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レイモンドカーヴァーを初めて読んだ一冊。
確か春樹先生にハマっていた頃に読んだ本で、村上作品の一部を読んでいる感覚でした。
確かに春樹先生の作品は素晴らしいけれど、違う翻訳で読んだ方が、または原文で読んだ方がいいのではないかと思います。
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091221(a 091228)
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多分結構リズムが合うんだと思う。
ストーリーを覚えてる人は少ないんじゃないかしら。後味がよいと思う。好き。
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20年前に「読みたい」と思ったまま積読しといた一冊を、やっと読み進めるという、まずはそこんとこにちょいと感慨…
潤っているように見えていたものが、ラストに至って一気に色彩を失っていくようであったり、
逆に感動もなく渇いているかのようなシーンが、たっぷりと何かで満たされていくような感覚におそわれたり。
心地よい「裏切り」という小説の醍醐味に満ち満ちた短編集。
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初掲載は「海」という今はなき中央公論社の文芸雑誌。学生時代に読んだそれは今でも大事にとってある。当時村上春樹の初期3部作は読んでいたので、この人の訳、というのにも惹かれて。その後ハードカバーのカーヴァー全集も買った。ブクログリストにそれがないので文庫版で登録。若い私には衝撃だった。特に「ささやかだけど、役に立つこと」(また題名の和訳がいいじゃないか)。今はカーヴァーを読んだ世代が物書きになって、こういう小説ってあると思うけど、当時はなかったように思う。ネタバレしたくないから言わないけど、こういう悲しみをこんな形で小説にするんだ、日本人にはない発想だなあと。この本に載っている作品から、翻訳者としての村上春樹が好きになった。野間文学賞などをとってすっかり時の人になった3部作以降の村上春樹の小説からは遠ざかってしまったのだけれど。
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日常生活の中に漂う闇のようなものを上手く描き出している短編集。とても、面白かった。特に何があるって訳でもないし、オチもないんだけど、深い味わいがあります。
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レイモンド・カーヴァーの短編集。ストーリーには独特のクセがあり、しばしば「?」が浮かぶ。ムラ・ハルの翻訳は読みやすくて好きです。
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心に染み着いたり心から吹き出したりしたものが、いつしか”心のシミ”となり、それが何かをきっかけに、その人の言動に表れてくる。カーヴァーはそんな瞬間を描く。それが暗い情念であったり、せつない思慕であったりするのだけれど、どれも静かに胸に迫ってくる。
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サクっと読めましたが、それだけでした。
村上春樹が合わないのか、もっと若いうちに読むべきだったのか。
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カーヴァーは初読。『意味がなければスイングはない』を読んでいたら、そこにカーヴァーがアメリカのワーキング・クラスを描く数少ない作家として紹介されており、積読本からピックアップして、とりあえずこの短篇集を読むことに。8つの作品を収録するが、ここにはとりわけてワーキング・クラスを強く読者に意識させるものはない。しいて言えば、表題作の「ぼくが電話をかけている場所」、あるいは「大聖堂」がそうだということになるだろうか。どうもまだ現代アメリカ文学に浸りきれないのだが、おいおい他のカーヴァー作品も読んでいこうと思う。
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短編集。わりと固めの文体で書かれていて、ドキッとさせられる終わり方のものが多い。登場人物が基本的に幸せではない。
好きだった作品、「大聖堂」「菓子袋」
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村上春樹、という小説家に興味を持たなかったのならば、レイモンド・カーヴァーのこの作品を手に取ることも、生涯無かったのだろうなあ、そう思うと、元々の作者であるレイモンド・カーヴァーさんには、申し訳ない気がします。
日本という国に生まれて、日本語を母国語として使っている以上、まずやっぱり、日本語で書く作家を好きになるのが自然な成り行きでしょうし、そのなかで、村上春樹という作家を好きになり、その村上春樹が好きであろう、好きすぎるが故に自ら翻訳までしちゃうくらいな、日本語でない他言語で本を書いている、レイモンド・カーヴァーという人物の著作に興味を抱くのは、まあ、必然なんだろうなあ、と、思う次第です。
この作品、面白いか?と問われるならば、正直に申し上げて、「うーん、、、よおわからん」という感想になってしまうのは、誠に申し訳ないです。うん、よおわからん小説でした。面白いのか面白くないのかも、深いのかもそれほど内容について考えんで悩まんでいいのかも、よおわからん。「ふーむ、、、ふむ、ふむうー、、、うん、ふむう」という感想しか、無い。そうとしか思えない。どうしたらいいんだろう?謎です。でも、まあ、困るのは、読んでいる自分だけなので、そらもう、どうでも良い悩みであり困りであり、という感じでしょうか。
例えるならば、とあるミュージシャンがいて、自分はそのミュージシャンが、物凄く好きで、そのミュージシャンのCDはほとんど持っていて、ほとんど愛聴している、気がする。としましょう。
で、その敬愛するミュージシャンが、「僕はこんな音楽が好きなんですよね~。このミュージシャンが好きなんですよね~」と、とある雑誌のインタビューで語っていた。
そらもう、そのミュージシャンのファンである自分としては、そのミュージシャンが敬愛するところの、別のミュージシャンの作品も、聴いてみたい!って思うやないですか。「あの人が好きなモノは全て知ってみたい!」って思うやないですか。人情として、そう思うやないですか。で、ドキドキしながら、そのミュージシャンが敬愛する別のミュージシャンのCDを聴いてみたら、
「うーむ?うむ?なんだか、この作品は、、、自分には、よおわからん、、、」
と、途方に暮れる、あの感じ。それを、村上春樹さんが訳す、外国の作家の作品には、いつも感じます。何故に、村上春樹さんが好きな自分は、村上春樹さんが訳す、村上春樹さんが大好きであろう、外国の作家の作品が、そこまでピンとこないのだろう?謎だ。本当に謎です、うん。
「出かけるって女たちに言ってくるよ」
は、なんといいますか、無茶苦茶、怖いですね。これはもう、怖い。人間という存在の持つ狂気を、間違いなく、描いている気がします。ジェリー・ロバーツは、あの女の子二人を、石で、殴り殺した、ということ?なんですよね?何故にそれに至ったか?ということは、一切言及せずに、「その雰囲気だけ」を、ひしひしと、感じさせる、あの感じ。怖い。怖いわあ~。ジェリーは、どこに「でかけた」のか?決して帰ってくることのできない場所に、でかけてし���ったんだろうなあ。ビルは、女たち(妻と、親友のジェリーの妻)に「ちょっといってくるよ」って、言った時は、直ぐに帰ってくるつもりだったのだろうに。まさか、あんなことになるなんて、想像だにしていなかっただろうに。怖い。怖すぎます。
あと、この作品、1983年?に、日本語版が刊行されているようなのですが、2018年現在からすると、38年前?とんでもねえ大昔だなあ。でも、インターネットも携帯電話もスマホもパソコンも無い筈の時代の作品のハズなのに、一切、古さを感じさせないのは、どーゆーこっちゃ?とかね、驚異に思いますね。何故に古びないのだ。「だっさー、ふっるー、時代遅れやっちゅーの」という感じは、一切感じませんでした。凄いですねえ。
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2018.6.17
昔すごく好きだったのだけれど、なんだかあまりこれはよくわからなかった 誰かの個人的な体験すぎて、自分がこの小説のニュアンスをきっちりと受け取れていない感じがする
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「大聖堂」を読みたかったのだ。
先に奥さんのテスの作品を読んだからね。
単純に旦那さんの立場から書いてあるんだろうなと思ったけれど、けれど「単純に」ではなかったもちろん。
なんというか全編とても不安。幸せそうに暮らしている男性と女性がちょっとしたことでぎくしゃくしたり、ほころびができるあたりが、とても不安。でもうまいなあと思う。
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カーヴァーののこすしこりみたいな感情が心にずっとのこっていて、なんてことない短編ばかりなのになぜかけっこう覚えている