視線に塗れ卑貶された彼女がブルジョア社会で何者かになろうとするなら、それはやはり娼婦しか在り得なかった。そして最期は"切り裂きジャック"によって、生命を断たれると同時に女性器を切除される。「女で在る」ことを究極的には許さない男の暴力に、ルルは破滅する。女を性��に憧憬・聖化・欲望すると同時にその裏返しとして性的である女を恐怖する男=ブルジョア社会の、性道徳に潜在している欺瞞と暴力によって、ルルは殺された。
ではその恐怖とは一体何であろうか。そこではやはり、女は鏡となって男自身の欲望が投影され、外化された女性像に、則ちブルジョア社会が勝手に作り上げたイメージに恐怖していただけではないか。男の内には、自己を性的主体とし女を性的客体として欲望しながらも、その自己の欲望の投影の結果である女の性的魅力によって翻弄され性に於ける主客が転倒し破滅に陥ってしまうのではないか、という「強者」としての二重束縛的なルサンチマン・被害妄想がある。
「女は存在しない」とは、同時代ウィーンの性差別主義的な哲学者ヴァイニンガーの言である。
そして現代にも見られる女性蔑視・嫌悪の裏には、これと同相の独り善がりな女性恐怖がある。
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「シゴルヒ 俺たちだって、あの世じゃ蛆虫に食われるぜ。あの世へいったらまず肉の大盤振舞をやる。蛆虫にただで食いたいだけ食われてやるさ。
ルル あんたのお客の蛆虫さんはあまり腹いっぱい食べられないでしょうね。
シゴルヒ まぁ、みてな、お前だって、死んじまやあ、お前の尊敬者はお前の屍体をそうありがたがりゃしないぞ。花も盛りのころは美わしのメルジーネとか何とかいわれようさ、でも死んだあとはどうだ?その肉は動物園の餌にもなりゃしないぞ。(立ちあがって)そんな肉を食らったら動物たちが胃痙攣をおこすってよ」
「シェーン くだらないおしゃべりはよしなさい!――恥知らずなことといったな?――上品を下品とすりかえてはいけない!――その恥じ知らずな動きに、ありがたがっていくらでも金を積むやつがいるんだよ。――あるやつはブラヴォーと叫び、別のやつは畜生という――でも君にとってはどちらも同じことだ! 君は、客席にいる良家の令嬢をいたたまれなくさせるときに一番勝ち誇った気持になるんだろう?!――君にそれ以外の人生の目的があったら言ってみたまえ?!――君にちょっとでも自尊心があったら、完全な舞踏家になんかになってはいられないぞ! 見ている人たちが君を見てぞっとするようになればなるほど、舞踏家として偉大になるってわけなんだからな!!」
「ルル 男らしくしっかりしなさいよ。――まあ自分の顔を眺めてごらんなさい。――良心のかけらも見当たらないわ。――どんな恥ずかしい事も平気でやる。――あなたは、自分を愛しているその娘さんを、冷酷非情に不幸につき落とすつもりね――世界の半分を征服する。――あなたのしたい放題をする――わたしと同じようにあなたもご存じなのよね。――つまり……
シェーン 黙れ……
ルル 自分が弱すぎて――わたしから離れられないことを……
シェーン おお、おお、何て苦しいんだ!
ルル わたしには見てるとととても気持がいいわ――口で説明できないくらい!」
「ルル ――わたしのせいで自殺した人が出たって、それでわたしの価値はさがりゃしないわ。――あなたはなぜわたしを妻にしたかよくご存じよ。わたしがなぜあなたを夫にしたかよく知っているように、――あなたは、親友の妻のあたしと不貞を働いて親友を欺したわ、でもあたしのことで自分を欺すことはうまくできないのね。――わたしのお蔭で人生の晩年を犠牲にしたとおっしゃるけど、わたしは、あなたに青春をすっかり捧げたのよ。そのほうがもっと大事なものだったわ。わたしは、世間の人からそう思われている人間以上のものになろうとは思わない。そして世間はわたしを、掛値なしのわたしと同じものだとみなしてくれたわ。――あなたはわたしに頭へ弾丸をぶちこめとお望みなのね。わたしはもう十六の小娘じゃないわ。でも自分の胸に弾丸をぶちこむには、まだ若すぎると思ってるわ!」
「ルル そんなところで、わたしのような女が幸せになるなんて、決してありえないわ。わたしが十五の娘のころなら、それでも我慢したかもしれないわね、あのころは、自分がいったい幸せになるなんてこ���があるかしらって疑っていたんだもの。わたしはピストルを買って、夜なか、深い雪のなかを、はだしで橋を渡って緑地にいって、自殺しようとしたのよ。そのあと、ありがたいことに三月も病院に入ったわ、男の顔なんて全然見なかった。そのころわたしは毎晩毎晩、まさにわたしのためにこの世にいる男、わたしもその人のためにこの世にいる、そういう男の人の夢を見たわ。そのあと、またわたしが男たちの手にゆだねられたとき、わたしはもう馬鹿な娘っ子じゃなくなっていたわ。あれ以来わたしは、百歩はなれたところからでも、相手とわたしが、お互いにぴったりいく人であるかどうかすぐ分ってしまうの。そして自分がそれを知っていながら罪を犯してしまうと、そのあとしばらく、わたしはからだも心も汚されたような気がしてしまうのよ。自己嫌悪を忘れるようになれるまで何週間もかかるの、だのにあんたは、わたしがどんな汚らしい男にでもからだを投げ与えられると思っているの」
「ゲシュヴィッツ ――人間って自分のことはほんとうに分らないものだわ――自分がどんな人間か分っていないのよ。人間が分ってるのは、自分が人間でないものだけよ。人間が口にする言葉は、どれもこれも真実ではない、嘘八百なのよ。でも人間にはそれが分っていない。人間なんて、今日がこうだと思うと明日はああなる、その前に食事をしたか、お酒を飲んだか、セックスをしたかしないか次第で、すぐに変わってくるのよ。しばらくのあいだでも変わらないでいるのは肉体だけ。理性をもっているのは子供だけだわ。大人になれば人間はみな化けもののよう。自分のやってることも分らない。幸福の絶頂にいるとき、人間は悲しんだりわめいたりするのよ。そして不幸のどん底にいると、ほんの僅かな食物が手に入っただけで喜ぶのだわ。ほんとうに不思議だわ。飢えってものは、人間から不幸になる力を奪ってしまうもの。ところが、お腹がいっぱいになると、人間はまたこの世界を拷問部屋のようにしてしまい、ほんのちょっとした気まぐれを満たすために人生を放り出してしまうものよ。――いったいこれまでに、愛によって幸福になった人間なんていたかしら? 人間の幸福なんて、所詮はよく眠れてすべてのことを忘却してしまえることじゃないかしら?――ああ神様、あなたがあたしをそんな人間に作り上げて下さらなかったことに感謝します。――わたしは人間ではない、わたしの肉体は、人間の体とは全く違ったものだ、わたしは、人間の心なんか持ってないわ! 虐げられている人間の持つ心なんて、とっても小さくて狭いものよ。でもあたしには分っているわ、何もかも捧げつくし、何もかも犠牲にしたって、それは別にたいしてえらいことでも何でもないんだってことを……」
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「奔放な悪女」系の美しい女性がメインの戯曲二部作。
セクマイセンサーが作動したので読んでみたら予想外にまっすぐセクマイ系だった!
主人公のルルはミニヨンの系譜、という話を聞いてジェンダーの越境的なものを期待して読んだら、ガチの同性愛者がでてきた。
どうでもいい脇役もどうでもいい脇役にほのかによろめいてるし。
話自体が悲劇だし、100年前の作品だから今の視点で読んだら目指すところだって低すぎる。
レズビアンキャラへのひどい扱いやひどい暴言もある。
(正直ここで読むのをやめようかと思った)
でもキャラクター自体がひどい描かれ方をしているわけじゃないんだ。
今だって「変態は罪」とみなす人がたくさんいるのに、100年前のこの作品がセクシュアリティは生まれつきだと言いきっている。
「不幸な生まれ」として書かれているけれど、それが罪だとは言わない。
著者はこの「不自然な性向」を劇にした理由を序文で説明している。
「不自然な性向」を持った人は、巨大な精神的発達をとげるにもかかわらずその宿命から逃れられずに破滅していく。でも劇にしたのはそれが理由ではなく、このテーマが悲劇として扱われてこなかった。
“これまで与えられていた滑稽さの手から奪い返し、こういう性向に生まれつかなかった人々にもそれに関心や同情をもたせたいという願いであった。”(p265)
この作品は(売春がでてくるので)検閲されたということで、訳者の解説によればこの序文は検閲逃れの方便という面があるらしい。
でも私はこれを真に受けたい。だってこんなのドヘテロが適当に書ける言葉じゃない。
これだけが動機じゃないとしても、これも描きたい理由の一つだったと思う。
今のセクマイは、フィクションのなかのセクマイを悲惨と嘲笑の手から奪い返し、ハッピーな現実を見せようとしている。
そういう今の目からみると悲劇にしたがるのは悲しいことだけど、悲劇が新しい扉だった時代もあったということか。
『セルロイド・クローゼット』http://booklog.jp/users/nijiirokatatumuri/archives/1/B00005NJUPを見直したくなった。
で、そっちに全部もってかれちゃったけれどもルルの「悪女の悲劇」も良かった。
「地霊」のルルは翻弄されているけれど自分をかろうじて保っている。
流されるのも自分の意思で、たとえ愛する男が相手でも自分を害することを許さない。
「パンドラの箱」になると、自分が揺らいでしまう。
ひどい男のひどさを見なかったことにして自分を欺きはじめたら、もうどうしようもなく転落してしまう。
二部のルルはひどいけど、必死でもがく人のひどさだから悲しい。