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古き良きSFで育った私にはサイバー・パンクと言われるジャンルはちょっと苦手だった。 けれど、これだけは不思議に自然と受け入れられて。 結局“喰わず嫌い”だったって事。
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ある科学者が開発したウィルスに感染し、人類全体に広がってしまうが…そのウィルスが実は新たな進化の可能性を目指していた。
これもカナリ面白いSFです!
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幼年期の終わりがマクロの方向に進化する人類なら、これはミクロの方向に進化する人類。細胞の一つひとつが知能を持つようになることで、知能のある生命体の個体数が激増し… ちょっと難しいところもあるけど面白い、数名の取り残された人たちのエピソードの必然性があまり感じられないような気がした。
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内容
遺伝子工学の天才ヴァージル・ウラムが、自分の白血球から作りだした“バイオロジックス”
ついに全コンピュータ業界が切望する生体素子が誕生したのだ。
だが、禁止されている哺乳類の遺伝子実験に手を染めたかどで、
会社から実験の中止を命じられたウラムは、
みずから創造した“知性ある細胞”への愛着を捨てきれず、
ひそかにそれを研究所から持ちだしてしまった…
この新種の細胞が、人類の存在そのものをおびやかすとも知らずに!
気鋭の作家がハイテク知識を縦横に駆使して、新たなる進化のヴィジョンを壮大に描きあげ、
80年代の『幼年期の終り』と評された傑作! ヒューゴー賞・ネピュラ賞受賞作
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地元新聞の本紹介コラムにこの本を取り上げさせていただいた。もともとSF好きだけど、これでその嗜好を決定的なものにされたって感じ。
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『幼年期の終わり』は文明的進化と書いたけど、この本では「生命体としての進化の行き先」について考えさせらた。(妄想的に)
そしてタイトルのとおり、血液がキーポイント。いつだったか再読の際に「開け!進化のモード!」と叫びそうになった記憶がw
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そして人類は、ミクロの彼岸へと旅立つ。
人類の変容を壮大なビジョンで描き切ったSF、という点で、クラーク「幼年期の終わり」と同一テーマに属する作品。
ただし、圧倒的なスケール感で拡散しまくる「幼年期の終わり」に比べ、こちらで提示されるビジョンは徹底的に内向きかつグロテスク。最終章で示される「救い」の気色悪さは特筆モノ。
人類にとってあまり嬉しくない結末である点はこちらも「幼年期の終わり」も一緒だけど、まだ「幼年期の終わり」の方が前向きなパワーがあると鴨は思いたいです。
2作並べてオールタイム・ベスト級の作品ではないかと。
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ヒューゴー・ネビュラ賞受賞の超名作。
エヴァの元ネタとしても有名。人類補完はノーストリリアだけど
群体から単体はこっち。
何度読んでもおもしろい!
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チャールズ・ストロス著「アッチェレランド」の「コンピューターで地球が変わってしまう」つながり。ゼロ時代の「幼年期の終わり」に例えられるのが「アッチェレランド」なら、80年代の「幼年期・・・」はこの「ブラッドミュージック」。当時バイオチップが流行っておりました。この作品も白血球から作られたバイオチップが研究所から持ち出され、ウィルスのように感染していくというパニック物の器をかりて、人類が変容していく姿を描きます。最近はバイオブームも去ってしまいましたが、ナノ・テクノロジーも実は排熱(ナノ・マシンは小さいのだが、数が集まるとものすごい熱を発するらしい)の問題があってクリアされないと、またバイオ系が復活するかもしれません。当時すごく面白かったような気がしますが、今、読み返すとどうなんでしょう。ラストもすごくしっとりした感じで、80年代の特徴なのでしょうか。容赦ない「アッチェレランド」と違います。
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80年代版「幼年期の終わり」ねぇ
期待に満ちて読んだ。でもがっかりした。
細胞(遺伝子)レベルの知的生命体が、人類を宇宙に見立てて進化していく。人類はそれらによりその形状すら変えられるが、自身は幸福な進化を遂げていると信じている。
私が嫌いな「電脳空間=サイバースペース」ものだ。この手の世界って嫌いだわ。なんでもありの世界っておもしろくないもの。
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80年代の『幼年期の終り』と評される当著は、ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞の確かな傑作でした。
『幼年期の終り』とは、巨匠アーサー・C・クラークによる人類のより高度な存在へのメタモルフォーゼを壮大なスケールで描いた叙事詩で、あまたのSFオールタイムベスト1位を占有することは周知の事実。
そんな大著と並び評されるが、『幼年期の終り』から感じ取れた壮麗さは皆無で、終始背筋が凍りつく感覚を覚えた。
だってこの本、ただ淡々と事実が積み重ねられるだけで、他人事のようにメタモルフォーゼが進行していくんだもの。つまり、メタモルフォーゼに対する著者の評価が全く読みとれなかったのだ。
事実、一度たりともこのメタモルフォーゼを賛美する言葉に出くわさなかった。呪詛する言葉も同様に。
いや確かに、メタモルフォーゼを容認するような(または否定するような)登場人物の台詞はある。
でも、どこか突き放しているんだよなぁ。
あくまでそれは”登場人物の言葉”であって、”著者の言葉”ではない。
ただ単に議題だけを提示して、バイアスもかけずに、あなたの価値観で判断して下さい、はいどうぞってパスをうけた感じ。
うーん、冷酷。
個人的には、メタモルフォーゼが、ドラッグみたいなマヤカシにみえたので嫌悪感しか抱けませんでした。
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去年話題を呼んだ「ジェノサイド」など「人類という種」の未来を語る小説は今でこそ珍しく無くなったが、その元祖はといえばクラークの「幼年期の終わり」ということになるだろう。
初めて読んだとき、あまりのスケールの大きさに僕らは驚愕したものだった。
そして、その驚愕を全く新しい形で、よりリアルに、より実感を伴って上書きしたのが、「ブラッド・ミュージック」なのだ。
だが、新しい驚愕は「幼年期の終わり」ほど能天気な希望に満ちてはいない。苦い味を伴った究極の問いを読者に投げかけてくる。「進化を受け入れるか、否か、あなたならどうする?」と。
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バイオ工学がもたらす壊滅的な宇宙の崩壊!SFならではの壮大な展開
人生の50冊 SF編 ベスト1
ヒューゴー&ネビュラのダブルクラウンですが、
今では知る人ぞ知る傑作で、
SF史上初めてバイオハザードが取り上げられた作品です。
「考える細胞」というワン・アイディアを良くぞここまで論理的に展開させた!
とSFの持つ底力や可能性を実感しました。
印象的なのは「考える細胞」が増殖して行く中で、
彼らの「観察」や「思考」のエネルギーの総量が、
不可避的に増大し、
それによって世界が崩壊して行く過程が
とてもSF的で、いっそ爽快なこと。
そのあり得ない位の飛翔感こそ、SFの醍醐味なのです。
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A brilliant but unorthodox researcher has exceeded ethical guidelines for genetic research to engineer blood cells that think for themselves. Once his illegal experiments are discovered, he injects himself with the deadly serum to save his creations. The author has won Hugo and Nebula awards.
遺伝子工学の天才ヴァージル・ウラムが、自分の白血球から作りだした“バイオロジックス”―ついに全コンピュータ業界が切望する生体素子が誕生したのだ。だが、禁止されている哺乳類の遺伝子実験に手を染めたかどで、会社から実験の中止を命じられたウラムは、みずから創造した“知性ある細胞”への愛着を捨てきれず、ひそかにそれを研究所から持ちだしてしまった…この新種の細胞が、人類の存在そのものをおびやかすとも知らずに!気鋭の作家がハイテク知識を縦横に駆使して、新たなる進化のヴィジョンを壮大に描きあげ、80年代の『幼年期の終り』と評された傑作!
・レビュー
グレッグ・ベアによる1985年の作品『BLOOD MUSIC』の邦訳、これはヒューゴー賞とネビュラ賞をダブル受賞した、SF史では有名な古典作品。分子ナノテクノロジーを扱った初のSF小説とされていて、SF好きなら名前くらいは知っていることが多いと思う。人類の進化をテーマとしている、アーサー・C・クラークの古典名作『幼年期の終り』と並び称される事もかなり多い。後述するけれどその内容に関して言えば似ているのではなく踏まえているといった感じ。現代日本人からしたら多分エヴァンゲリオンがこれを踏まえて作ってあると見て間違いないんじゃないかと言ったほうが興味を惹かれるかもしれない。
内容を改めて紹介すると、これはヴァージル・ウラムという天才科学者が、自分のリンパ球から作りだした知性を持つ細胞「ヌーサイト」を血液に注入して研究所から持ち出し、やがて全地球と全人類、そして宇宙をも巻き込んだ進化と変革に発展するといった話。
まあややネタバレの文章ではあるけれどこのあたりは最初から知っていて読む人がほとんどであろうと思う。
80年代版『幼年期の終り』といわれるのはいくつかの同一のテーマを扱っているからだ。まずは人類が変態して、あるいは進化して、別の存在になっていく。その先の目的や結末、経過、ミクロかマクロかなどと掘り下げていくと、むしろ『幼年期の終り』とは逆になっている部分も多いことに気づく、その一方で終始『幼年期の終り』を思わせる雰囲気はあり、作中の描写の幾つかは『幼年期の終り』を知っているとなかなか面白く思えてくるものばかりだ。
全く別の作品と言っていいくらい関連はないのだけれど、やはり両方を読むことをすすめたくなる。
人類のメタモルフォーゼを極限まで推し進めた~という表現を色んな場所で目にするのだけれど、まさにそこが面白いところだと思う。『幼年期の終り』は、タイトルが秀逸で、まさに幼年期が終る「メタモルフォーゼ」だ。『ブラッド・ミュージック』もまたタイトルが実に秀逸。このタイトルの意味は読者が結末を目にするときにきっと自然と想われることだろう。
あとはネタバレになってしまうからブログ(哲学のプロムナード(ΦωΦ)黒猫堂)の方に書くけれど、やはりこの小説は「タイトルの意味」「情報力学」「進化の先(幼年期の終りとの比較)」の三本柱かなと思う、特に全くここでは触れることができないネタバレ要素なのだけれど、情報力学に関してはこれを読みたいがためにここまで読んできたと思わせるくらい面白かった。
読んで損はしない名作SF。
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全然古臭くなくて面白かった。どきどきした。バイオテクノロジーで生まれた知性ある細胞群が、人体を、世界を侵食していく。
初めは人体を自分のたちの住む世界としか考えていない彼らは、住処である人体を調べながら都合よく改変していく。このあたりはかなりグロテスクで怖く緊迫感がある。
やがて人という存在を認識し、人とコミュニケーションを取り始める彼らだが、その辺りからストーリーは全く予想つかない領域に突入していく。人とは異なるミクロの世界を観測する彼らの影響力は凄まじく、人体のみならず世界法則にまで影響しはじめる。彼らは人を、世界をとう変えていってしまうのか。
全く価値観の異なる知性体どうしの出会いと共生の物語は寄生獣を思い起こさせたが、寄生獣が個の変化や個と個のつながりを描いたのに対し、この作品は容赦ない世界のダイナミックな変化を描いているのかなぁと思う。
人間がもし爆発的に宇宙に広がり始めて、星の意識や宇宙の意識を発見し、認識し、コミュニケーションを取り始めたら、なんて妄想も広がる。
細胞内の反応をこんなに詩的に美しくリズミカルに表現できるんだなぁというところも見所の一つ。