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西田幾多郎、波多野精一、田辺元、西谷啓治といった近代以降の日本の宗教哲学者たちの思索について考察をおこなっている本です。
著者は、宗教が人間の精神という特定の領域における問題ではなく、人間存在全体にかかわるものとして理解しており、そうした観点から宗教の意義を論じた思想家たちの仕事を読み解いています。
西田は、自己がみずからのうちに深い矛盾を自覚する自己の「死」を経て、逆対応的に神に接すると主張しました。このときの「神」は、たんに超越的な存在を意味しているのではなく、主観的な信仰を越えた自己の根源を意味しており、彼の宗教理解はそうした次元にまで達していたと著者は論じています。他方波多野は、宗教哲学を「宗教的体験の反省的自己理解」の試みとしてとらえつつ、「神」「愛」「啓示」といったテーマを掘り下げて、たんに主観的な「体験」を越えた実在的意義を明らかにしようと試みました。
田辺は、「絶対無」へと直接的に帰入する西田の立場を批判して、絶対と相対の「媒介」が、倫理的苦闘を経て悪の自覚へといたる主体の「行証」によって可能になると主張し、歴史的・社会的な倫理の次元とそれを支え完成へとみちびく宗教の立場の関係について考察をおこないました。また西谷は、哲学・科学・宗教の三つの立場について考察を深め、「自己が自己自身の存在を、その存在の根柢にある虚無から自覚する」という仏教、とくに禅の考えかたを「空の立場」と呼び、宗教哲学的な観点からその意義を明らかにしようとしました。
このほか、植村正久や内村鑑三といったキリスト教の立場に立つ思想家や、浄土教の立場に立つ清沢満之、あるいは実証的な宗教学の研究をおこなった姉崎正治や岸本英夫といった人びとについても紹介がなされています。ただ、それぞれの思想家たち自身に語らせようという意図なのかもしれませんが、引用されたテクストの意味が理解しづらいところも多く、読みづらいと感じてしまいました。