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解説が良い!
法華経と日本の相関も教えてくれた☆
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聖徳太子 空海 大乗仏教 小乗仏教
かの医者 巧妙な手段
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サッダルマ=プンダリーカ(正しい教えの白蓮)というのは約二千年前に成立した経典だといわれる。
舎利弗(しゃりほつ)は仏の言葉を疑い、悪魔が仏に化けて自分を惑わしているのかと疑い、仏はそれを見て「舎利弗は未来世に仏陀となる」という預言をした。
舎利弗はそれを信じて無邪気に喜んだ。
そこで仏はこれについての譬え話をした。
「長者は炎に包まれた朽ちた家にいる子供たちを救おうとして、鹿の車等の現世利益で子供達を連れ出した。」
舎利弗は本当に鹿の車等の現世利益を与えなかったとしても、その長者の行いは間違ってはいないと思った。
法華経に出てくる諸々の功徳というのは、そんなもの(現世利益という報酬)に囚われた心を救うのが目的であって、鹿の車を貰うのが目的ではない。
仏陀の称号はそれ自体現世利益であって形にすぎない、、、、、、
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以前三輪明宏の本を読んで「法華経」を読みたいと思っていた。
そのさらに前に安岡正篤の本で、読むことを薦めていた。
口語訳を読むことが精一杯だったが、そのエッセンスは吸収できた。
と思いたい。
正直、これは!という文章はない。それはいままでの読書で知識として知ってはいたものが多い。
情報としては皮膚感覚でわかっていたこと。
それを改めて意識させるツール=古典(仏典)である。
昨今の自己啓発本のような即効性はないが、じわじわ味わい深い。
「激しい欲望の生ずることが苦悩の起源である」激しい欲望を滅するために、汝らは常に執着してはならぬ。(p205)
一切のものの本質がないこと(空)と、一切のものに差別の根拠となる形状がないこと(無相)と、一切のものは作為なく存在していること(無願)と
「さとり」の境地への入り口とは、4種の薬と見做されるべきである。(P293)
善人・悪人のいずれを問わず、、、
中程度の理知によって分別することから、独覚といわれる。「空」についての智慧が劣っていることから、声聞といわれる。(p295)
「自分自身の完全なさとりのために」如来の教誡に精を出すのが声聞と独覚であって、みずからさとりを求めるとともに、世間に対する憐れみから、
多くの人間の幸福と安楽のために「一切の衆生の完全なさとりのために」如来の教誡に精を出すのが求法者である。後者は大乗であり前者は小乗である。(p360)注より
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いつも日本ばっかりじゃ偏ってるので、たまには比較相手になる聖典でも読んでみるかと。
しかし法華経とは言うのは奥義ではなく、どちらかと言うと宣伝物だったようで内容はイマイチ。
それでも、「インド人の列挙癖」なるものは、結構ツボだったり。
・・・「以下同文」とか「さっき言った通り」とか「それ以外」とか、うちの息子でも最近は使うぜ、みたいな(笑)
まあ、あえて列挙することで競い合っているようなので、仕方ないっちゃ仕方ないけどね。
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とても大事なご本なので丁寧に読もうとしました。
お上人の話では10回くらい読むということですが大変だと思います。
お釈迦様のお説きになった最後の教えの法華経なので楽しいです。
勉強になります。
いい本です。
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2012.08.30
「さとり」に到達された一切の仏たちに敬礼し奉る。一切の如来、独覚、聖なる声聞たち、過去、現在、未来の求法者たちに敬礼し奉る。
大人・・・(・_・?)
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『法華経』は仏の方便を説いており、譬喩にたくみで日本・中国の思想文学に影響を及ぼしている。上巻には「序品」「方便品」「譬喩品」「信解品」「薬草喩品」「授記品」を収める。「方便品」は仏の方便をとき、「譬喩品」は「火宅」の譬喩と転生による苦(杜子春などに影響がみえる)を説く。「信解品」は弟子が「窮子」の例えで仏の慈悲をたたえる。「薬草喩品」は仏を雨雲に例え、降らす雨は一種なのにさまざまな薬草を育てることを述べ、方便の巧妙さをたたえる。「授記品」の「記」は予言のことで、弟子が釈迦滅後に弟子達が衆生を済度することを解く。方便はカントの定言命題との関わり、大衆社会の問題とも関わり、非常に興味深い。
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究極の教えを示していると言われているが、発祥は不明。
最澄や日蓮の行動原理にふれてみたいとおもった。
一神教に似た響きを感じる。
狂信的グループが作ったもので、非難されると法難だとさらに結束を増したという。