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個人的には、E・ブロッホの思想はベンヤミン以上に捉えにくいように感じる。ブロッホはかつて、自分とベンヤミンが「Nebenbei(ちなみに)へのセンス」を共有していたと語った。著者はこの言葉を引きつつ、ブロッホとベンヤミンは、アビ・ヴァールブルクの「神は細部に宿り給う」という言葉をもっとも深く理解する思想家だったと述べている。だが、ともすれば体系的な理解へと浮き足立つ読者をどこまでもはぐらかし続けるベンヤミンの場合、理解が明瞭な焦点を結ばなくてもそのことに不安を覚える必要はない。これに対して、ぎりぎりのところで体系化への志向を手放そうとしないブロッホの著作はそうした開きなおりを許さない。私がブロッホの方を難解だと感じるのも、もしかしたらそのせいなのかもしれない。
本書は、ブロッホの生涯と思想をていねいにたどった評伝である。日本語で読めるブロッホのモノグラフィがきわめて少ない中では、重要な一冊といってよいだろう。とくにルカーチやベンヤミンとの交友や表現主義論争については、関係する多くの資料を紐解きつつ、立ち入った考察が展開されていて読み応えがある。ただし、野村修『ベンヤミンの生涯』、池田浩士『ルカーチとこの時代』(ともに平凡社)の姉妹編ともいうべき本書は、左翼的な文脈の中でのみブロッホの思想を論じているため、今日ではやや古びているという印象は否めない。
ブロッホは表現主義の芸術作品だけでなく、ドイツの伝統的な民話、ユダヤ教におけるカバラの伝説やハシディズムの物語、東欧ユダヤ人の卑俗なジョークなどを語る人々の無意識の中にひそむ「まだ意識されていないもの」の内に、過去の抑圧された異端宗教の育んだ革命的メシアニズムの地下水脈を見いだそうと努める。本書では、こうした彼の思想的モティーフを、『ユートピアの原理』『革命の神学者トマス・ミュンツァー』『この時代の遺産』『希望の原理』といった主要著作の内にたどっている。
近年、ブロッホの著書の翻訳がいくつか復刊されているのを目にするが、もしかしてブロッホの思想に今ふたたび注目が集まっているのだろうか。もしそうなら、一足先に左翼的な文脈から解放されて、新たな読みの可能性が次々に提示されているベンヤミン研究のような状況が、ブロッホ研究にも訪れることを期待したい。