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ボクにとってのアーサー王はここから始まった。
アーサー王なんて1ミリも出てこないけど。
なかなか泣ける恋物語。
現実的に見たらいけない作品のひとつ。
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古代ケルトの「トリスタン伝説」に起源をもつと云われ、12世紀中世フランスにて物語としてまとめられた恋愛譚の古典。様々な異本のある中で、フランスの中世文献学者ジョゼフ・ぺディエ(1864-1938)が編集したものが本作、1890年。ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』(1865年)でも知られる物語。
古典、特に前近代の作品の登場人物は、英雄は一貫して英雄であり、忠実な従僕はどこまでも忠実で、悪党は最後まで悪党だ。人物像が、謂わば剥き出しなのである。記号の如き人物類型からは、個々の内面のその細やかな顫動を、感情の胎動を、殆ど思わせない。各記号が、その部分的機能を果たして、物語が一つの全体として駆動していく、そのような趣が本作からも感じられてしまう。
愛は此の世ならざるものだと、人々はいつの時代にも思い知らされてきたし、またそれを語り続けてきた。愛の純粋さはそこに極端という夜の破滅性を孕んでおり、それは現実の現実性・散文性・即物性――まず以て何事も何事かとして俗事という意味論的な安定さの裡に「在ら」ねばならぬという、頽落した惰性態の生の意味連関に埋め立てれた日常という朝の中途半端――とは、本質的に相容れぬ。
「これをいっしょに飲んだものは、身も心も一つになって、生きているあいだも、死んでの後も、永久に愛しあってはなれぬ・・・」「海上でいっしょに飲んだあの秘薬のことをも思い出してもらいたい。あれは二人の死であったとね」
「わたしなくばおんみなく、おんみなくばわたしなし、・・・」
「・・・、最後のそして永遠の抱擁の中でかなたに運び去られていゆくトリスタンとイズーという一組は、人間が現実の社会の上に飽くこともなくちらるかす理想、それが全く相反するような相貌を呈していても実は幸福への執念深い憧れの一つで、・・・、それがもっとも魅力ありもっとも感動させる力をもつ様式の一つであるとしても、それはまた、もっとも危険な様式に一つででもあるのです」「けれどおよそ人間の理想なるものでその魅力に危険の伴わぬものはないのです。そして人生を平凡もしくは退屈な絶望におとしいれることなくしてその理想を取り去ることもまたできぬことでしょう」(「ガストン・パリスの序文」より)
この伝説が紡がれるに際して作用した想像力の内には、エロスに対する否み難い欲望と、同一硬貨の背面なる畏怖が、見出される。そしてその想像力は――歴史を語り歴史を創ってきた主体としてのその想像力は――、やはり「男」乃至「男」の視線を内面化した「女」によるものではないか。なぜなら、そこには「女」という存在に対する恐怖、今と変わらぬ misogyny がはっきり見てとれるから。
「女はわずかのあいだに気がかわる。女は同時に笑い、泣き、愛し、そして憎む」
「婦女の怒りこそ恐るべきもの、人は心してこれに備えねばならぬ! この世のものならず愛していたひとに、いちど心がかわるならば、世にもおそろしい復讐を加えるのも女というもの!」
私がこのイズーという伝説の創造物に魅力を感じないのは、そこに透けて見えてしまう語り手の misogyny ゆえではない���と思う。
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1890年原著、フランスのペディエという文献学者が、いろいろな断片から再構成した12世紀の恋愛詩である。物語はトリスタンとイズ—の恋愛が主軸である。トリスタンはローヌアに生まれ、コンウォール(英国西南部)のマルク王に仕えた。コンウォールはアイルランドに朝貢しており、男女の児童300人づつを出さねばならなかった。騎士モオルトがこの取り立てにきて、不満があれば挑戦をうけると言い放った。コンウォールの騎士たちはこれに沈黙したが、挑戦をうけたのは若きトリスタンであった。トリスタンは激戦の末、モオルトを斃すが、毒に侵され死に瀕し、起死回生をもとめて、小舟で海に流された。舟の流れ着いた所は敵国アイルランド、ここで仇とは知らないイズ—に治療をうけ、トリスタンはコンウォールに帰還する。マルク王の側近たちは王が英雄トリスタンに国を譲ることを恐れ、王に後妻を迎えることを強いた。トリスタンは黄金の髪をもつ乙女を探すことになる。トリスタンは再びアイルランドに渡り、「黄金の髪のイズ—」を得るため毒龍を倒すが、またまた毒に侵され、イズーの看病をうける。イズ—はトリスタンの剣の刃こぼれから、叔父モオルトの仇であると知り、トリスタンを殺そうとするが、無防備の相手に好意を抱いてしまう。トリスタンはマルク王の妻とするため、イズ—をコンウォールに連れかえるが、その船旅の途中、誤ってイズ—の母が醸したフィルトル(愛の秘薬)を飲んでしまう。ここから叔父の妃を愛してしまうという悲劇が生じた。マルク王とイズ—はつつがなく結婚するが、トリスタンとイズ—の恋愛は隠しておけるはずもなく、側近の讒言によって引き裂かれ、トリスタンは追放となる。しかしトリスタンは城の近くの森にひそみ、松の枝を削って川に流して、城内のイズ—と忍び逢うのであった。いろいろと危機を乗り越えるが、とうとうこれも露見し、トリスタンとイズ—は焚刑に処されることになる。トリスタンは護送途中、断崖から飛び降り脱走、イズ—は焚刑よりも苦しい死をということで癩病患者らに下げ渡されるが、生きのびたトリスタンがイズーを救出する。二人は国中のおたずねものになりながら、二年あまりも森の中で逃亡生活をするが、ある日、互いのことを思いやり、トリスタンはイズ—をマルク王の下に返すのであった。イズ—は純潔の証を行い、トリスタンは各地を流浪し、別々に暮らすことになる。トリスタンは流れ流れてブルターニュ(フランス北西部)にたどり着く、ここで戦功をたて、王子カエルダンと友情をはぐくみ、その妹「白い手のイズ—」と結婚する。しかし、トリスタンは真の恋人を忘れられなかった。トリスタンとカエルダンはコンウォールに帰り、「黄金の髪のイズー」と再び会おうとするが、些細な誤解から、拒絶され、失意のうちにブルターニュに帰る。だが、トリスタンはそれでもイズ—を忘れられず、佯狂変装して単独マルク王の城に潜入、再びイズ—との愛を確認して去っていった。その後のブルターニュの戦いで、トリスタンはまた敵が使った毒に侵され、今度は死を覚悟した。トリスタンはカエルダンに最後に「黄金の髪のイズ—」をつれてきてくれるように頼む。カエルダンは機知をつかい、約束を果たすが、時な���ぬ嵐で到着がおくれる。舟がいよいよ到着するとき、「白い手のイズ—」が嫉妬からついた嘘によって、トリスタンは恋人が自分を忘れたという絶望のなかで死んでいった。一方、「黄金の髪のイズ—」はトリスタンのもとにたどり着くが、すでに街には葬儀の鐘がなり響いていた。「白い手のイズ—」を押しのけ、「黄金の髪のイズ—」はトリスタンの傍らで嘆きながら絶命した。トリスタンの墓からは茨が生えてきてイズ—の墓に絡むのであった。なお、ペディエは、マルク王が秘薬なしでイズ—を本当に愛してしまったという解釈をとる。愛と嫉妬、思いやりと絶望などが混じった激しい感情の起伏をもつ物語である。「トリスタンとイズ—」は西洋人の「運命の愛」という恋愛観の基礎を築いた作品であり、ベディエの語り口も予言や後の事績や、感情移入(悪人の罵倒)、禁止の呼びかけ等をまじえており、中世の語り物を彷彿させる。
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ケルトに端を発し、中世フランスの各地に伝えられた物語の断片をベディエが編年体風の物語に再編したもの。イズーとの出会いともなる怪獣退治のくだりなどは、遠くペルセウス・アンドロメダ型神話を思わせるし、また途中にもトロバドゥール達によって謳われたであろう遍歴騎士の物語が散見する。そして彼らが歌うのは愛の絶対化であり、そうした主題にこれほどに相応しい物語もなかった。逆説的に言えば、叶うことがないが故にこその絶対化なのである。物語の舞台となったコーンウオールとブルターニュには、今もケルトの面影が色濃く残っている。
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悲しい二人の物語。
最初から中盤までは面白く読めていたが
最後があっけなかったように感じた。
愛していた人に、一度心が変わるならば、世にも恐ろしい復讐を加えるのも女というもの!
恐ろしや!!!
奴隷はなぜ存在したのだろうか。。。
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2015/4/17読了。
アーサー王関連で興味を持って購入。でもアーサー王の方は妃がイズーじゃなくてグィネヴィアだったから別の物語なのかな?
とはいえ訳は読みやすいし、話の流れもわかりやすいと思った。今まで読んできた悲哀系の物語もこれを原型にしたのかなと感じるものも多い。
ただ、これを友人(女性)に進めたら「こんな勝手な二人の話の何が面白いのかわからん」と言われたので人を選ぶのかもしれない。
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トリスタンと黄金の髪のイズーとのすれ違いながらも交わる情熱的なストーリー。
後半ほど離れていたが故のすれ違いが激しくなり、更に白い手のイズーとの関係もあり。
愛ゆえの盲目を見せられている。そこには清々しいまでの透き通った憎悪があり、最期はただ淡々として天幕を掛けるが如く静かに終わった。
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『ドン・キホーテ』を読み、ドン・キホーテが夢中になった騎士道物語を読んでいる。
こちらはyamaituさんに誘われたので読んでみました(誘われましたよね、ね!?^O^)/
トリスタンとイズーについてはアーサー王関連の本で大体の流れを知ったつもりでいたんだけど、実際に読んでみたらまたイメージが違った。yamaituさん、そしてpinoko003さん色々ご紹介ありがとうございます!
私がトリスタンとイゾルテの物語に興味を持ったのは、この曲を聴いたこともあります。
これは美しいですよねえ、哀しくも救いも感じて全く乱れない、本当に美しいですよねえ。
https://www.youtube.com/watch?v=XEjwXlljwHY&ab_channel=KodairaPrince
本書は「さて皆の衆、どう思われるか」などと読者に語りかけるようになっています。
<皆の衆、聞き給わずや、愛と死のこの美しき物語を。>
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ローヌアを治めるリヴァラン王が戦死した後に生まれた息子は、ブランシュフルール王妃により「悲しみの子」という意味のトリスタンと名付けられた。王妃もすぐに亡くなり、やがてトリスタンはコーンウォール王である叔父マルクの騎士となる。
マルク王はトリスタンを息子のように思っていたが、諸侯からの要求によりアイルランドの王女黄金の髪のイズーを王妃に迎えることになった。だがトリスタンとイズーは誤って媚薬を飲んでしまったために互いへの愛に結び付けられてしまう。その愛は二人を同じ日に死なせ、死んだ後も引き離されることはなかった。
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アーサー王物語ではマルク王が最初からトリスタンに無茶言いつける印象だったんだが、こちらではマルク王はトリスタンを息子のように愛していたために、悪心を持つ四人の諸侯に讒言されて試練を与えられることになっている。マルク王はトリスタンとイズーを疑い死刑を命じてしまうこともあるが、二人を大事に思う気持ちを思い出など、アーサー王物語よりもマルク王の印象は良くなった。
アーサー王物語でのトリスタンは、トリスタンがコーンウォールから離れていた時期にアーサー王の十三番目の円卓の騎士(不吉な番号であり、優れた騎士でないと認められない席)として迎えられたとなった。その時期はこちらの『トリスタン・イズー物語』では、イズーを火刑から救い出して二人で密かに暮らしているが、マルク王に見つかってイズーを王妃として仲直りさせ、自分は外国を彷徨っていた時期だった。
火刑から救うとか、王と王妃の仲直りとかはアーサー王物語でもあるんだが、このような「火刑命じる⇒仲直り」って普通にあったのか。私は騎士と姫や王妃の恋愛は、そんな不安定な暮らしだったら自分にために命をかける騎士は必要だという必至なものであり、そして不安定だからこそ燃えたみたいなものもあったと思う。
しかしアーサー王物語ではイズーが「真の恋人は、グィネヴィア王妃と騎士ラーンスロット、トリスタンとイズーの二つだけ」と言ったことになっているが、それはやり過ぎな感じが(-_-;)
こちらの『トリスタン・イズー物語』は観客に聞かせるために語られた話なので、トリスタンとイズーが身の潔白を明かすときには魔���?とか奇跡とかが顕れたり、悪の諸侯たちがすっきり退治されたり、二人の気持ちがすれ違っちゃったりと色々な盛り上がりが。おそらくだが、語るときは「トリスタン・イズー物語の中から◯◯の段を」という感じで語っていたんだろう。
それにしても二人の恋愛を「計らずも媚薬を飲んでしまったんだから仕方ないじゃん」というのは、やはり「不倫は良くない」という風潮もあったんだろうか。しかも二人で離れなければいけないと決意して離れたのに、お互いに「あの人からの便りがない!恋人は自分を忘れてしまったんだ!」と傷付いたりせっかく再会したのに冷たくしたりとちょっと面倒くさい^^;
最期は再会は叶わず、しかしほぼ同時に死ぬという悲恋ではあるが、悲愴さはない清々しさを感じた。
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#901「トリスタン・イズー物語」
伝承世界の「トリスタンとイゾルデ」の物語を、中世の文献学者・ベディエが各種流布されたものを編集しました。「皆の衆」などと云ふ呼びかけが面白い。佐藤輝夫氏の翻訳も名調子であります。
よく比較される「ロミオとジュリエット」に比べて支持が低いのは、前者が無垢な純愛をしがらみに阻害される悲劇に対し、此方は結果的に王妃(イズー)と妻帯者(トリスタン)の不倫物語である事が大きいでせう。それからフランスには「沙翁」がゐなかつたからかも......