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10月半ばに、劇団態変の公演「喰う」を見た。表現は抽象的、けれど演じる身体はそれぞれ具体的で、存在感があった。
公演を見て帰ってきて、いつだったかだいぶ前に読んだちくまプリマ-ブックス(このシリーズの本はスキなのが多かった)の金満里の本を借りてきて読んだ。久しぶりに読みおわって、これは金さんが42歳の時の本なんやと気づく。ひゃー、今の自分と同じ歳やんかと思う。
運動にとびこみ、親と衝突した20代前半、運動からはなれ、街で"不良"をやりだした20代の半ば、国障年ブッ飛ばせコンサートをやった20代の後半… こんかい読んで、20代の金さんの話、金さんが20代だった頃の世間の動きの話が私にはおもしろかった。30になった金さんが「態変」を旗揚げするにいたる中で、運動の挫折もあって「もう言葉だけの世界はいやだ、そう思った」(p.175)というのが印象に残った。
ふだん社会からじろじろ見られる障害者という立場を、舞台と観客という位置関係でそれを逆転し、舞台の上から観客に挑みかかり、眺めまわすという視点の転換をはかりたかった、とも金さんは書いている。
▼奇異な見かけの障害者が見世物小屋に売られ、見世物として生き延びた、というのは、ついこの前まであった話である。…
いくらそれが社会関係の産物だとはいっても、「変わったものを見てみたい」というのは人間の心理としてある。それなら、その心理を逆手にとらないという手はないのである。見世物に徹してあげよう。そのかわり、私たちを見ているその目を、あなたたちにも返してあげよう。それが、相手を嬲りものにしている自分の心理を見せられることになればいい―それが私の目論見だった。(pp.184-185)
私は、公演を見た、と思っていたけれど、こっちが見られ、眺められてもいたのか、と思った。私は、どんな目で見ていたのだろうと思った。
(10/17了)