紙の本
科學といふのは、昨今では、さほど萬能でも興冷めなものでもありませんのよ、エディソンさま。
2004/06/01 11:11
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:べあとりーちぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「黙っていればお嬢様」などと言われたことのある女性は決して少なくないだろう。大人しそうに見えるのに…とか、冷静沈着で賢そうに見えるのに…とか。大抵は願望半分の思い込みで勝手にイメージを膨らませておきながら、実際は違うといって勝手に失望する。堪ったものではない。
本書のヒロイン、ミス・アリシヤ・クラリーはさらにその上を行き、「黙っていれば女神様」である。ルーヴル美術館の「勝利のヴィーナス」像に瓜二つの完璧なプロポーションと美貌、音楽的で神々しい歌声を持ち、しかし魂は合理主義と拝金主義と常識の権化。彼女に恋する若きイギリス貴族、エワルド伯爵に言わせると「あまりにも俗物」ということになる。
この世の神秘や至高の芸術、深遠なる哲学について語りたいエワルド卿はいつもアリシヤに「詩的なそして霞のやうなもの」と取り合ってもらえず鬱屈している。美の化身である彼女が、自分の「美」を商品としてしか捉えないことに我慢がならない。さりとて彼女を捨てることもできずに思いつめるあまり自殺を考え、別れの挨拶をしにエディソンを訪れたエワルド卿を救うためにある提案がなされる。「身代わりを作ってあげましょう」と。
そうして科学の力で作られたハダリーには、モデルのアリシヤとはまったく異なる、気高く崇高な魂が宿っていた…。
「メンロ・パークの魔術師」エディソンの本作中での役回りは、デウス・エクス・マキナであると同時にリラダンの恋愛哲学、至高の愛の理想についての語り部である。エディソン(=リラダン)が忌み嫌う「合理的で常識的で堅実な」「科学万能主義の」現代社会への反証たるハダリーを、科学の申し子・エディソンが作り出すという設定に、リラダンの皮肉を感じずにいられない。純粋に精神的な恋愛の悩みを科学で癒すという筋書きも同様である。
作中エディソンがとうとうと語る女性観は、エワルド卿でさえ「実に手厳しいですな」とコメントするほど独善的で、時に熱狂的な方向に脱線しがちである。訳者・齋藤磯雄氏による解題によれば、リラダン自身、アリシヤに幻滅させられたエワルド卿と同じ体験をしているのだという。その苦い思い出が、エディソンの偏執的なまでの「男性にアピールするための人工的手管」への攻撃に繋がっているのだろうか。「幻想に報いるに幻想を以ってす」と言い切るエディソンの悲鳴に似た言葉は、もしこれがリラダンの心情の一端なのだとすれば、あまりにも哀しい。
ハダリー(古代ペルシャ語で「理想」を意味する言葉らしい)の制作工程が詳細に語られる章では、妖しくも幻想的な気分を味わえる。エディソンは真面目に「科学的な」説明をしているのだが、それは科学というよりもある種の魔術に関する薀蓄のようである。黄金の円盤、水銀を満たしたクリスタルの球や壺、プラチナの鋼線によるからくり、紫水晶や黒ダイヤや真珠の指輪に擬された各種のスイッチ、潤滑用の薔薇の油…。リラダンの時代には、「科学的」という言葉にはこのようなロマンティックな要素も含まれていたのかと思うと、ちょっぴり羨ましいような気がした。
さらに忘れられないのが魂を吹き込まれたハダリーの悲哀である。エディソンはハダリーの言葉はすべて「事前に録音しておいたアリシヤの言葉を適宜再生しているだけ」と言う。生みの親にも、ましてやエワルド卿にも信じてもらえないが「自分はここに居るのだ」と切々と訴えるシーンは、(多少ウェットではあるが)情緒的で印象的だった。
齋藤磯雄氏の訳文も、原著の持つ衒学的で幻想的で一種退廃的な美しさをあますところなく写し取っている。おそらく本書の魅力はこの訳文なくしてありえない。旧漢字旧かな使いなので慣れないと読みにくいかもしれないが、そういう訳で本書は断じて現代風に訳し直すべきではない。じっくりと時間をかけて読んでほしい。
紙の本
知名度が意外とある作品
2017/06/09 22:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サラーさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルは聞いたことがあるけど読んだことはない本の一冊に数えられるかと思います。中身は美しいが、内面はとても醜い人形を溺愛する話です。ストーリーはほとんど展開されず人形、ハダリーについて語る形です。ただそれをきいているうちに読者自身がその異常性を感じて、読み進めながらも異常さを考えてしまう、読者自身を考えこませるところがこの作品の本質かと思いました。翻訳文が古くさくて、分厚いところが敷居が高ねていると思い、星を1つ取ります
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映画『イノセンス』の冒頭にこの物語の一節がおかれています。当代の天才エジソンが昔世話になった英貴族のために人工の女性を作り上げる。それは単なる人形ではなく自ら動き、自ら喋る、人間の女性となんら変わることのない、そしてその女性の中でも比類のない美しさをその身に体現しているのである。物語は貴族が自分の現在の不幸を語るところからエジソンがその不幸を癒すために彼が製作する人形と共にあることを提案しそしてその人形がいかに精巧で生身の人間に劣らない素晴らしいものであるかを説明していく。そしていよいよ完成し、貴族はその人形と共にイギリスに渡るというところで……
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旧かなづかい・旧漢字なので読み難いですが、それでも読む価値はあります。
19世紀末に書かれたおそらく世界初のSF小説。
エジソンとエワルド卿のエゴに何も疑問を抱かないハダリーにはきっと「人権」という概念がないのでしょう。そこが哀れだった。
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現代の創世記とでも言うべきテーマだが、要するに男ってバカよねって感じ。「Villiers de L' Isle-『Adam』」が『イヴ』の物語を書いたという符号が面白い。
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「亡ぼす以外に能のない、あの裏切者の「理性」が、ひそひそ聲でもうあなたに囁きかけてゐる口實を楯に、わたくしを追ひ拂はないで。」
齋藤磯雄の名訳。旧仮名遣い。翻訳者には原作の文体を忠実に訳すひとと、いったん完全に解体して日本語としての美しさを偏執的なまでに練り上げていくひとがいますが、齋藤磯雄はあきらかに後者です。美しい。
人間の認識対象のひとつである「他者」はただ「人間らしいもの」として目に映るだけで、本当にその他者に心があり生きているのかどうかを知るすべは基本的にありません。
ただ身体が知覚できるだけのオブジェクトとしての「他者」に対して、なぜそれが自分と同じく「自我」をもっていると感じるのか、というのは近代哲学の抱える最大のアポリアのうちのひとつです。
人形、あるいはロボット、という「知覚的には人間と同じ形骸」をした「モノ」に、人間と同じ生命を感じ、そのうえに魂を感じ、さらにはその魂を、生きた人間のものよりも崇高に感じて愛する主人公エワルドの苦悩は、生き物でありながらイデアをいだく人間という生命形態の昔っからの欠陥をもっとも悩ましい形で抽出したと言うことができましょう。僕たちは知覚し、感覚し、認識し、生存し、そうして世界を愛したり扱ったりするわけですが、イデア――ハダリーを見、感知し、悟り、愛するとき、それは果たして生命として善なることなのか、考えざるを得ません。
しかし実際のところ、ほんとうに物質に「魂」がないのかどうか、それはユング的錬金術が精製する「賢者の石」がうみだす黄金のようなものなのか、考えてみるとおもしろいですね。アニミズム的に物質に精神を見るのは別に日本人や子供に限ったことではないと思いますが、それは僕たちの獲得した「心の理論」の過剰適用なのか、それとも正当な「感覚」なのか? ドラえもんを前にして問いかけてみましょう。「ロボットのきみと人間のジャイアンが生命の危機に晒されていたら、僕はどっちを助けるべきなんだろう?」
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読み辛い漢字、長ったらしい薀蓄、鼻に突く女性観・・・を差し引いても、素晴らしい一冊だと言えてしまう。そんな本、あまりない。
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旧字体の訳が耽美な雰囲気を高めています。
若干の読みにくさはありますが、人形好き、アンドロイド好きにはたまらない一冊のはず。
ハダリーについての過剰なまでの解説に、リラダンのこだわりを通り越した妄執のようなものを感じます。
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映画「イノセンス」の原題にもなった本。正漢字・歴史的仮名遣いが若干読みづらいですが、それがまた世界を深めています。
本当の文学を求める人へ薦めたい本です。
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文体が読み辛れーー。でもそれがこの本の、独特な雰囲気をかもしだしてヨロシです。話的には普通に面白いってかんじかなぁ。押井ファンは読むべし。
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成程確かに美しい文体が伝わる名訳だと思う。
しかし、とにかく理解するのが難しい。
エジソンの独り言及びハダリーについての説明の部分だけならまだしも、リラダンは人造人間の仕組みそのものの説明に100は優に超えるページを割いている。
訳本は原文のニュアンスを伝えるのが難しい。
更に、この『未來のイヴ』は正漢字で書かれている。
だがそれだけではない。自分の理解力の限界があり、私のそれでは、漠然とした感覚で捉えるのが精々である。
理想の女を追い求めるエワルド卿の台詞には、男の自分勝手さが垣間見え腹立たしいものがあるが、文体は美しく、しかし、あのオチが待っている。
リラダンはもしかすると、どこかサディスティックな所がある人間だったのではないかと疑ってしまう。
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偏執的とも思えるアンドレードの説明記述が、旧字体の浪漫溢れる文章と相まって幻想的な想像を膨らませてくれる。
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完璧な美貌を体現したはずのアリシヤは、認めがたい醜い人間性を持っている。それゆえ、恋人のエワルドはその魂がなくなってしまえばいいのにと願う。するとそこへ魔法使いエディソンがやってきて、願いを叶えてしんぜようという。そして願いは叶う。エワルドは<本来こうあるべきはずだったアリシヤ>を手に入れる。
*
中盤で読者は、エディソンの長口上に対する疲労感をエワルドと一緒に味わうことになる。なぜなら、それは極めて「実証的」で、どこにも「魂」や人間的なものが見いだせないように思われるからだ。
そもそもエワルドの願いとは、<人間アリシヤ>がその魂を入れ替えてくれたら、人間でありながら奇形的な美しさをもつという類まれなる事態、奇跡を自らの手に入れられるのに、ということである(それが叶わないから死のう、というわけ)。
それに対してエディソンが提案するのは、人間アリシヤの更生(=魂の入れ替え)ではなく、むしろ肉体のほうの交換であり、すなわち人造人間の創造であり、そこに理想通りの魂を入れてしんぜようというものなのだ。
当然エワルドの願いは、人間アリシヤの更生であって、血の通わないアリシヤそっくりの人形を手に入れることではない。そんなのは自分の願いを叶えることにはならないだろう、とエワルドの疑いはなかなか晴れない(恐らく最後の絶望の瞬間まで)。
しかし、エディソンは問題を巧みに入れ替える。あなたがアリシヤに感じとっている美、そしてそこから望んでいる理想的な魂というのは、すべてアリシヤの外見的特徴から再現可能であるのだから、外見的特徴を完全に備えた人形を作れば、あなたはおのずからそこに理想の魂を見出すことができるでしょう、とこういうわけだ。
エディソンの再三にわたる詳細な説明にもエワルドは半信半疑である。よもやそんな完璧なものはできまいと思い、ハダリーになんらかの思いを感じながらも、最後の最後まで、人間に人間を作れるわけがない(=人間アリシヤに代わるものなど作れっこない)と信じている。
そして、この懐疑はエワルドを介してはいるものの、読者自身の懐疑でもある。読者はエワルドと一緒にエディソンの解説に興ざめしながら、やっぱり人造人間なんてできませんでしたとなるんじゃないのかと不信な思いを払しょくできない。
できるというが、できるわけがない。という葛藤。
では、どうすればその不信を払いのけられるのか。
リラダンの与える解答は極めてシンプル。すなわち実際に完璧な人造人間を作りおおせること(=騙しおおせること)によってである。
エワルドの最後の絶望は、いったんは、人間アリシヤはやはり存在しなかった、自分の感じたアリシヤに対する深い愛情を肯定する材料は、すべて幻であったのだという思いから来ている。
だが次の瞬間、エワルドの思いは反転する。エワルドが求めていたのは、むしろ最初から幻だったのであって、人間のアリシヤなどではなかったのではないか。アリシヤという名の元に求めていたのは理想体、肉体と魂の��璧なる調和だったのではないか。
まんまとエディソンにしてやられるというわけだ。
*
ここでリラダンは、ひとつの理想のあり様を描いていると言える。
完璧なものがあれば、それは必ずや理想を現実化できるはずだ、という希望。
それがどのように達成されるかということにはお構いなしだ。もし達成されるなら、そこにあるのは理想通りものもであるという、一つの思考実験を、リラダンはエディソンを通じて行った。
完璧な美というものが完全なる人工的な美と限りなく近づくということ。
言い換えると、人間には完璧な調和などというものは出来ぬ相談で、あり得ないのだということ。
人間における奇跡を求めながら、人間に似せたものでしか奇跡を起こせないのだという矛盾。
リラダンは、このあり得ぬものを、最終的に消去してしまう。ハダリーという完璧な恋人は、まさにその最初の存在通り、幻想の彼方に消える。
魂とは、そもそもの最初から愛する肉体に見出す幻想であり、私たち自身が他者に求める理想的な思想のことだ。
完璧に再現された肉体によって、エディソンは人間ならざるものを、人間と同じか、それ以上の崇高な存在として認めさせることに成功した。魔法使いエディソンの腕前をご覧あれ、といったところ。
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初めて「アンドロイド」という言葉を使ったことで有名な小説です。
なのですが、SFというよりは、「科学万能の時代」背景をガジェットとして使った幻想文学の趣です。
発明王にして魔術師エディソンが、年頃の青年貴族のお悩みに、テレズマを用いて精神を宿し、科学技術の粋を尽くして作り上げた肉体からなるアンドロイドで、解決するというお話。
勿論、モデルはエディソンその人で、マッドサイエンティスト度あっぷ、人間性あっぷでお送り致します。
ただし、俗物に対する思いの演説(愚痴)が長すぎるのがたまにキズっ
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史上初めてのアンドロイドはアナログな造り。指輪がスイッチになっているなど浪漫を感じる。反(〈自然〉主義)。