紙の本
ナルニア第2弾
2003/01/17 16:21
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:なな - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナルニア国物語の第二段。休みが終わり、プラットホームに電車を待つピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの4人。すると突然別世界「ナルニア」におくられます。ナルニアで四人は1年前(ナルニアの時間とこの世界の時間の流れ方は違う)長く平和な御世を築いていました。けれども今度4人が訪れたナルニアは、テルマール人たちに支配されていました。ナルニアは、物言う獣と妖精たちの国。そのナルニアを復活させ、意地悪な叔父ミラースに王位を奪われたカスピアン王子を真の王とするために、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーが立ち上がります。
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突然ナルニアに引き戻された4きょうだい。かつて所有していた「助けを呼ぶつのぶえ」に、なんと自分たちが呼ばれてしまうというのがおもしろい。呼んだのはテルマールの王子カスピアンで、敵は叔父であり簒奪者である現テルマール国王だ。両陣営ともに裏切りと不信の気配が漂い、シェイクスピア劇を見ているようだ。実際、「マクベス」を連想させる場面もある。(「指輪物語」にも「マクベス」を思わせるシーンが散見される。マクベスは悪い王のアイコンとして、リチャード3世にずいぶん水をあけているようだ。)終盤、アスラン登場とともに、眠れるナルニアの民たち(バッカスや木の精など)が次々と目覚めていく。ナルニア全土に喜びがあふれ、ローマ神話的な祝祭の気分がもりあがる。これを見ると、テルマール王国というのは実はキリスト教による支配をあらわしているのではないか、と思えてしまう。カスピアンは背教者ユリアヌスだ。が、著者は篤信のキリスト教徒であるそうだから、こんな読み方をされたら不本意に違いない。前作と違っていかにも長編の一部であり、読後非常に落ち着かない気分である。7冊読んでからでないと評価できない本のような気がする。(読んだのだが、大昔だ。忘れてしまった。)さっそく続きを読まなければ。
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子供の頃からの大事なシリーズだが、指輪物語やゲド戦記と並んで映像化は無理だと思っていた。
けれど指輪物語が元の作品のイメージを損なう事無く、いやむしろ自分の想像を遥かに超えた映像となって現れたあたりから『もしかすると…』と思いが変わっていた。
はたして映像化された作品を観た時に自分の中の架空の“絵”よりも鮮やかな色で表現された世界に驚くと同時に嬉しかった。
自分の大好きな作品が映像化された喜びもあるけれど、抱いていたイメージが台無しにならなかったから。
自分勝手ではあるけれど、やはり大事な作品のイメージが壊されたように感じるのは楽しいものではないので。
でもやはり自分の中にある“絵”やそれに付随している香や手触りや感触は全然別のもの。
そしてそれはそれで映画を観たあとでも損なわれる事無く存在している。
面白い事に子供の時によんだ頃からそれは変化していない。
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ペベンシー兄弟が出てくる第2弾。あっという間に年月がたってしまっていたナルニア国内の様子に最初は驚きます。
4人とカスピアン王子活躍がたのもしくて楽しい本です。
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これは7冊で人気投票したら下位に近いのではと予想しますが私は好きです。(というか順位はつけられないです。)最後の方に、ナルニア的世界の成り立ちのヒントがちらりとあり、そういうのがすきな人は、「魔術師のおい」を読んでから再読するとおもしろいのでは。私が好きなのは、やはり、子どもたちが再びナルニアへ行った最初のあたりが相変わらず異世界へ入る新鮮な感覚があって好きです。単純にこどもたちが○○○を焼いて食べるだけでも好きですね。
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ナルニアシリーズは想像力を高めるのに最高の本だと思います!
今まで読んだファンタジー作品の中で断トツに好きです☆
頭の中で完璧にできあがっていた世界なので、今後の映像化も楽しみです。
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『ナルニア国ものがたり』シリーズ第2弾。
1話は小学生の頃に読みましたが、なんとなく話の流れに引っかかるところがあり、ずっと続きを読まずにきました。
(あとになって、それは作中のキリスト教観が苦手なんだと知りました)
数年前に2話が映画化されたので、せめてそこまでは読もうと思いました。
寄宿舎学校に戻る途中の駅のホームで、突然兄弟4人が再びナルニアに入り込むというシーンは、まさに『ハリー・ポッター』です。
順番は逆で、ハリーがこちらの影響を受けているのですね。
前回は、魔女が敵でしたが、今回の敵は人間なので、前よりは不気味さや恐ろしさが緩和されていました。
また、前回は悪の手下でまったくいけすかなかった小人が、今度はカスピアンやピーターたちの味方についています。
初めはそれがわからなかったため、カスピアンの先生が小人と知って、危険だとドキドキしました。
それにしても、4人の兄弟たちと会った小人が、現在のナルニアの状態を話すくだりが、この物語の大半を占めていることに驚きました。
あらかた説明してしまっています。バランスの悪さお構いなしのフリーダムなストーリー構造です。
吹くと、助けがやってくるという角笛アイテムや、森が動いて人間たちに攻め込んでくる、というシチュエイションは、彼の友人トールキンの『指輪物語』にも共通して見られるものでした。
アナグマが活躍しましたが、ビーバー夫婦の子孫に再会したかったです。アスランがまた登場して、ほっとしました。
ピーターとスーザンは、大きくなったため、次の冒険からは、ナルニアには来られないそうです。
年齢制限がある国だったとは。
映画のようなカスピアンとスーザンの恋愛要素は皆無でしたが、物語としては変な色気を出さず、冒険ファンタジーとしてまとめているのが一番だと思います。
今回は、前回のような強い宗教観は特に感じられず、楽しい冒険談として読めました。
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2011.2
TVではじめて映画版を見て、「あれ?こんな話だっけ??」と思い再読。ずっとあのままナルニアにいられた方が、きっと幸せだったんだろうなぁ。映画では、もしかしてスーザンもこちらに戻ってくるのかしら。
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ナルニアシリーズ第二弾。
印象に残っているのは、
現実時間とナルニア経過時間が大きく異なっていることと、
黒白、二人の小人の性格・行動・生き方の違い。
ピーターとスーザンのナルニア入りが最後になり、
この世界は子どもしか来れないことが語られます。
さすが、作者が子どもに読み聞かせるために作った絵本だ。
BCC版は愛のある作り方、Disney版はカスピアン、かっこえぇ。
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持っているのはこの本。
再読…
4度目ぐらいかな?
ナルニアのシリーズ2作目です。
いったんは自分たちの世界に戻った4人兄妹が、電車を待っているときに、いきなり呼び戻される。
角笛が吹かれたのだ!
やはり、引きこまれますね!
ネーミングが素敵です。
飜訳は古めかしいけど、今の子もこれを読むの?
ルーシィがキュート。
アスランと出合うシーンが美しい。
大人になりかけている長男長女の微妙な変化も読み取れます。
ちょっと理解者になっているエドマンドも面白い。
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大人になって再読してはっと気付くこと、表現の豊かさに、う~んとうなること多々ありでした。
言葉を忘れてしまった森の木々や動物たちを哀れに思ったし、
アナグマの「ケモノたちは、こころ変わりをしません」の言葉に
しみじみしたし、再読価値の大いにある一冊でした。
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Prince Caspian: The Return to Narniaは1951年のC. S. LewisのThe Chronicles of Narnia第2作だ。瀬田貞二氏の翻訳には独特の味がある。例えば、「おどろき、ももの木、さんしょの木」、巨人の「天気てんくろう」等など、思わず音読してしまう面白い言い回しがある。
物語の方は、ナルニアの意外な歴史が明らかになる。ますます、続きが見たくなること間違いなしだ。Edmundがすごく成長しているのもいい。勇敢なネズミReepicheepはなぜだか頼もしく見えてくる。Prince Caspianが幼少時代に、とても頭の良い質問でDoctor Corneliusを困らせているところは、思わずはっとさせられた。
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クマの肉のりんご包みってどんな料理だろう…「まるであぶり肉にりんごソースをかけた料理になりました。」っておいしそう。
アナグマの松露とりさんの、何度も出てくる「けものは心変わりをしない」っていう台詞に何故か惹かれました。ネズミやクマにも、それぞれの種代々の役割や性質があるようで、そういうのを調べてみたいな、なんて思ったり。
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前作の雪解けの春の息吹のシーンでも思ったけど、木の精霊たちが再び目を覚ますシーンとか、冬の終わり的な描写がめっちゃ上手いんだよな・・・。
あとリーピチープのラストなんかこう・・・切なくなった・・・小動物がしにそうになるシーンに弱い・・・。
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白い魔女と戦ったときも少年だったが「黄金時代の救世英雄古王を召喚する」と言えば威風堂々たる戦士とふつう思うだろう。小人(ドワーフと表記したほうが良いんじゃないかな)の目からは、ティーンエージャーはどんな風に見えただろう?
白い魔女は復活できる、小人はそっち支持。
トランプキンは親交のあったJRRトールキンが(名前が似ているだけでなく)モデルなのではないか?反逆するニカブルクはルイス自身(不信心の)だろう。「長いあいだ、辛いめに遭い、(ニンゲンを)憎んできたから心の中がひねくれてしまったのだ」/