投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦時
ソ連はチェチェン人をコーカサスから追い出し、
カザフスタンなどに送った。
黒焦げになったコーカサスには、
少年院が移設さて、
まともに生きていく希望を失った人たちが入植した。
主人公は双子の兄弟を持つ少年。
彼は浮浪児で、少年院に入れられていた。
生きるためにいろいろなものを盗んだ。
しかし尚兄弟や大切な人を思い続ける。
常に餓え、乾いていても少年達は生きていた。
なんともいえぬ苦しい読了感。
苦しくて、涙を流すことすら出来ない。
まだ過去の問題ではない。
世界にはまだクジミン兄弟がいるのだ。
著者の自伝的小説。
投稿元:
レビューを見る
世界大戦末期のロシア―コーカサスを舞台に、孤児の双子の兄弟の視点から描いた作品。
絶頂からの暗転の部分はわかりやすいのだが、やはりどきりとする。
チェチェン人は、物語のはじめの方から触れられているのだが、あくまでimplicitな表現なので、
それが物語全体の悲劇をかきたてている。そして最後まである意味(悲劇の行方が分からない)では漠然としたままなのである。
投稿元:
レビューを見る
図書館の本 舟江・西川
内容(「BOOK」データベースより)
一九四四年。五百人の孤児がモスクワから人影の消えたチェチェンの村に移送された。食べることにすべての知恵をそそぐ孤児たち。強制連行によって奪われた地の回復をかけてロシア人への攻撃を繰り返すチェチェン人パルチザン。戦争のなかで真っ先に生きる望みを絶たれる社会の除け者たちの姿を作家の少年院体験をもとに記録した真実の物語。
チェチェンの背景がよくわかっていなかったけれど、ちょっとだけこの本で何が起きていたのかわかった気がします。
子供を守るのは大人の仕事なのだと改めて思うし、子供の悪さは大人のふがいなさなのだと思い知らされた本。
大人に隠し事があれば子供も荒れるよね。
この後コーリカがどうなるのかの物語はあるのでしょうか?
投稿元:
レビューを見る
ずーっと読もう読もうと思いながら、かれこれ6年程、思ったままでしたが、最近購入し、いっきに読みました。
1944年のチェチェン人などコーカサス諸民族の強制移住後、人々のいなくなった旧自治共和国領土に、次々と人々の入植が進められた。入植した人々は、戦争で疲弊し、また傷跡を抱え、それぞれにそれまでの生活に絶望し、新しい希望を求めてコーカサスにやってきた。その中に、何も事情を知らない多数の孤児たちがいた。彼らは、コーカサスについてほとんど何も知らず、自分たちが新しく住む場所に、ついこの間まで誰かが住んでいたなどと想像する事もできなかった。
主人公のクジミン兄弟を中心とする冒険、その展開と共に徐々に明らかになるコーカサスやチェチェン人の悲劇、そして何も知らずに入植した子供達を待ち受けるものは・・・。
クジミン兄弟の軽妙なやりとりとリズミカルな展開で読者を楽しませつつも、コーカサスに潜む恐怖を背後に忍ばせるストーリーの運び方。終盤には、入植したロシア人孤児の孤独と言いようのない恐怖を、家族を失い強制移住から命からがら逃れたチェチェン人孤児の孤独と恐怖に重ねていく。
同じ時代、同じ国に生き、違う立場にいながらも同じ境遇を経験していた人々、そこにある不安と恐怖、それでも傍にいる人の力で生きていける彼らの輝き・・・。この道の先には、何が待ち受けているのだろう。
是非、読んでほしい。
投稿元:
レビューを見る
評価の難しい作品。描写とプロットは圧倒的だが読後の後味が悪い。誰も幸せになれないし希望のかけらもない。
タイトルを見るとアルプスの少女みたいなイメージがあるが
全編全て絶望と暴力の嵐だ。
青少年向きの本ではない。
希望の記述はあれど奴隷の生活を謳う共産主義者の本だ。
投稿元:
レビューを見る
尊敬する米原万里さんの書評に惹かれて手に取った。
米原さんは号泣したと評しているが、私は号泣はしなかった。
いつも一緒であるはずの双子の兄弟の末路や誕生日を祝うとを知らない双子の兄弟を見ていると胸が痛んだ。
また、十歳程度の子供ながらに戦争の愚かさの心理をついている点が興味深い。戦争の愚かさとは本当に単純なことなのだの思う。
結末の二人がどこにいくかは分からないが、これ以上辛い目には遭わないで欲しいと思った。