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異宗教の信者であったが、キリスト教に回心した経緯を語る。
キリスト教理解のためのテキストとして読んだのだが、きつかった・・・。
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ローマ時代末期最大の神学者・聖アウグスティヌスが若き日に犯した罪を神に告白する。
マニ教の知識者との会話でマニ教に疑問を持ちキリスト者なっていく。
2009年2月18日初読
船橋図書館
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4世紀末から5世紀前期に活躍したアウグスティヌスの前半生と執筆時の思想・心境とを自ら綴った書。上巻にあたる本書では、原書の1巻から9巻までが収録されていて、そこには自身の生い立ちから放蕩とマニ教への信奉、そして回心までが描かれています。
本書の中のアウグスティヌスは徹頭徹尾、自身の体験をどこまでも主観的に語っています。それゆえ、身に迫りくるような説得力を持っているように感じられます。放蕩と欲望の様子が生々しく書かれた前半からは、人間としての弱さ、読んでいる私も当然持っている弱さを読むものに突きつけるような、痛烈な悔悟の心情がにじみでているようであり、後半では、習慣と化した欲に満ちた生活とキリスト教の教えとの間で苦悶する姿が浮かび上がり、読んでいる私自身まで苦しくなるようでした。その分、回心の体験はとても感動的で、9巻の最後で語られる、回心を見届けて亡くなった母へとささげた祈りの言葉はとても厳かなものに感じられました。
修辞法、というのでしょうか。本書で用いられる語り方や言い回しはかなり独特で、西欧の古い文献をあまり読まない私にとっては、とても読みやすいとはいえない文体でした。たぶんこれは訳によるものというよりも、原文がこのような(どのような、とはなかなか表現しにくいのですが)文章で書かれているためでしょう。しかし、それをカバーして余りある魅力を本書の内容は有しているように思えます。服部英次郎訳。
(2008年11月入手・2009年9月読了)
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この本は前半は古代の青春小説としても
楽しめます。主人公がキリスト教に回心
するまでの出来事がいろいろと書いてます。
子供がそのへんのりんごの木の実かなんか
をいたずらで盗んだような話を、おお神様
私の罪をゆるしてくださいとか書いてあって
大げさでかわいらしいところもあります。
アウグスティヌスは語学が苦手でギリシア語
ができないのです。多分当時の日常の言葉の
ラテン語しかできないので、努力しなかった
って、反省するのです。
そして、嫁姑問題も書かれていたように
思います。信心深い母モニカ 子供を残し
別れてしまう内縁の妻の悲しい話しもあり
ます。
星占いのいいかげんさについて真剣に論考
したり、わたしが生まれる前、わたしはどこ
にいたんだろう。時間とはいったいなんなの
だろう、とか、本当に盛りだくさんにいろいろ
なことが書かれた本です。後半の聖書の注解で
は創世記のはじめの創造の7日間は実はキリスト
教の発展の預言がかくされているのです。
ものすごく強引で想像力に満ちていますので
中途半端な新興宗教のオカルト史観などこの
本の強引さの前には吹き飛んでしまいます。
読んで損はない1冊です。
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再読。神秘主義的敬虔さが信仰の理由を教えてくれます。決して妄信的でなく、神に語りかけるのは自身の内面を偽りなく見つめた答えです。その清廉さ、誠実さに私の心も動きます。
2014.3.22
かの有名なキリスト教教父の聖アウグスティヌスの告白録。若き頃の放蕩ぶりは有名ですが、そこからカトリックに回心していく下りがもどかしくて、人間の弱さがしみだしていて中々心苦しくなります。上巻の締めくくりは、母モニカの死と、母に対する賛辞で終わります。自分の母としてだけではなく、これを読む全ての人にとって貴い母として知ってほしい、という親孝行はこの書の中でのアウグスティヌス個人としての感情が現れた部分です。神に対する語りかけで終始しています。
2010.12.17
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個人的には、教文館のアウグスティヌス全集版の方が読みやすかったです。
アウグスティヌスの母親は凄い人だなぁと思った。
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烏兎の庭 第二部 雑評 3.30.05
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto02/bunsho/conan21.html
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幼い頃の数年間、プロテスタント系の教会に通っていた。聖書の一節について説教を聞いたり讃美歌を歌ったりクリスマスには東方の三博士の格好で劇をしたりとひと通りはしたものの、しょせんは友達との遊び場であり信心篤く祈ることはなかった(実家は曹洞宗の檀家だし)。その後も大学で聖書やキルケゴールをいくらか斜め読んだくらいが僕自身のキリスト教理解のすべてと言っていい(※)。
さて、アウグスティヌスの「告白」。ラテン語でConfessio、英語ならConfessions。マドンナのワールドツアーでもそんなタイトルのがあったけれど、一般的な語義は罪や悪事の自白、あるいは告解。ここでアウグスティヌスは若き日の悪事を自白する。マニ教会を信仰し、占星術にはまり、女性と同棲して性の快楽に溺れる。僧の身分となった今から見ればまさに罪と言っていい悪事を包み隠さず打ち明ける。
やがて悪事の日々から自らの過ちに気づき回心するわけだが、ここでCofessionのもうひとつの語義が立ち現れる。すなわち"信仰告白"である。いわば元祖”余は如何にして基督信徒となりし乎”。信仰告白の対象は一貫して"神"であり、アウグスティヌスは常に「あなた」と呼びかけながら自らの信仰のありようを語り続ける。外見上は、私を主語としあなたへ向かって一方的に語り続けるわけだが、それは決してアウグスティヌスの独り相撲ではない。アウグスティヌスには、彼をここまで導き、そしていまこの瞬間も彼の告白をすべて受け止め受け入れるべき神の存在を確信している。確信しているからこそ、延々と語りかけ続けられるのであり、その意味においてこの告白は独白ではなく対話だといえる。
そうした個人と神との個別的な関係に確信を持つこと、それこそ信仰であろう。その個別的な関係の前においては教義やしきたりよりも確信こそが重要な意味を持つ。一人一人に個別的な確信=信仰があり得る。解釈の正しさ作法の正統性などは第三者による相対化の文脈においてのみ効力を発揮し、神と当人との絶対的な二者間におあては確信こそが優越する。そう考えるとConfessionのもついま一つの意味が"宗派"であることは象徴的といえるかもしれない。
ここまでで上巻を読み終えたのだけど、さすが三大自伝と言われるだけの深さと読み応え。下巻はいよいよ”時間論”。
※専攻なのでウェーバーもそれなりに読んではいるが、彼が描写するのは社会制度としての宗教であり、信仰ついてはほとんど語ってはいない。日本ではウェーバー好きが結構多くて、キリスト教というとなにかと「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が引き合いに出されるのだが、それは信仰に対する無知と無理解と浅慮とを告白しているように思えてならない。
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■『告白』(上下) アウグスティヌス著 岩波文庫
【後編 復帰摂理/キリスト教】
キリスト教が初代教会の時代を終え、ローマ帝国においての時折の迫害も越え、コンスタンティヌス大帝が公認し、テオドシウス1世が国教として定めたその時期(400年前後)、キリスト教が組織として教義を少しずつ固めていった時代、「教父」という信仰を導き教義の制定に大きな役割をはたしていった人物たちが現れました。その中の一番のビッグネームが、このヒッポのアウグスティヌスです。
アウグスティヌスは「恩恵博士」と呼ばれますが、その所以は「すべては神の恩恵によりなされる」という彼の信仰観からです。当時ペラギウスという神学者もいて、彼は「人間の救いには神の恩恵と人間の努力」が必要と訴えました。原理講論の前編の6章、予定論の内容と似てきますね。アウグスティヌスとペラギウスの論争は、「ペラギウス論争」として知られていますが、結局アウグスティヌスの主張が残ります。原理の立場から考えれば、ペラギウスの言い分の方が理があるように思えますが、当時の教会と信仰的背景から考えると、ペラギウスの考えは少し早かったのかもしれません。「恩恵のみ」という、救いに対する姿勢から、キリスト教の神に対する絶対的な姿勢が生まれてきます。リベラリストから言えば、自由と逆行する流れだといわれるんでしょうけども、復帰摂理の進展から言えば、私はアウグスティヌスで正解だと思います。
内容はというと、アウグスティヌスの自伝です。「告白」というタイトルが物語るのは、自身の悔い改めが色濃く表れている所以だと思います。クリスチャンの母のもとに育ったアウグスティヌスが、10代で恋人と同棲をし、マニ教という異端の教師になり、その教えを説くほどになりましたが、母の祈りと自身の限界状況から、クリスチャンに回心をし、神の恩恵を一途に説く、教父になるまでを描きます。
語り口調は独白ですが、随所に神学的考察と、それに伴う抽象的表現でおおわれているので、慣れない人には読みにくいでしょう。しかし、神学生としては、「読んでないと恥ずかしい」というレベルの本なので、一読はしてほしいです。
キリスト教の教義の確立に大きく寄与した人物として記憶されているアウグスティヌスです。しかし神学を説く教師としての一面だけではなく、クリスチャンと生活をともにし、信仰を導いた一面もあります。個人的に印象的だったのは、上巻の最後、母モニカがなくなるに当たって、アウグスティヌスが母に対する感情を吐露します。そんな中でこういう表現があります。「私は彼女を、私だけの母としてだけではなく、これを読むすべての人にとって貴い母として知ってほしい」。キリスト教へ自身を導いた、母への彼の思いであると同時に、お父様も忠母様に同じことを思われていたことを思い出します。お父様がアウグスティヌスを意識したとは思いませんが、息子が母に対しての最高の敬意を表する言葉として、心に刻まれています。
すべては神の恩恵のみ。この表現だけでは内容は伝わらないと思いますが、読んでいただくと、アウグスティヌスの神に対する絶対的信頼がこの言葉としてあらわされていることがわ���ると思います。信仰の内面的な学びとしても必読です。
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ソクラテスの弁明の3倍くらいおもしろいかったです。
語りの切実さがいい。
上巻は、自分の過去をふりかえり、内省しながら神にむかって告白するような構成。
幼年期が特におもしろかった。考えたこともないようなことが言葉によって分解されていった。
青年期・壮年期は何言ってるんだろうこのひとと思ってしまい読みづらかった。
まだ下巻の途中なので感想はこの程度に留めます。
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カテゴリ:図書館企画展示
2016年度第3回図書館企画展示
「大学生に読んでほしい本」 第2弾!
本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。
山田庄太郎講師(哲学科)からのおすすめ図書を展示しています。
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
開催期間:2016年7月19日(火) ~ 2016年9月16日(金)
開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース
4世紀末から5世紀初頭にかけて活躍したキリスト教思想家アウグスティヌスは、この本の中で幼少期から壮年期に至るまでの自らの半生を、その時々の悩みや思い出を交えながら率直に物語ります。外国語を学ぶのが苦痛だった少年時代。哲学を志した青年期。様々な哲学学派の中での迷い。私が初めてこの本を読んだのは大学生になってからですが、その時々の彼の姿に共感したり、時には違和感を覚えたりをしながらも、夢中で読んだことを覚えています。皆さんもぜひ手にとってみてください。
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聖書、特に詩篇からの無数の引用。アウグスティヌスは詩篇全体をほとんど暗記していたのではないかとさえ思える。聖書の言葉を使って、自分のことを語る。神と心を同じくする。
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2019.6.5
なかなかに読みにくかった。
いにおの漫画のような青春の煩悶からの回心。
上巻は母の死を詩的に綴って終わる。
そして下巻につづく。
もともとの生業が弁論術の教師というのもあるだろうし、私見だがキリスト教自体が秩序へのたゆまぬ意思を内包しているせいで非常に理屈っぽい。
個人的にはギリシアの哲学者からデカルトへ続いていく流れの中にあるんじゃないかなと思った。