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原書名:Texte autographe des exercices spirituels et documents contemporains
著者:イグナチオ・デ・ロヨラ(Loyola, Ignacio de, Saint, 1491-1556、スペイン、イエズス会初代総長)
役者:門脇佳吉(1926-2017、旭川市、神学)
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体系だった神秘行法は、ヨーロッパにはなかったのではないでしょうか。
(本物の薔薇十字など、極めて限られた人々を例外として。)
黄金の暁も、具体的な修行法に関しては、結局ヨガや密教頼りだったわけですし。
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イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」読んでから家や
岩波文庫だから安くていいぞ
この本は16世紀にロヨラが自分の神秘体験を弟子たちにも体験させようと作った約4週間の観想プログラムだ 。ま、とにかく読んでみ
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英訳では、the spiritual exercises、要するにカトリック式「霊魂の訓練マニュアル」である。1548年成立。イエズス会をつくったロヨラは30歳まで騎士だったので、根が「体育系」で訓練好きなのである。「霊操」は四週にわたる訓練過程で、特徴はイエスの生涯をリアルにイメージすることである。例えば、イエスが生まれた洞窟の広さはどうだったかとか、マリアが9ヶ月の身重でロバの背に揺られどんな道をたどって旅をしたのかとか、イエスは処刑されるときはどう感じたとか、こういうことを想像力や五官を使って事細かく一時間近く観想するのである(朝から晩まで労働をはさみながら五回程度やり、就寝前に翌日観想することを予習する)。映像メディアのなかった時代、こんなエクササイズをやったら中世の尻尾を引きずっていた人は大いに「感動」し、修道院へ行ってしまう人もでたろう(実際に家出した母娘がいて、ロヨラは異端審問されている)。『霊操』の手法を悪く使えば、カルトの洗脳にも使える部分があるのではないかと思う。しかし、この本の内容は基本的に健全な範囲にあると思う。カリキュラムを示すと、第一週は「根源と礎」で、良心の「特別究明」、「一般究明」、第一から第五までの「霊操」である。「特別究明」とは罪(sin)を何回犯したかを数えるもの(中国にも『善書』というのがあり善と悪を簿記のようにつける)、「一般究明」は神の恵みへの感謝など、第一霊操は自分の肉体が滅びること、願望を願うこと、天使の犯した罪、アダムとイブの罪、過去の人の罪を観想する(自分の罪を思うのは最初は無理なので他人の罪をイメージする)。第二は自分の罪を場所、会話、職務など具体的にイメージして観想する。第三は自分の罪・行動の無秩序・世俗の本質などを観想する。第四は反芻、第五は地獄の観想で、炎・悲鳴・硫黄の悪臭など五官を活用して観想する。霊操の後ではマリア・イエス・父なる神などと対話する。第二週は「キリストの国」、「二つの旗」などの観想、イエスの軍勢とルシファーの軍勢を想像し、勇気をふるいたたせ、イエスの誕生から観想していく、二週目の最後に「選定」がある。これは自分が創造された目的をみつめ、自分の将来進むべき道について神が示してくれるのを願う。「選定」は神が動かしてくれ、知恵があり、平静なときになされるべきである。邪な愛着から離れる「不偏」も大事で、自分が死んだ時、あるいは最後の審判の時に「こうすればよかった」と思うことを選ぶべきだとされる。第三週はひたすらイエスの一生を想像力や五官を使ってトレースしていく。第四週はイエスの復活を観想し、「愛に達するための観想」を行う。この世界では、天・無生物・植物・果実・家畜・人間など、あらゆる存在の根底に神が働いているとされる。これを想像できれば、日常生活にありながらも神とともにあることになる。もはやことさらな観想など必要としなくなる。これが霊操の最終段階であるそうだ。「諸規則」では霊魂がどのように「人類の敵」から誘惑されるか、施しをどうするべきか、「疑悩」(悪の誘惑なのかそうでないのか分からないこと)の対応などを述べている。「教会の中で感じ考えること」では、カトリック教会は聖霊に導かれており正しく、儀式・装飾・制令��慣習などを肯定・賛美すること、「神の予定」を考えると無気力になるので思い詰めないようにすること、「信仰のみ」を強調すると善行の情熱がなくなることを言い、プロテスタントを(名前をださずに)批判している。ロヨラはルターとは反対に言葉より「行い」を強調する。「霊操とは、良心を究明すること、黙想すること、観想すること、口祷や念祷すること……散歩したり、歩いたり走ったりすることを体操というように霊操は魂を準備し、調えるあらゆる方法」である。要するに、自分の使命をみつけ、神のみちる世界で、その意志を感じながら、自分を生かして強く善く能動的に生きることであろう。「人間は創造されつつある。それは主なる神を賛美し、敬い、仕えるため、またそれによって自分の魂を救うためである」という人間観はとても興味深いものだ。要するに、人間は向上しうるのである。訳者は、禅と霊操をどちらもやった人で、禅宗との共通点も注釈で一つ一つ説明している。「律動」(霊操の祈祷法、一息の間に祈りを唱える)と「数息」(禅宗で呼吸を数えること、身体と精神を一致させる効果あり)が似ていることなど、大変興味深い。しかし、少々くどい面もある。ロシア・フォルマリズムの「異化」などという注は不要じゃないだろうか。知らない人には分からないし、知っている人には「どこが?」という話になる。とにかく割り注が長いので通読の妨げになる。禅宗は「不立文字」がモットーだが、禅宗ほど多くの典籍がある宗派もないといわれる。一般的に神秘主義者は語りすぎる傾向がある。新興宗教の指導者がたくさん本を出していることからもよく分かる。「霊操は読む本ではなく、実践する本である」という言葉で充分だと思う。訳者がいう「現代心理学」はユングなどの深層心理学で、行動主義や脳科学はふまえていない。また、『霊操』のテキスト成立を整理していないのは問題だろう。ロラン・バルトがロヨラを「映像言語のロゴテート(言語設立者)」(『サド・フーリエ・ロヨラ』)といっているそうである。『霊操』はローマ・カトリック教会に認可された修養法である。現代も使われており、信徒100万のうち2/3が霊操を何らかの形で行っているそうだ。
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悪霊と聖霊の活き辯別。
地獄の黙想や、荒みについてそれも神の沈黙の声という指摘は、地獄や悪霊を拒否し、ただ、天界だけを意固地に追われるようにして求める強迫観念に駆られていた私には、救いのようにも思われた。
禅との関連も多く指摘。
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【由来】
・もう、全くの偶然で大学の図書館で、タイトルに誘われたのと、最近、どっかの本で「ロヨラ」の名が頭に残ってた。
【期待したもの】
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【要約】
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【ノート】
・キリスト教の聖人の教え。日や週単位で鍛錬のプログラムが組まれてる。CCDじゃないが、これを今日的にGTDやライフハック的に読み解いてみるのも面白そうと思った。
【目次】
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手にとってみたときは、マニュアルっぽい現代にも通じるスタイルが面白くて買ってみたが、つらつら見ると自分には得るところはあまりない・・。宗教の観想というのはそういう外形を持つのか、という知識のみ得たというところ。
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長い間欠品していて、古本屋街を練り歩いては探したのに。
いつの間にかAmazon.co.jpで復活しているじゃないか!
イエズス会の異常な「強さ」の発端を垣間見た。
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言わずと知れたロヨラの霊操。
教育の一環として瞑想を取り入れようと手にした。その前に宗教関係で人から進められていたが、食指が伸びずそのままになっていた。
30日間の霊的なエクササイズとのことだが、しかしストイック。現代ではいかに純粋なクリスチャンだろうとそのまま取り組むのは、修道院にでも入らないとできないだろう。どこまでも前期近代だ。
しかし当時からするとかなり挑戦的な内容だったよう。対抗宗教改革の旗手であるイエズス会、の創始者ロヨラによるリベラル保守な一冊。おすすめかな。。