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スナフキンの手紙とは、シルクロードを延々と旅しているノートの事。
そのノートに記されている言葉をネットで流し始めた人がいる。
その言葉たちは、人々にものすごい反響を呼んだ、みたいな話。
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様々な人々の、様々な想いが書き綴られた“スナフキンの手紙”・・・。パラレルワールドで繰り広げられる戦いの中で、人々は生きるコトの意味を求め、人を愛する・・・というコトの意味を探し始める。
あなたの知りたい真実は、“スナフキンの手紙”の中で見つかりますか?
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戯曲であるが、とりあえず小説の枠に入れとく。
テンポが良くて読みやすい。話は面白いが少し物足りなさを感じた。実際に舞台で見ると、テンポのよさは一段とよくでて、おもしろいんじゃないかと。
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時は1990年代の日本。でも皆が知る日本ではなくて、日本政府軍とそれに銃を向ける約8万5千もの集団が争う戦地。そんな時代を生きた人々の物語が「スナフキンの手紙」です。
中3でこの作品と出会いましたが、物語の面白さに加えて答えの出ない問いを投げかけてきます。
終わりとか絶望とか、そんな言葉だらけのこの世界にいるからこそ、読んで損はない作品。
ただ、形式が台本型なので、読みにくい人もいるかもしれませんね。
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我が演劇部、12月クリスマス公演の台本。コミカルでサスペンスなストーリー。かならずイイ舞台にします!!!
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演劇台本。
舞台は戦争が勃発する異世界の日本。
語られない言葉を持つ人々が、地下室に集った…―
実際に舞台を見たことがなかったので、想像で読みましたが
舞台のDVDを見たら山室さんが想像と全く違っていた思い出があります…。
自殺を止めるコンサルタント・山室実。
彼が今この世界にいたら、どれだけのひとが救えるだろう。
もしかしたら、ひとりも救えないかもしれない。
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随分前、大学生時代に没頭して読みました。
一体どれだけの「語られなかった言葉」が、ノートに遺され、そしてさまよっているのか・・・
花子の最後のセリフがたまらず、
どうしてもこれを口にしてみたくて、なので一度演ってみたいと思ったものです。
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ムーミンに出てくる
スナフキンとは
関係ないです
オカルトで
ちょっとおかしな
お話
ちなみに
劇の台本です
劇の台本なんて
久々に読みました。
独創的で
つかめるようで
つかめなくて
意味のわからないまま
終わってしまいました。
あまりに
意味がわからないので
レビューを読んでみると
深く感銘を受けている人が
幾人かいました。
独創的で
よくこんな考えが
浮かぶなぁって
思いました。
スナフキンの手紙が
シルクロードを
東から西へ
わたっているっていうところは
ロマンでした。
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第三舞台の脚本(戯曲)ということで、奥さんに勧められ読んでみた。
脚本形式の本は殆ど読んだことない(シェイクスピアぐらい)ので、最初は読みにくかったけど、軽妙なストーリーで最後まであっという間に読み終わることができた。内容が思った以上にSFチックだったのが意外だけど、ユーモアも織りまぜながらスピード感あふれる展開が面白い。
1995年の作品でネットワークがパソコン通信として表現されていたりして古臭いけど、2チャンネルを想起させる設定が現れるなど、今を先取りしているような描写もそこかしこにあっていろいろ興味深い。最近解散してしまったみたいだけど、最後の舞台のDVDは是非みてみたいと思う。
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パラレルワールドの話しなんだけど、
なんか、よくわからないけどクセになるおもしろさ。
だけども、本の中に入り込むまでに時間がかかったー!
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劇団第三舞台。早稲田大学の演劇研究会でつくられた劇団だったのか。精神にダイブできる設定など、思った以上にSFだった。2ちゃんねるを彷彿させるネット掲示板の現実感と、他人の精神に入り込めるSF設定のチグハグ感に最初は戸惑った。日本政府軍と、それと戦う「在日外国人同盟」「帰国子女戦線」「おたく主義者同盟」だったり、誰もがそれら同盟に加盟しているっていうのが面白かった。リアルタイムで学生運動を知らないけれど、学生運動ってこんな空気だったのかな、と感じたり。
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ちょっとやっぱ舞台として見ないとよく分からないな。鴻上さん自身がそう書いているけど。これをどうやって演じるのか。ネット通信、というところに時代を感じる。もうインターネット全盛だもんな。スマホなんてものがこんなに広まるとは当時は思ってなかっただろうな。
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1994年の同名の第三舞台公演は未見ですが、鴻上演出の鴻上作の舞台のシナリオ本を読んで、舞台の各キャストの動きを目に浮かばせながら、ホンを読むのも面白いものです。
作・演出:鴻上尚史
キャスト
登場人物:出演
後藤田政志:池田成志
氷川サキ:長野里美
日本政府軍
部下1:小須田康人
部下2:山下裕子
ジャーマネ・村松:京晋佑
キャンディー・明石:西牟田恵
山室実:大高洋夫
----- まえがき -----
『恋愛王』というエッセーを雑誌に連載していた時に、読者の出せなかったラヴレターを供養しましょうという企画をやっていました。出せなかったラヴレター、受け取ったけれどつらい思い出でしかないラヴレター、そういうものを、僕が代わりに供養しましょうという企画でした。
全国から、たくさんのラヴレターが集まりました。
たくさんの数を読んでいるうちに、僕はなんだかいやーな気持ちになっていました。
それは、ほとんどのラヴ・レターが『素直になれない私』と『本当はこうしたかった私』について書いている文章だったからです。『どうしても素直になれない』から『本当はこうしたかったのに、ああしてしまった私』というミもフタもない要約ですべてがすんでしまうラヴレターがほとんどでした。
読みながら僕は、「ぬゎにを甘えたことを言っとんのや!恋愛は勝つか負けるかやんけ!」と叫んでいました。いやーな気持ちになったのは、心の中で叫び続けて、疲れてしまったのです。
で、それでも読み続けていくのが人生というもので、(たぶん、ここには、それが仕事というもので、とか、それが大人というもので、とかのフレーズを入れる人もいるでしょう)ずっと読み続けていました。
で、読み続けているうちに、じゃあ素直になったらどうなっていたんだろうという、これもまた、ミもフタもない感想がむくむくと頭をもたげて来たのです。したいようにしていたら、どうなっていただろう。
それはつまり、そんなに簡単に「語られない言葉」を作ってどうするんだという突っ込みでもありました。簡単にというのは、もちろん、乱暴な表現です。恋愛は、周りから見て、どんなに滑ケイでも、いえ、滑稽であればあるほど、真剣なものです。
好きになればなるほど、素直になれない気持ちはようく分かります。ようく分かりますが、それでも、僕は膨大なラヴレターを読んでいるうちに、そんなに簡単に「語られない言葉」を作ってどうすると、心の中で突っ込んでいたのです。
問題はこの後じゃないか。あなたが素直になり、心の中の言葉を語り、したいようにした時に、初めて、「語られない言葉」が生まれるんじゃないかと思ったのです。
その恋が実ろうがだめであろうが関係なく。いえ、実ったら、だからこそ生まれるんじゃないかと思ったのです。
と、えらそーに言って、ハタと困惑するのはいつものことです。
ですが、例えば、ものを創るということは、そういうことじゃないかと思っています。
初めて、演劇の演出をするという人から、この前、アドバイスを求められました。
僕が言っ��のは、自分のイメージをミもフタもなく説明するということでした。
言うことはたくさんありますが、たったひとつと言えば、これです。中途半端に語ることが一番、誤解を生みます。中途半端に語り、あとは語られない言葉にまかすというのが、一番、混乱を大きくします。
「あなたは汚い」と「あなたは同じパンツを一週間はいているから汚い」とは、点と地ほどの違いがあります。
恋愛上手な人は、決して、中途半端に「あなたは冷たい」とは言いません。「あなたは、~してくれないから冷たい」と必ず限定条件をつけます。ミもフタもなく語るのです。だって言われた方は、ただ「冷たい」だけだと、人格の全否定になるからです。中途半端に語ることが、混乱を生むのです。
ミもフタもなく語った後に、初めて「語られない言葉」が生まれるだろうと僕は思っています。
だだ、これは日本人だけの特徴なのかどうか僕は断定できませんが、日本には『以心伝心』というやっかいな言葉があって、語らないで伝わることを美徳とする風習があるようです。
ですが僕は『以心伝心』という言葉は願いの表現だと思っています。人間はいかに『以心伝心』しないかを知っているからこそ、奇跡の一瞬を願う言葉だろうと思っているのです。『以心伝心』が、個人の人格を否定し、空虚な中心を持つこの国の共同体の絶対性を補完する言葉でないことを僕は願っています。
映画の時は、百人近いスタッフが、ワン・カットごとにテーマを聞いてきます。もちろん、僕が百人に直接伝えるわけではないのですが、それはもう、ワン・カットごとに説明を求められます。百人に伝えるために、自分の美意識さえも、ミもフタもなく語らなければいけないのです。
それはもう、戦いと言っていいぐらいです。頭の中で、中島みゆきさんの『ファイト』が流れるぐらいの戦いなのです。
そして、たぶん、ラヴレターの中には、百人以上の思い出があるのです。それを中途半端な形で、ほんとうの『語られない言葉』を生む前に終わらせるのは、もったいなさすぎると僕は思っています。
本当の「語られない言葉」は、戦いの後に生まれると思っているのです。
そして、その「語られない言葉」が、人生そのものになった時、物語は、『ファントム・ペイン』へと続くのです。
今日はほんとうにどうもありがとう。
ごゆっくりお楽しみ下さい。では。
鴻上尚史(「スナフキンの手紙・ごあいさつ」)より