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雑誌「アスタウンディング」誌の時系列な作品とともに、作品や人物、自身とのかかわりについて語るというもの。なのでクラーク自身の生活の様子は作品の説明と混濁していてわかりずらい。その中から判明したものは、
・1928年、11か12の時小学校を卒業。父は第一次世界大戦の復員兵で、サマーセット州に農場を借りた。父の以前の職業は郵便局の電気通信の技師。母は電信技手。モールス信号を読めた。
・1928年 母は非常な苦労のあげく、何マイルも離れた田舎町トーントンのヒューイッシュ・グラマースクール(現在のリチャード・ヒューイッシュ・カレッジ)にクラークを入学させた。1936年に公務員になるまでここで中等教育を受けた。
・1930年の終わり 学校の地下牢とよばれる部屋で1930年3月号の「アスタウンディング」誌が転がっていたのを手に入れ、読んだあと、また戻した。がそのままになっていたので自分のものとした。以後コレクションを開始し、通信欄でイギリスのファンと連絡がとれ1939年までには一通り完全に(号数を)揃えた。索引づくりをした。その頃、郵便局で夜間の電話交換手として勤務していた(アルバイト?)ので5マイル離れた学校へ自転車で出かける前に雑誌を読めた。
・1931年 父亡くなる。母は農場経営を続ける。農場は今も弟夫婦が経営している。クラークは第1子。弟二人に妹一人。貧しかったがほんとうにひもじい思いをしたことはない。たっぷりのデボンシャークリームを加えた食事が健康を作った。夜は農場の手伝いをしたようだ。
「まともな」本も読んだ。ウエルズの「宇宙戦争」ベルヌの「地底旅行」「月世界旅行」「海底2万リーグ」ドイルの「失われた世界」
ここが読んだ年令も本も自分とほとんど同じだった!!
さらにステープルトンの「最後の、そして最初の人間」は1930年の出版直後にマインヘッドの公共図書館で出会った。
・1936年の春 誰かに進められ上級公務員の採用試験を受け受かる。1500人中26番で合格なので好きな部署を選べた。算数で100点をとったので大蔵省を志願。最初の職場はキング・チャールズ・ストリート(ダウニング・ストリートの隣)にあり教育局の会計監査だった。そこでは計算尺が一番速く使えるのが自慢だった。全体として戦前の大蔵省には幸福な記憶。が、訓練の一部としてロンドン大学社会科学部で、会計学の課程をとらねばならなかった。複式簿記、試算表などは頭を素通りし、宇宙船についての白昼夢に浸るのに忙しかった。
ラブクラフトが「週に10ドル」の薄給を嘆いたが、新任の公務員の賃金は週に3ポンド。当時は1ポンドが4ドル。でも生活は十分にできた。
・戦争 食糧省にいた時、北ウェールズに疎開させられた。徴兵の一歩先を読んで志願し、イギリス空軍の技術訓練を受けた。最初はレーダーの整備員、あとでインストラクターになったウィルトンシャー州イエイツベリーの第九電波学校は一度も空襲にあわなかった。
・1943年 イングランド南西部に近いセント・エヴァルに移され、イギリス空軍のレーダー作業員を着陸誘導管制の仕事を引き継げるよう養成した。わずか10年前にはSFとしか思えなかった状況で「生活」していたのだ。施設はストラトフォード・アポン・エイボンに移り、そのせいか「呪い」はシェイクスピアの墓を訪れた結果である。その間に20以上の短編とエッセイを書き、初めてジョン・キャンベルに「太陽系最後の日」(1945年3月に書いた)を売った。これはV2号ロケットと原爆のちょうど中間時点である。
・1942年から45年の期間は多くの作家が戦争のため誌面から一時的に姿を消したが、意外なほどの人数が依然として書く時間を作り、雑誌の質は落ちなかった。が、クラークにとってのアスタウンディング誌の黄金時代は1945年11月号で終わった。
・1960年代のどこかでアスタウンディング誌の予約購読の更新をやめた。キャンベルは1971年に死ぬまで編集を続けたが、潜水とかほかの興味も割り込んで読書の時間が減った。
・キャンベルについては1952年にアメリカを訪問するまで会ったことは無かった。アシモフの言葉「科学や社会に対する観点がいかに型破りであっても、個人的には穏やかな人間でありつづけた」。クラーク自身は「本質的に思いやりがあった」とつけ加えたい、と書いている。キャンベルはいろいろ予測し、当たりもありはずれもあった。テレビが普及することはないだろう、とはずれの予測をしたが、アシモフによれば「家でテレビセットの前に座ったまま苦しみもなく、ひっそりとすみやかに」亡くなった。クラークはキャンベルがどんな番組を見ていたのかなあと思わずにはいられない。
資料:アスタウンディング/アナログ誌に掲載の作品(1938-87の間に)
1946年4月号「抜け穴」
1946年5月号「太陽系最後の日」
1948年9月号「遺伝」
1949年9月号「かくれんぼ」
1961年5月号「死と上院議員」
1984年5月号「記世創」
1986年1月号「蒸気力ワープロ」
ノンフィクションは5点
投書10点(1938年5月号~1971年11月号)文が載っている。
「薄暮」「影が行く」など知っている作品の部分は読めるのだが、その他の知らない作品やロケットや科学的な説明も多いところが読みずらかったのかも。
1989発表
1990.8.31初版 図書館