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日本語、そして日本人はどこから来たのか・・・
それが分かったら、素敵でしょうね。
ちょっとだけ、そんな気持ちにさせてくれる本です。
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(2009.10.20読了)
日本の近隣には、日本語と同系統の言葉が見当たりません。日本語は、日本列島で独自に生まれて、独自に進化してきたものなのでしょうか。
それとも、どこか遠くから日本列島に渡ってきた民族が使用していた言語が元になっているのでしょうか。
「もし日本語の系統を明らかにすることができれば、この日本文化の由来、この日本人の物の見方、考え方の基本的な型の成立の次第を知ることができるのではないか。」(ⅳ頁)
日本語とよく似た言語を探してもなかなか定説になるような、言語は見つからない。
1970年代の終わりごろ「ドラヴィダ語と日本語」の比較研究をしていた江実先生が学習院大学に講義に来て、ドラヴィダ語の教科書を紹介してくれたので、購入し、さらに「ドラヴィダ語語源辞典」を日本橋丸善で手に入れ、帰りの電車で、辞書を最初から読んでみると、日本語と対応すると思われる単語がいくつも見えてきた。
ドラヴィダ語のうちのタミル語についての解説が詳しいようなので、タミル語に注目して、日本語と比較してみることにした。「タミル語大辞典」も入手できた。
タミル語は、インド亜大陸南端とスリランカの頭部北部に住むタミル人によって話されている。
インドのタミル語の専門家や世界各地の専門家の協力を得ながら研究を進めた結果、日本語とタミル語に関連性があると言える可能性があることが分かってきた。
この本は、日本語とタミル語がどのように関連しているかを具体的に論じたものです。
この本を読む前に、下記の2冊を読んでおくと、より分かりやすくなるようです。
「日本語をさかのぼる」大野晋著、岩波新書、1974.11.25
「日本語以前」大野晋著、岩波新書、1987.12.21
私は、「日本語をさかのぼる」の方しか読んでいませんでしたので、「日本語以前」は後で読もうと思います。
大野さんの説明によると「日本語とタミル語には、数多くの基礎的単語について音韻の対応がある。」(500語ほどが確認できた。)
「日本語とタミル語の文法構造は、全体として非常に似ていて、大部分が共通である。」
係り結びも確認できた。
タミル語の歌集サンガムの中に、万葉集と同様の五七五七七の形と一致するものがある。
墓、土器の文様、などにも共通のものがある。
いろんな面から共通性を探っている。自分の専門でない部分は、専門家の協力を得ながら、確認を行っている。実に面白い。
(2009年10月26日・記)
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なんとなく手にとったこの一冊…
まさか日本語の起源が南インドだなんて…
特にショックというわけじゃないけど意外だなあ
てっきり朝鮮系かなあと思ってた
でも本書読むと発音、文化の対比が数多くなされていて疑うほうが難しす…
九州にたくさんこれにまつわる遺跡があるらしいので、インドと九州を訪れるときには本書携行必至だなあ
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[ 内容 ]
日本語とはどこに起源を持つ言葉なのか。
旧版(一九五七年刊)では答の得られなかったこの問いに、数多くの単語、係り結びや五七五七七の短歌の形、お米や墓などの考古学的検証、さらにカミ、アハレ、サビなど日本人の精神を形作る言葉の面から古代タミル語との見事な対応関係を立証して答え、言語と文明の系統論上に決定的な提起を行う。
[ 目次 ]
第1章 同系語の存在(探索のはじまり 探索の方法 南インドのタミル語を選択する 単語の対応-語根の比較 文法の比較 五七五七七の韻律)
第2章 対応語と物の世界(稲作のはじまり 墓と墓地 グラフィティと記号文 金属の使用 機織のはじまり)
第3章 対応語と精神の世界(生活の慣習 精神の世界の支点 精神生活の根幹)
第4章 南インドの言語・文明と日本・朝鮮(日本語とタミル語の同系 私の説に対する質疑)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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日本語、朝鮮語、ツングース語、モンゴル語、トルコ語と同様、タミル語も膠着語だそうだ。
インド南部のタミル語と、日本語をむすびつけるのは想像を絶する。
ただ、中国南部を訪れたとき、漢民族よりは日本人に近いという印象を受けた。
特に、朝鮮半島から来た渡来人以外の人々と、中国南部、タイの人々は似ているような気がする。
そんな印象から、研究自体は面白いと思う。
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主に日本語とタミル語の連関について書かれている。こんな説があったとは知らなかった。無文字時代の「日本語?」ってどんなのだったかとても気になる。少なくとも「やまとことば」の音が手掛かりになるのは間違いない。
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日本語は実はタミル語から生まれたのではないか、という仮説を検証している本。
大学時代に読んでとても衝撃を受けた。
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文字通り、日本語の起源を探る本。
これは、、、めちゃくちゃ面白かった!!!予想以上!
漢字流入以前の古来の日本語は、インドのタミル語ではないか?とする筆者の仮説を様々な根拠から明らかにしていく。
その根拠は多岐にわたる。
音、埋葬方法、農耕文化、土器、和歌、などなど。
個人的には和歌とタミル語の古い歌との対応関係とかはちょっと感動した。
これを読むと、とても説得力があるように感じるし、こりゃ日本語の起源はタミル語で決まりやな!と思ってしまうw
ところが、ちょっと調べると、どうやら学会的にはこのタミル語説は全然主流ではなく認められてないそうな。
(日本語の起源は、まだ不明、と言うのが今の状況らしい)
学術的にはまだまだ粗がある説らしいので、それは頭に入れておいた方がいいと思う。
それでも(いや、だからこそかな)、素人が読む分には大変興味深く、かつ面白い。
細かい、そして学術的には重要であろうと思われる証明部分があまりないのが読みやすいww
こう言う説がある、とわかっただけでも面白いし、こう言う学術的な分野の本にも興味がわいたのがありがたい。
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日本語の起源はタミル語ではないか?
と言う説を持つ、大野 晋先生の著書。
この本を読んだからと言って、日本語の起源がタミル語であるのか、そうでないのかと言う判断は私には出来ないが、なかなか楽しく読ませてもらった。
それほど難しくかかれているほんではないので、日本語の歴史に興味のある方には、お勧めかもしれません。
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なんとも読み難い本でしたが、日本語の起源をタミル語に求める論が面白いです。
ただ…、説としては面白いのですが、実際のところどうなんでしょう…?
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先日読んだ藤原正彦の『心は孤独な数学者』の中で紹介されていたので読んでみた。
日本語の起源を古代タミル語(インド南部の言葉)の中に見出すという、なかなかロマン溢れる仮説を楽しく読むことができた。
おそらく正解はないのだろうし、本書の仮説も一説にすぎないと思うが、数多くの単語,歌の形,考古学的検証などから古代タミル語との対応を具に並べて立証する努力は研究方法という点でも参考になる。
文中、その対応関係を並べ立てる箇所が多く、ひとつひとつ学ぼうという気はないので、その例証の多さにはちょっと引いてしまうが(巻末には300語におよぶ対比表が載っている)、適当に読み飛ばしつつ主旨を理解するに、まず文法的仕組み、次に基礎単語の対応、文化や風習の類似やそれに伴う単語の存在、そして実際の人の流れ、その時代考証と、ひとつひとつ自説を補完していくように例示してある。
また、面白いのは、両方の言語を比較することで、
「日本語の古典語の文法から類推してタミル語の古文の文法を理解するのだが、そうするとタミル語の古文が、伝統的なタミル語文法の説明よりもかえってよく理解できる」
とか、助詞の「モ」の存在を巡って
「タミル語を知ることによって、日本語がよく見えるようになった例である。」
と、単一言語だけの研究ではたどり着けなかった文法、用法の理解が進むというのは面白いものだ。言語学に限った話でなく、これは他の分野、あるいは日々の暮らしの中でもありえることだなと思えた。
でもまぁ、いろいろ不備な点や、読んでて腑に落ちないところ、トンデモ本っぽいニオイがなきにしもあらず(苦笑)。冒頭、著者は「言語と文化と人間(人種)の三項を、たやすく重ね合わせて考え」てはいけないというが、やはり自説の証明にはそれらの一致ないしは濃密な関連性を示していくしかないと思うし、本書も結局はそれらの項目にそって証明していってるように見受けられる。
いろいろ牽強付会な印象も受けるが、けっしてそれが悪いと否定する気はないし、新しい説を唱えるときには一点突破全面展開が必要な時があることも理解している。本書の仮説に対する反論は専門家に任せるとしましょう。
とにかく「音」に関してのアプローチは面白いし、自分の感覚としても腑に落ちるところがある。
邪馬台国が大陸と交流を持ったことを記した文献(「魏志倭人伝」だかなんだか、その類の書)の中に、途中通過する地名として”好古都”が出てくる。当時、中学の日本史の授業では、そこを「こうこうつ」の国と教わった。その後、古代日本語の発音等の研究が進んで、この好古都の「好」は中国語のニーハオの”好”(はぉ)に近い発音であり、当時は「はぉことぅ」と発音されたのであろう、となると「好古都」は九州の「博多」のことだろうと。そしてその間の日程などを考慮して邪馬台国の所在地を類推した説には鳥肌が立った覚えがある(井沢元彦の『逆説の日本史』の中で紹介されていた説だったかな)。
本書のタミル語日本語起源説も音韻をメインに、是非その方向で研究が深まればいいなと思う。
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なんとも、読みたくなるタイトルやないですか。
著者が、これほどに正確に大量に「タミル語と同じ源流を持つ」と考えられる論を展開してるのに、比較言語学的には認められないという。でも、ぼくはロマンがあっていいなと、そう感じたし、大和言葉も素敵だなって思った。併読してる論語にも、何かつながったものが見えて来た。
ただ、ロマンと学問は違うので、比較言語学も学んでみて改めて考えていこうと思う。
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日本語とタミル語との類似が丁寧に説明されており、確かに何らかのつながりが推測されることは理解できた。ただ、タミル人が稲作とそれに伴う文化とともに日本にやってきたと結論づけるのは無理があるように思う。
最近では、稲作が長江の中・下流域で発祥・発展したものの、後に黄河文明の南下によって稲作民は四散したことが明らかになっている。それとあわせて考えれば、四散した集団の一部はインドへ移動し、他の一部は朝鮮南部を経て北九州に移動したことにより、日本人が渡来系弥生人の文化を受け入れたように、南インドの人々も渡来した人々の文化と言語を取り入れたため、タミル語と日本語が類似する結果となったとも推測できるのではないだろうか。
著者の見解を聞いてみたいところだが、この本を発行した段階ですでに75歳であり、著者にとってはこの本が自身の集大成のようなものだったのだろう。それでも、インド南部という遠方の言語に目をつけ、ここまでの結論を導いたことは大きな成果であることは間違いないと思う。
・アルタイ語とは文法の構造はおよそ共通だが、単語の対応を見つけるのが難しい。朝鮮語とは単語の対応は少なく、基本動詞についてほとんど立証できない。アイヌ語とは基本的単語の対応は全くなく、文法的にも相違している。マレー・インドネシア語は発音の仕組みが近いが、文法の組織が全く違う。
・日本語のhはかつてpで、p→F→hと変化した。g,z,d,bには、室町時代頃まで前にn,mがついていた(東北地方のなまりとして残る)。
・アワ、イネ、コメ、モチ、ハタケ、タンボがタミル語との間で対応する。ナタ、クワなど9つの農業技術語が朝鮮語と対応する。
・オーストロネシア語の最古の母音体系はa,i,u,eの4つで、母音終止の単語が多い。基層言語としてポリネシア語族のひとつに近い音韻組織のある言語があった日本列島にタミル語がかぶさったことが推測できる。
・壱岐には、タミル語の村を意味するフレがつく地名が100例あり、弥生時代の巨大な遺構が発見されている。
・日本語にはタミル語と500の対応語があるが、朝鮮語もタミル語と400の対応語がある。
・朝鮮半島の前期青銅器時代に南インドの巨石文化と類似した墓制が見られる。
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日本語の起源を南インドのタミル語に求め、この二つの言語に見いだされる対応関係を指摘するとともに、両者の文化的類似性についても触れている本です。
よく知られているように、著者の主張する日本語のタミル語起源説にかんしては、比較言語学者の風間喜代三をはじめ多くの研究者が否定的な見解をとっています。著者は、五七五七七の和歌の韻律をはじめ、さまざまな文化的事象の類似点をあげていますが、これらの例のえらびかたについてはさらに無原則的な印象を受けます。
本書の「あとがき」で著者は、「私の考えでは、「文化」の中核は地域の自然条件に対する人間の対し方にある」とし、日本語という観点から文化論を展開する可能性について言及しています。こうした著者の発想は、いくつかの刺激的な議論を導き出すことに貢献したものの、人類学的な研究の裏付けを欠いた印象論を増幅させてしまう危険性もあるような気がします。