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芥川作品の中で、一押しが「煙草と悪魔」
漢字化されたカタカナなどおおくて。読むのは大変な初期の作品がお勧めです。
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収録:「煙草と悪魔」「尾形了斎覚え書」「さまよえる猶太人」「奉教人の死」「るしへる」「きりしとほろ上人伝」「じゅりあの・吉助」「神神の微笑」「報恩記」「おぎん」「おしの」「糸女覚え書」「誘惑」
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芥川龍之介の切支丹モノ。言葉の使い方やストーリーが、異国趣味と当時の時代趣味と今読むことによる大正浪漫的なもろもろが混じり合って、エキゾチックというかなんというか。独特の技巧的な短編集でした。平仮名でじゅりあの、とかはむしろ萌え?
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表題となっている『煙草と悪魔』の話しは聞いたことがあった。学生の時に聞いて、なんとなく記憶の片隅に残っていたのだが、誰が書いた話かまでは残っていなかったのでこの一冊を見つけたときは運命を感じた。こういうとなんとも軽い言葉に聞こえそうだが、本当にあのときは買わなければならないとある種、使命感みたいな感情があったと思う。
うん、そうだ。これだ。
懐かしい。
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「神神の微笑」1/31
「奉教人の死」;1月か12月(***)
「報恩記」 4/3 (**)
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奉教人の死・煙草と悪魔 他11篇
(和書)2010年05月06日 23:34
1991 岩波書店 芥川 龍之介
芥川竜之介の切支丹もの。新潮文庫で読んだけど、岩波で読み直してみました。何回読んでも面白いです。
アーメン。
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「煙草と悪魔」なるほど煙草は悪魔のもたらしたもの…。最後に果心居士で八雲が出てくるとは思わなかった。
「尾形了斎覚え書」死んだと思った娘がキリスト教の奇跡で生き返ったという話を医者の覚書風で描いたもの。年代設定、いつなんだ…?
「さまよえる猶太人」キリストの呪いを背負ったユダヤ人伝説について。
「奉教人の死」美少年は実は美少女だった…!!一瞬BL展開になるかと思ったけれどならなかった…百合にもならなかった…。それにしても何故誰も気づかなかったのか。
「るしへる」悪魔は人の姿をしているものなのだよ。
「きりしとほろ上人伝」なんか童話とかにありそうな感じ。
「じゅりあの・吉助」殉教者の話。
「神神の微笑」日本人、なんでも魔改造…いや日本流にしてしまうから…
「報恩記」
「おぎん」キリスト教を持ち上げるとみせかけて叩き落としてきた。実の親がパライソにいけないなら棄教して私も地獄へ、とか私が死ぬのは信仰ではなく夫のため、とかすごい皮肉
「おしの」布教もやりすぎると逆効果
「糸女覚え書」めちゃくちゃガラシャ嫌な感じじゃない???侍女たちに嫌われてない???
「誘惑」これを書いている時の芥川がめちゃくちゃ心配になる
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数十年ぶりに再読。やっぱり面白い芥川本。
深く掘れば掘るほどに底無しだが、
つっこみどころ多く、吹き出すところも多し(超失礼)
”奇跡”って”奇怪な跡”よねぇ、、(あはは、失礼)
”神神の微笑”は真骨頂
いろんな物語、最近では”沈黙”とか映画化して記憶に新しい
そこかしこで語られる日本の特異性というか(微苦笑)
なんせ、真面目で真摯な外国産宗教人の苦悩
ばてれんも転ぶ沼
>オルガンティノは呻き呻き
>そろそろ祭壇の後を離れた。
>あの幻にどんな意味があるか、
>「この国の霊と戦うのは、
思ったよりもっと困難らしい。
勝つか、それともまた負けるか、・・・」
こんな考えなのが、そもそもなのよね。
オルガンティノは言う
>「今日などはサムライが二、三人、
一度に御教に帰依しましたよ。」
老人は言う
>「それは何人でも帰依するでしょう。
唯帰依したということだけならば、
この国の土人は大部分
悉達多(シッダルタ)の教えに帰依しています。
しかし我我の力というのは、
破壊する力ではありません。
造り変える力なのです。」
そう、表向き
帰依も信心もこなす、しかし
ある意味正しく、ジャパニナイズドなしで
”理解”しているかというと、そうではない
そうではないのだった、、、
というところの、面白さがこってりつまってる
芥川ばてれん本、久々に読むと
若い頃よりも、しみじみと尊かった