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環境経済学のブックレポートに選んだ本。環境問題を考える上で切り離せない、経済のあるべき姿を、人間らしくあることの素晴らしさや、真の幸せとは何かを説きながら説明している。人間は大きくなろうとしたり、大きなもの(富)を手に入れることが幸せだと思ってたりするけど、結局人間自体が小さいのね。見方を変えれば、そんな人間の小ささを受け入れて生きていく方が、大きな幸せにつながってたりするのね。環境問題や貧困、平和問題について考えてる人にはぜひ読んでもらいたい。
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僕にとってこの本は、行き方の哲学書。経済額とかいてあるけど、経済をやっていない人でも読める。ここに書いてあるエネルギー危機は今でも有効だし、SMALLに生きることが今あらゆる面で大切だと感じている。
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とても30年前に書かれた本とは思えません。フリードリッヒ=シューマッハーの代表的著作。拡大し続けることを是とする現代経済に問題提起した名著です。いまこそ再読されるべき一冊。
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E・F・シューマッハの代表作。
理想的ではあるけど、その考えはとてもすばらしい。
中間技術に関してはインドで実際近いものを見てきて、より彼の考え方に感動しました。
とてもインスピレーションを与えてくれた本です。
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適正技術という考え方は、開発の様々な分野で応用されている。環境問題、途上国開発に興味のある人ならば必読書の一つだろう。
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ラミスさんの本で紹介されていたのでずっと読みたいなと思っていた本。
これ読んで思ったんは…ラミスさんこの人にかなり影響受けてるなってこと。シューマッハーは経済学者でラミスさんは政治学者なので、より政治にフォーカスしたとこと、日本で教えていたことから日本について語ったことが違うかな。
基本的な問題意識はラミスさんと一緒。
現代社会の消費主義が環境を破壊していてこの先長くないだろうこと、もうひとつは現代人は唯物的快楽主義に走っていて、ものを消費することで幸せになっていると感じているけれども実はそれが貪欲と嫉妬心を生み出して人間が互いに争い合うことになっているということ。
この意識をベースに各章で色々な問題を取り扱っている。
例えば今は仕事は「生きる為」の手段であるが、本来は楽しむためのものでもあるということ。今は仕事を楽しむことができないから高い給料や余暇を得ようと必死になっているということ。
近代学問が科学に傾倒しすぎているという点についても述べていて、確かに論理的科学的に様々なことを解明することも重要だけど、それだけではなくて形而上学、哲学もきちんと学ばなければいけない。例えば、物理を習うならば何故物理を学ぶのかということも考えることが必要ということ。こういう視点は文系科目でさえももはやあまり持っていない。
それと、第三世界の問題。開発の際には農村部・最底辺の人々の発展を心がけなければ結局都市部の発展もないということ。(これは前に先進国の問題としても同じことが書かれていて、農村部、農業の発展に力を入れないと人は都市部に流れ込んできて安定がおかされる)
最後の第四部では組織と所有権ということが書かれていて、会社内部の運営方法とかが書かれていた。組織でもなんでも効率化をはかって大きくすればいいというもんではない。これはとても納得する。
ということで、とても面白い一冊でした。
私がシューマッハー、シューマッハーから影響を受けたラミスさん、そしてラミスさんから影響を受けた私。
共通するのは、3人ともガンジーを通ってきているということ。
原点はガンジーなのか。
後、この本が世界でベストセラーになったという話はかなりショックだった。
ベストセラーになったのだ。
たくさんの人がこの本を読んだのだ。
それでも世界は変わらないのか。
伝えるだけではやっぱりだめなのか。
情報が錯綜する現代では、トマス・ペインの「コモン・センス」が世の中を変えたようにはいかないのか。
それとも、私が知らないところで何か変わりはじめているのか?
「…このグループの人たちは、人類が誤った技術進歩の道に踏み込んでしまったので、方向転換が必要だと確信している。いうまでもなく、「ふるさと派」という呼び名には宗教的な含みがある。というのは、時代の流行に「断固として反対し」、必ずや全世界を制すると見えた物質文明の前提そのものを疑うには、大きな勇気が要るわけで、その勇気は深い信念からしか生まれてこないからで��る。将来への不安だけで反対しているのであれば、それはいざというときには消えてしまうだろう。」
私にとって深い信念。何やろうそれは。
「常識」に疑問を呈すことは本当に難しい。くじけそうになる。だから信念を強くすると同時に、同じ想いを持っている人たちと合流したい。
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1973年に書かれた本だが、内容は古さを感じず素晴らしい。著者の洞察力にはただ驚かされるばかり。
とても読み応えのある本で、久しぶりに、時間をかけてじっくりと本を読んだ。一文一文の内容を噛み締めながらようやく読み終わった。
社会のあるべき姿、人間が持つべき思想など、すごいことが多く書かれている。これからも何度か読み返すことになるだろう。
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著者シューマッハ、ドイツ生まれイギリスに帰化。本書は1973年出版。
思想の根底に宗教・哲学をおく経済理論家、実践家。
エネルギーと経済の問題に関わり続ける一方、有機農業、神秘主義にも関わる。ビルマ経済顧問として仏教にも触れる。
三十年以上も前の著作だが、現代に当てはまり、示唆に富む。
キーワード:意識改革・教育・土地の保全利用・大量生産ではなく大衆による生産体制-中間技術など。
●富を求める生活態度は自己抑制の原理を欠いているので、有限な環境とはうまく折り合えない。
●経済の観点からすると英知の中心概念は永続性。精神や道徳上の真理の問題が出てくる。
●新たな技術革新の要点:安くて誰でも手に入れられる。小さな規模で応用できる。人間の想像力を発揮させる。
●様々な行為の善悪規準「経済的か不経済か」。そこには人間が自然界に依存している事実の無視がある。
●現代経済学と仏教経済学で、前提となっている価値の違い。
現代経済学:適正規模の生産努力で消費を極大化。
仏教経済学:適正規模の消費で人間としての満足を極大化。
人間としての満足とは「仕事を通じた人間性の純化。人格の向上」など。
●自然界には均衡、調節、浄化の力が働く。技術はみずから制御する原理を認めない。
●どんな制度も機構も学説も必ず形而上学的な土台(人生の意味と目的についての考え方)の上に立っている。
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人間が必要以上に大きくし、手に負えなくなっているようにさえ感じられる経済・石油・原子力発電……。
50年も前に書かれたものとは思えない、鋭い指摘。
小さいものの中に、必要な真実がある。
いまの社会の被災~電力不足~原発の問題を踏まえ、あらためて原点に立ち返って考えてゆきたい視点です。
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2011年28冊目。
タイトルに反して、インパクトは非常にビッグ。
資源問題・原子力・教育・途上国開発・巨大企業・・・
30年近く前に書かれたものとは思えないくらい現代になぞらえて読める内容がずらり、そしてドキリ。
物事の背後にある目的や哲学を非常に大事にしている。
現代人必読の書。
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今週おすすめする一冊は、E.F.シューマッハーによる『スモールイ
ズビューティフル』です。シューマッハーという名前は聞いたこと
がなくとも、「スモールイズビューティフル」という言葉は恐らく
どこかで聞かれたことがあるのではないでしょうか。1973年に発売
されるや世界中でベストセラーとなり、40年たった今でも開発や環
境を学ぶ人々に影響を与え続けている現代の古典です。
シューマッハーというのはなかなか興味深い人生を歩んだ人で、学
生時代、シュンペーターやケインズといった大物経済学者のもとで
経済学を学んだ後、色々な仕事を転々としますが、39歳で英国石炭
公社にポストを得てからは、60歳で引退するまで勤め上げます。公
社に勤めながらも、論文を寄稿したり講演をしたりはしていたよう
ですが、学者ではなく、基本は実務の世界に生きた人です。本書を
著したのも、公社引退後の62歳の時。遅咲きの花でした。
公社職員と言うと生真面目な印象がありますが、実際は、神秘思想
や仏教にどっぷりとはまり、有機農業もやるなど、かなりラディカ
ルな側面もあったようです。63歳までに7人の子をもうけていると
ころを見ても、端正な顔からは想像もできないようなエネルギーを
内に秘めた人だったのでしょう。
本書は、そんなシューマッハーの人生の総括とも言える書で、書き
おろしというよりも、既に発表した論文や講演録を集めて編集した
ものです。そのぶん、まとまりには欠けますが、同じテーマを手を
かえ品をかえ繰り返す、まるで変奏曲のような仕上がりになってい
るとも言えるでしょう。
本書で繰り返されるテーマとは、結局、人間が幸福になるシステム
とは何か、ということに尽きるのではないかと思います。それは、
一人ひとりが人間らしく生きられるようなシステムのことで、それ
を実現するために必要なのは、一人ひとりが生産手段を持つこと。
つまり、仕事の奴隷となるのではなく、仕事の主として、何らかの
ものをつくり続けること、となります。
ガンジーの言葉を引きながら、大量生産(mass production)では
なく、大衆による生産(production by the mass)をと説き、「人
間は小さいものである。だからこそ、小さいことは素晴らしい」
(Man is small, and therefore, small is beautiful)と訴えた
彼の頭の中にあったものは、仕事の奴隷とならない働き方であり、
そのための科学・技術の使い方だったのだと思います。
そのためのキーワードの一つが「スモール」なのですが、本書を丁
寧に読んでいくと、決して、「小さいことがベストだ」と言ってい
るわけではないことがわかります。「大か小か」「秩序か自由か」
というような二律背反の中で、両方のいいとこどりをするようなバ
ランスの取り方こそが、シューマッハーの求めていたものです。
決して読みやすい本ではありませんが、ものづくりや人を幸せにす
る技術のあり方について考えている人にとっては、極めて示唆に富
む一冊になるはずです。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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資本の大部分は自然からもらうものであって、人間が造りだすので
はない。(中略)われわれを取り巻く生きた自然という資本を無駄
遣いすると、危険に瀕するのは生命そのものである。
科学・技術の方法や道具は、
――安くてほとんどだれでも手に入れられ、
――小さな規模で応用でき、
――人間の創造力を発揮させるような、
ものでなくてはならない。
以上の三つの特徴から非暴力が生まれ、また永続性のある人間対自
然の関係が生まれてくる。
家族の次に社会の真の基礎を成すのは、仕事とそれを通じた人間関
係である。その基礎が健全でなくて、どうして社会は健全でありえ
よう。
英知を求めるには、貪欲と嫉妬心という、今自分を支配しているも
のを捨てなければならない。捨てたとたんに訪れる静けさが――長
続きしなくても――他の方法では得られない英知に満ちた洞察を与
えてくれるのである。
仏教的な観点からすると、仕事の役割というものは少なくとも三つ
ある。人間にその能力を発揮・向上させる場を与えること、一つの
仕事を他の人たちとともにすることを通じて自己中心的な態度を捨
てさせること、そして最後に、まっとうな生活に必要な財とサービ
スを造り出すことである。
ものごとを建設的に成しとげるためには、つねにある種のバランス
を取り戻すことが何よりも必要である。今日、人びとはほとんど例
外なく、巨大信仰という病いにかかっている。したがって、必要に
応じて、小さいことのすばらしさを強調しなければならない(もし
も、ことの性質や目的と無関係に、小さいことが盲目的に尊ばれる
ようなことになったら、この逆のことをしなければならない)
自己の潜在能力を花開かせ、「自然に」身についているよりも高い
存在の次元、高い「意味の段階」にたどりつくのが、おそらく人間
の課題であろう。あるいは、人間の幸福だといってもよい。
ガンジーが語ったように、世界中の貧しい人たちを救うのは、大量
生産ではなく、大衆による生産である。(中略)大衆による生産の
技術は、現代の知識、経験の最良のものを活用し、分散化を促進し、
エコロジーの法則にそむかず、稀少な資源を乱費せず、人間を機械
に奉仕させるのではなく、人間に役立つように作られている。
私は技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立
ち返らせることができると信じている。それは人間の背丈に合わせ
る方向でもある。人間は小さいものである。だからこそ、小さいこ
とは素晴らしいのである。
人びとの第一の願いは、なんらかの仕事について小額なりとも収入
を得ることである。自分の時間と労働とが社会に役立っているとい
う実感をもてば、はじめてこの二つのものの価値をさらに高めよう
という意欲が湧いてくる。だから、みんなが何かを作るほうが、一
部少数の人がたくさんのものを作るよりだいじなのである。
最良の援助は、知識の援助であり、役に立つ知識を贈ることである。
知識を贈るのは、モノを与えるより数段まさっている。(中略)モ
ノを贈ると、受け手に依頼心を起こさせるが、知識の贈り物は――
もちろんそれが正しい知識だと仮定して――独立心を与える。
一人の労働者にある生産用具を装備させるのに100ポンドかかる
とすると、同じ100ポンドを使って100人の労働者に、その用
具の作り方を教えることが十分できるだろう。
樹木は人間の必要とするものをほとんど満たしてくれる。インドが
生んだ賢者の一人である釈尊は、その教えの中で、よき仏教徒は例
外なく、少なくとも五年に一本木を植え、これを育てるべきだと説
かれた。この教えが守られていた間は、広いインドの国土は木で覆
われ、汚れを知らず、水と緑陰と食料とそまざまの原料が豊かにあ
った。
この世に生を享けた人はだれでも、手を動かして生産的な仕事をす
るのがごく自然の姿であり、またそれは知恵さえあればできること
だという感覚を取り戻すならば、私は失業問題は消滅し、やがてや
らなければならないすべてのことをするにはどうしたらよいかとい
う、次の問題に取り組めるだろうと思っている。
大規模な組織はたぶん消えてなくならない。であるから、それにつ
いて考え、理論家することがなおのこと必要である。流れが早いほ
ど、舵とりにはいい腕前がいる理である。
いちばんだいじなことは、大きな組織の中に小さい単位を作り出す
ことである。
人間にとっての本当の問題は、すべて秩序と自由の二律背反から生
まれてくる。二律背反とは、二つの原則の対立、権威の葛藤であり、
いずれも根拠のある原則間の対立のことである。
結構なことではないか。それがまさに人生である。人生は二律背反
に満ちていて、論理では律しきれない。
理論と実践の交流が必要なことをいちばんよく定式化したのは、私
の知る限り毛沢東である。彼はいっている。「現場へ出かけて現場
の人たちから学びとれ。次に彼らの経験を原則と理論にまとめよ。
ふたたび現場に戻り、彼らによびかけてその原則、理論を実際に応
用して問題を解決し、自由と幸福を実現するように努めよ」
いたるところで「私には実際何ができるのでしょうか」という質問
を受ける。答えは簡単であって簡単ではない。各自が自分の心をと
とのえること、というのがその答えである。
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●[2]編集後記
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昨日、ヨーロッパ出張から戻りました。ロンドンの後は、ベルリン、
パリ、ストックホルムへ。移動し続けの1週間でした。
最後に訪れたストックホルムは、初めて行くところだったのですが、
港に囲まれた綺麗な街でした。気温は氷点���10度まで下がり、雪
もかなり積もっていたので、街の様子はいまいちわからなかったの
ですが、今回訪れた都市の中では、一番気に入りました。今度は、
夏にでも訪れたいものです。
この出張では、欧州の色々な企業の人達と話してきたのですが、欧
州では想像以上に「グリーン」が企業戦略の中に組み込まれていま
す。日本のようにしぶしぶ対応するのではなく、これから伸びるべ
きビジネスのキーワードとして「グリーン」を挙げている。正直、
ここまで進んでいるのかと彼我の違いを思い知りました。
とまあ、充実した一週間だった一方で、家をこれだけ離れるのは実
は娘が生まれてから初めて。留守中、娘はインフルエンザにかかっ
て体調を崩していたせいもあるのですが、毎日、「パパがいない。
パパに会いたい」と言って、最後には、大泣きしたそうです。
帰宅後、久しぶりに娘と風呂に入ったのですが、彼女は確かめるよ
うにずっと僕の顔をなで回していました。自分に会いたいと言って
泣いてくれる人がいる。顔中を優しく触られながら、そのことの幸
せを噛み締めていました。
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私がちゃんと今現在の社会の仕組みと出版当時の社会の仕組みを理解していればもっと面白かったんだろうな〜、、、と思いながら読んでいたら、最後にちゃんとぴったりな文章が引用されていました。
「知恵がとくに重要だというのは、善を実行するには現実をよく知ることが先決だという意味である。ものごとをよく知り、それがどういう状態にあるかを心得ている人だけが、善をなしうる。知恵がとくに重要だということは、いわゆる『よい意図』とか『善意』では不十分だということである、、、」
貨幣経済がなくならない(その可能性がないことになっている)理由が理解できる日が来そうにない私には遠い道のりみたい。
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目次
訳者まえがき
第一部 現代世界
第一章 生産の問題
第二章 平和と永続性
第三章 経済学の役割
第四章 仏教経済学
第五章 規模の問題
第二部 資源
第一章 教育ー最大の資源
第二章 正しい土地利用
第三章 工業資源
第四章 原子力ー救いか呪いか
第五章 人間の顔を持った技術
第三部 第三世界
第一章 開発
第二章 中間技術の開発を必要とする社会・経済問題
第三章 200万の農村
第四章 インド失業問題
第四部 組織と所有権
第一章 未来予言の機械?
第二章 大規模組織の理論
第三章 社会主義
第四章 所有権
第五章 新しい所有の形態
結び
シューマッハーの人と思想
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大学の先生にオススメされた一冊。
先週、京都・大阪・神戸へと青春18きっぷを使って
一人旅に出たが、その移動中に読んだ。
著者は経済学者であるが、
本の中身は経済の話にとどまらない。
また、現代経済学を批判的にとらえており、
たとえば経済学はすべての財を同じ取り扱い方をする、
つまり自然から得ている資源もそうでないものも同じ扱いをすることへの批判、などを
私も日々感じているもやもやを
うまく文章で表現してくれたりもしている。
だいぶ古いの本であるが、
彼の先見性には恐れ入る。
原子力について「政府も国民も原子力の『採算性』にしか目を向けていない」
としているが、全く持ってその通り。
何回も繰り返し読んでいきたい本だと思う。
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E.F.シューマッハー「スモール・イズ・ビューティフル~人間中心の経済学」を読む。
この翻訳本は1986年に発行されたものの、原書は1973年の刊行。当時は相当な異端書として排斥されたらしいが、現代にとってはまさに啓発書というべきではなかろうか。40年前に書かれたとは思えないほどに新鮮だ。
現代の物質至上主義、経済至上主義がもたらした弊害はもはや云うまでもない。自然を破壊・汚染し、人間の尊厳・自由を抑圧し、企業組織や都市社会においても集中と肥大化を生み、かえって空洞化や人間疎外を進行させているのは衆知の事実だろう。しかし、そういう衆知の事実であるにも拘わらず、今なお、経済至上主義、しかもそれは数字による経済と云うべきものだが、がまかり通るのはいったい何故なのか。経済成長率が常にニュース種になり、GDPに一喜一憂し、政府の施策は常に経済が念頭におかれる。原発問題はまさにしかり。経済の維持・成長のためと云えば、その言葉はあたかも黄門様の印籠の如き感がある。極端に云えば、そこには人間を見つめる視点が欠けているとも云えよう。
世界第二のGDP大国にのし上がった中国。しかしこの中国のどこに豊かな国の姿を見ることができるだろうか。経済成長は富裕者にさらに富を与えて極端な格差社会を作り上げ、農村から大都市への激しい人口流入をもたらしてほとんど農村というものを壊滅させている。眼を転じればかっての日本がそうだったわけで、東京都市圏への人口集中と地方の過疎化は日本に大きな歪を発生させたことは云うまでもない。
自分とて、かっては経済こそが国を豊かにすると信じてきた人間の一人ではあったが、今、こうして社会の一員として日本を見るとき、いったいこの国はどこへ行くのだろうかと思う。教育の衰退と地に落ちた道徳観念、年間3万人を超える自殺者や異常犯罪の頻発する行き場のない人間社会、不夜城のような大都会の一方で眼にあまるほどの農作放棄地・・・・などなど、何一つとして政治が注力されてきた気配はない。
経済至上主義のもと、その数字を追えば追うほどに加速度的に害毒は拡大すると云えるのだろう。そもそも国が永遠に繁栄することなどありえないのだ。「かっての贅沢品を今では誰もが持つ」状況となり、国民一人ひとりが一定レベルに達した今こそ、「価値観を改め、政治の目標を切りかえる」ことが求められているのではなかろうか。