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うーん、あぶない。知的な主人公、けっきょくはあっちの世界の人になってしまうのね。でもやつらは実在する?戦争はひとときも終わったことはない。栗本さんはテーマをびしばし登場人物に言わせてもさほどうっとーしくないね。語らせる部分が多い。『1984年』を先に読んどいてよかった。'92
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ゲルニカ,エグゾゼ,1984年(オーウェル)という要素が、どう重なっているかよくわからなかった。
1960年代に「1984年」という作品を読んで、将来が不安になったことがあるので、栗本薫の書いていることには思い当たることもある。
ゲルニカには行った事がないことと、現物をゆっくりみたことがないので、安田修平の不安がまだピンと来ていない。
最期に安田美穂が、子供とお腹の中の子供を思う気持ちは、栗本薫らしい女性として生きて行く前向きの姿勢が見えたところはほっとした。
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オーウェルの1984を読み、これを読んだのが高校生の時。ピカソのゲルニカを見たくてスペインに留学し、改めていろいろ考えた本。何が狂気で何が正常なのか。ベクトルは違うが伊藤計劃の作品と通じる気もする。
結局自分は正常や普通という言葉に違和感を感じるんだろう、それを表現している本に会うのが好きなのだろうと、初めに考えた本。
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かれこれ20年ぶりの再読。
このころの栗本薫はすごく好きで、かたっぱしから読んでた。この話は、なにかの拍子にふと思い出しては、なんだかすごく怖くなる。
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1984年に書かれた本…だったはず。
多分、この本のハードカバーを1984年に見た覚えがあるような気がする。
今から、30年前ですよ。
でも、この小説のなかで語られるこの閉塞感は、今の方がリアルで近くにあると感じます。
30年たって、この小説は、いまなお「今」です。
未来視、栗本 薫。恐るべし。
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ヨーゼフ・ゲッベルスの思想的末裔たる
現代マスメディアに奉仕する主人公は
くだらないイメージの切り貼りに終始するTV屋の仕事に
内心疑問を抱き、誇りを失ってしまったのか
なんの脈絡も持たず最終戦争の開幕に怯えはじめ
恐怖を共有することでのみ人々の心はひとつになると信じる
寂しさ
それゆえにどこかで待ち望んでもいるわけだ
だからこそ、コスプレでそれを茶化すオタクが許せない
アトラクションの戦争でマジになるバカオタクはもっと許せん
おのれオタク死すべし、というわけで
自分がテロリストになってしまうんですね
クソバカやろうである
ソドムの町のロトにしたって、みずから人を裁いたわけじゃないのに
80年代のSF純文学路線において
作者の暗黒面が露骨に映し出された、裏の代表作と言ってよいだろう
後に来る、オウム真理教をはじめとした新宗教ブームはもちろん
見方を変えれば
2008年の秋葉原通り魔事件を予見したものと言うこともできる
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テレビディレクターの主人公安田修平は、ひょんなことから「戦争が始まっている」との考えに取り憑かれ、しだいに破滅していく物語です。だんだん壊れていく様子が描かれ、とてもオソロシイ。
タイトルに「1984年」とありますが、元々はその1984年に SF マガジンに連載されていたもの単行本化された本です。1984年というと、20世紀の終わりが見えてきて、終末論が幅を効かせていた時期です。この本は、すごくそういう時代に書かれたものだなぁという感じがしますね。
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1987(昭和62)年発行、早川書房の文庫本。SF的なフィクション世界や「やおい」的閉鎖世界での(個人のものを含む)滅びはかなり多く書いている作者。しかし、同時代の一般的な社会での滅びはこれ1作のみか。主題としてはファンタジー的な社会でのものと同じのようだが、現代に舞台を持ってくると「社会派」っぽくなるから不思議。で、この作者は「社会派」のものは書けないらしく、どうもギクシャクしているように感じる。
その他:「あとがき」(1987年10月15日)