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フーコー読みにもとめられるのは、変化と一貫性の両立に耐え続けることである。それが知性の一つのかたちである。
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フーコーといえば『監獄の誕生』というイメージ。あと近代の人だと思っていたから20世紀の人だったのがちょっと驚き。
「系譜学」、「規律権力」、「生権力」、「装置」など用語に注目して読んだ。他の人に説明するためだったので何度も読み直して理解しようとしたけど、それでも分からないことがけっこうあった。他の本も読んで複数の説明から理解を深めたい。
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網羅的に、一貫性を持って、手堅く、フーコーの著作を解説。最初に読む本として、まさに入門として適切ではないだろうか。
・ある種の自由は、直接に制約を加える社会と同一ではないとしても、それに劣らぬ拘束的な効果をもたらす。
・カントが試みたのは、人間の理性の限界を明らかにすることだったが、フーコーにとって理性の定めた限界を〈侵犯〉することが重要な課題となる。
・精神医学が科学となったから狂気が疾患として認識されたのではなく、狂気が「精神の病」として位置付けられたからこそ、精神医学と心理学が可能になった。
・歴史に目的があるという考え方は抑圧的な機能を果たすことがある。「人間の目的」や「正義」に適った行為をしていると確信している人物は、他者に対して過酷な抑圧を行使することをためらわないからである。
・この生物学、言語学、経済学の誕生によって、〈人間〉という概念が誕生した。18世紀半ば。
・哲学に〈考古学〉の方法が必要となるのは、明晰な自己知が存在しないという認識があるから。
・ある思想が一つのエピステーメーにおいて確保していた位置ではなく、だれがその思想を真理と信じて行動するかの方が重要な意味を持つ
・これまで権力は「排除する」「抑圧する」「隠蔽する」「取り締まる」などの否定的な用語で考えられてきたが、権力は主体の内部から、現実的なものを生み出している力として理解する必要があるのではないか。
・レゾンデタ(国家理性)と同じ構造が司牧者権力にある。より大きなものの維持のため。
・司牧者権力が、他者の幸福を目的とするというみかけのもとで、教会の支配の原理を貫徹しようとすることにある。
・〈自由な社会〉が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな〈眼〉を魂の内部に埋め込まれた主体である、という逆説のもつ意味は大きい。
・身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのである。
・社会が欲望の概念によって人々を組織しようとする時に、個人が社会の生-権力に抵抗することのできる重要な根拠は、自己の身体とその欲望である。
・福祉社会の先進国である北欧諸国やカナダと米国が、優生学研究の先進国でもあることに示されているように、生活を保障する社会は、「劣った」生命を抹殺することで、生活の質の高さを維持する方向に向かう危険性はないだろうか。
・ゲイに〈なる〉こと、それは現在の社会で公認されていない新しい生き方を模索すること、他者との間で友愛に満ちた新しい関係を模索することである。
・フーコーが示した可能性の一つは、人々が自己を放棄しないこと、自己の欲望を断念しないことにある。しかも自己の欲望を解釈して、自己の欲望の〈真理〉を求めるという〈オイディプスの罠〉にはまらずに、自己の欲望が実現されるような世界に向かって、わずかながらでも自己と社会を変えていくことである。
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最近、ジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル」と「自分自身を説明すること」を読んで、すごくフーコーの影響を感じた。
フェミニズム系の論者の間では、フーコーはあまり人気がないと思っていたので、個人的にはなんとなく意外であった。
というのは、私の個人的な偏見かもしれないが、アメリカの大学で政治哲学を学んだ2人の教授が、ともにフェミニズム系の女性で、一人は、「フーコーは女性のためになる哲学か?」みたいなエッセイを書いていたりしたことを思い出したりもするからだ。
さて、そのフーコーだが、その知識と権力に関する緻密な分析は、圧倒的なのだが、読んでいて、なんだか元気がでないんですよね。
だって、権力というのは、自分の外部に抑圧的な支配構造としてあるというわけではなくて、個人の内面に制度化されていて、それに対抗するという行為自体が、権力に取り込まれて行くみたいな話しで、ちょっと救いがない感じがするわけ。
そういうニュアンスでフーコーを読んでいたので、バトラーがフーコー的にジェンダー概念の社会的な構築を指摘しつつも、その秩序に対するパフォーマティブな攪乱を目指すという戦略につなげて行くロジックがいまいち分からなかったのだ。
で、「自分自身を説明すること」で、フーコーの「自己への配慮」への言及があったので、「そうか、バトラーが踏まえているのは、晩年のフーコーなんだ」と思い、フーコーへの再入門を行うべく本書を読んでみたという流れ。
で、とってもすっきりしましたよ。
あの難解なフーコーがこんなに分かって良いのかという感じ。
これは、まさにフーコーの主な著作だけでなく、講義録やインタビュー、小論文などなどが整理されて読む事ができるようになって始めて可能となった入門書だな。
ある意味、フーコーが最後にたどり着いた境地から逆算しながら、その思想の変遷を物語化している、という印象もなくもないが、フーコーの思想の一貫性がとてもよく分かる。
つまり、フーコーが、過去の権力のあり方を分析したのは、決定論的な社会的構築を述べるためでなく、私たちが今生きている社会を変革するためである、と。(途中、かなり悲観的なニュアンスが強くなる時期があるのだけど。)
フーコーが、晩年にたどり着いたのは、「実存の美学」という主体の問題。これは実存主義的な主体という概念に対して批判的だったフーコーにとって、一種の退行ではないか、とも批判されたところなのだが、その辺も含め、本書は一貫性をもってすっきり説明している。
あと、本書によると、フーコーの最後の境地は、「真理ゲーム」という概念で、これはウィトゲンシュタインをヒントとしたものらしい。フーコーは、このゲームのなかで、主体が、他者との関係性を変革を目指して、行動することを通じて、社会や権力が変化する可能性を見出していたとのこと。このへんは、私の最近の関心事にぴったりである。晩年のフーコーをもうちょっと勉強してみよう。
ちなみに、フーコーの個人的な社会変革に向けた実践とは、ホモセクシュアルで���ることを認めて、頑張ってゲイになること!
というところが、レズビアンで、それを公言しつつ、その生き方を通じて、他者との関係性の変化を志向するバトラーとフーコーはぴったりと合致していたんだ、と納得。
それにしても、ゲイの実践がたたったのか、84年に還暦前にフーコーはエイズで死んでしまったわけで、もう少し長生きして、その「実存の美学」や「真理ゲーム」の概念をちゃんと展開してほしかったと今さらながら思う。
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フーコーは『監獄の誕生』について少し知っている程度だったが、権力という一貫した主題をもって、考古学や系譜学といった考えや、装置などの基礎的な概念を知ることができた。とてもわかりやすく、おもしろい。次は実際にフーコーの著作を読んでみようと思う。
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フーコーの足跡をたどるための一冊。
非理性という罪、人間の分裂、歴史の目的性と進歩、生かす権力と殺す権力などなど、これまで「監獄」以外ではあまり触れることのなかったフーコーの思想について理解することができた。
もっと強い刺激を受けても良いような内容だったが、あまりそうした面を強調しすぎず、あくまでフーコーの思想を淡々と追って行く内容で、これはこれでよかったのかも。
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基礎的なワードを丁寧に説明してくれ、入門書としてとても良かった。
また、初期から後期への思想の変遷と、その中で一環した目的など、よくこんだけ綺麗にまとめたな、、という本。
生権力に対して、抗うことは可能なのか。
「真理のゲーム」を続けなければいけない。
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真理という常識が、まなざしとしてある。生き方に不安になり、誰かに告白することで、「健常な世界」に頑なにしがみつく。疎外された自己は本当の欲望を隠す。「ありのままに!」。真理は個人それぞれがもっているのだ。
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■著者が扱っているメインテーマ
思考のエチカとは?
■筆者が最も伝えたかったメッセージ
社会が用意した真理に従うより、自分の欲望が実現される世界に目を向けて、
自己と社会を変えていこうという意志。
■学んだことは何か
本当の自由って社会や集団が用意した場所に従って生きることではなく、
自分の欲望と向き合い、そこを追求していける人生なんじゃないか?
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フーコーの生涯を著作を中心にまとめたもの。この本からすると著作そのものが簡単なようにも思える。でもこんなものではないと思う。
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現在、私の存在、思考がどのような意味を持つのか、ミシャエル・フーコーの哲学をもとに診断することで、自分が考えているよりもはるかに自由であること、自明で真理だと信じられていることが、歴史の特定の時点に作りだされたものであり、この自明性は批判し、破壊することができるという。
フーコー入門ということで、
『狂気の歴史』『言葉と物』『監視と処罰ー監獄の誕生』などなど全く読んだことが無い人でも、フーコーの哲学の概要が分かる。
フーコーの個々の自由な主体の行為(真理を語ること)である真理のゲームに参加するという考えは、何かスリリングな気もするが「普遍的な真理」にこだわることはないのだと心が軽くなり、またすぐ目の前が霞む。
しかし、現在を生きる私たちのまなざしが新しい物の秩序を開く、、その通りかもしれない。
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フーコー入門として、非常に読みやすい。
後半は、フーコーの著作から彼のアイデアを解説していく流れになるが、「どの著作について、どのような観点で」解説していくかを明記しているので非常に理解しやすい。
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自分の信じたものをもう一度見直すことはかなり面倒だと思います。見直さなくてはこのままでは良くならいことは理解してるけど、面倒。
フーコーの真理を追うために何度も現実に向き合う姿に真理の重さを感じられます。
( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 https://www.bizmentor.jp/bookbar )
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簡潔かつ丁寧なミシェル・フーコーへの導き書。
キリスト教の司牧者権力と近代国家のポリツァイを同一の視点から分析するとは驚きました。
告解が罪の意識を作り、そこからまた告解へと戻る。無限のサイクルの内に人が閉じ込められている。
歴史を過去のものとして振り返る際、そこで表現「されたもの」と「されなかったもの」の差異、ディスクールを理解することの困難さと重要さ。
一面的な観点を見て単純素朴な結論に終着しないよう吟味することっすね。
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時代順に主要著作毎で章立てになっているので、各著作の解説を読み進めることにより、思想的な変遷が一応追えるような構成にはなっている。
著者はフーコーの思想には、現代を生きることの意味、現代において思考することの意味を問う、という一貫性があり、本著では、その思考のツールやモチーフを明らかにすることを目的とすると述べてはいるが、自分の勉強不足が原因なのか、その試みを充分に理解することはできなかったように思う。