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社会人になって久しいので、何気なく過ぎていく日常というものに今更ながら憧れる。特に、夏休みは時間はたっぷりあるが別段しなければいけないことはないので、遊んでいた気がする。しかも真剣に。あの真剣さは今から思うと滑稽だ。けれど、もう二度とあの時間は戻ってこないとわかると切ない。そんなことを思い起こさせる物語。
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2015年の神保町ブックフェスティバルで購入。
少年時代の夏の思い出を描いたノスタルジー溢れる長編。良いことも悪いことも、些細なエピソードを細かく積み重ねていく手法は短編的でもある。
ブックフェスティバルの晶文社ブースで買った時に、小冊子を一緒に貰った。丁度、亡くなってすぐのタイミングで作成されたようで、内容は追悼文が中心だが、邦訳書リストや経歴も充実している。恩田陸の『ブラッドベリは「死なない」』、何処かで読んだ記憶があるな……。
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SFの作品が有名だけど、基本的にとても叙情的な文章を書く人なので、少年時代の思い出なんか題材にとったら、どんだけリリカルなものが上がってくるか。これである。
自分が生きていることの喜びに気がついた12歳の少年の夏のはじまり。それを追体験できる本。そんな代物がこの世にあるというだけで、文学とは素晴らしいものだと思う。でも生きている喜びという強い光は、黒々しい影と隣り合わせだ。夏の終わりには少年は、自分も誰でもいつかは死なねばならないことを実感する。そこまで追体験できてしまう。
中の短編たちには明確な番号もサブタイトルも振られていないが、「主人公の家の下宿人の青年が老婆とアイスクリームを食べて恋をする話」「高熱を出した主人公に夜、高原の空気を届けに来たガラクタ屋の話」がとても好き。
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1920年代アメリカの郊外に住む少年のひと夏を描いた物語。
弟や祖父や近所の老人たちと触れ合う。その中の何人かはこの夏に生命を終える。
夏の間にたんぽぽを集めてお酒を作り、冬に夏を味わう。
ブラッドベリは初めて読んだが、文章が普通とは違う。婉曲的な詩的な表現が多用されていて、文章が表現している事実を理解してほしいのではなく、文章そのものをじっくり見てほしいということなのか。ストーリーを追うだけでは半分の価値も味わえず、文章そのものを体で吸収しなければならないという感じだろうか。読む人によって感じ方が大きく分かれるだろう。そういう意味で、文字数以上にいろいろなことが詰め込まれた作品なので、読む側もそれなりに覚悟しなければならない。集中力と体力を必要とする。
個人的には、何を言っているのか理解できないところや情景をイメージできないところがたくさんあり、あまり価値を感じられなかったというのが本音です。
この作品が好きと言えれば、文学好きだと公言できそうなのだが、なかなかそうはなれない。
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読み始めは、散文詩調の表現の字面を追うだけで一向に頭に入ってこず、なんと読みづらい小説だろうと読み進める意欲を挫かれそうになったんですが、そのうちにそれが心地よく響くようになってくるから不思議なもの。
峡谷に向ったまま帰ってこないダグラスを母と弟が探しに行くエピソードや、自分にも若く美しい頃があったことを少女たちに信じてもらえない老婆のエピソード、また、通り魔に遭う危険を顧みず深夜歩きをする若い女性たちのエピソードなど、サスペンスある魅力的な挿話もあり。
人生で唯一度しかない、十二歳の夏という刹那への郷愁。
そして、身の回りで死や別離の香りを嗅ぎ、少年は人生を識る。
人の生命の有限、そして無限を感じさせられる、心地よい読後感。
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12歳の少年ダグラスの1928年夏の成長を描いた物語。
起こった出来事だけに焦点を当てると、
ご近所さんが「幸福マシン」なるものを
作ってしまったその顛末だったり、おばあさんに
「少女時代なんてなかっただろう。」と酷いことを
言ってしまう女の子たちがいたり、
心温まることが書かれているわけではないのですが、
文章の表現がとても綺麗でノスタルジーを
感じてしまいます。
1929年が世界恐慌なのでその1年前、というのも
その当時には思いもよらない不幸が訪れる前の
平和なひとときというものが存在したのではないかと
思います。その瞬間には永遠に続くだろうと思っていた
平穏なひとときがそこにはあったのだろうと。。
英語で読んでみたいですねぇ…。
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1928年の夏。
12歳の少年ダグラスとその家族、または彼の住む町の人びととの、濃密で不可思議で、かけがえのない出来事の数々。
それは、21世紀に生きる私からすれば、単に『古き良きアメリカ』の暮らしなのだけど、その時代に生きている人々からすると、それは激動の時代の一瞬の夏なのだ。
年寄りのおじいさんが庭の芝刈りをするのはいかにも大変だろうと、好意で新種の芝(ある程度蠅揃ったらそれ以上成長せず、芝刈りの必要がない)を買ってきて、植え替えようとしていた隣人の青年におじいさんが言う。
”ここにある味わいのいっさいを、あんたたちは取りのぞいてしまうんだ。時間を省け、仕事を省け、そういってな。(中略)ビル、あんたもわしの歳になれば、ささいな面白味や、ささいな物ごとこそが、大きなことよりも大事なのがわかることだろう。(中略)なぜだかわかるかね?なぜならそこには味わいがあふれているから、たくさんの成長するものがいっぱいあるからだよ。捜し求め、そして見いだす時間があるからなんだ。”
年をとって、私もおじいさんの言うことがわかる。
大事なのは効率ではなく、無駄に見える物の中にある余裕なのだということが。
小説の感想としては大いに邪道なのは承知のうえで、この作品を内田善美の絵で見たいと思った。
彼の緻密で繊細な絵が、きっとダグラスの喜びや不安や悲しみや希望を浮かび上がらせてくれると思うんだよなあ。
たんぽぽのお酒が、その中に封じ込めたひと夏のあれこれ。
それは毎年同じようであり、一生にたった一回しかない夏なのだ。
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実家の父の本で読む。二十年くらい読まなきゃと思いながら放置していた。
父の本は、おそらく日本で最初に翻訳されたバージョン。
晶文社 文学のおくりもの①1972年第八刷とある。
オリジナルは1957年Dandelion wine
長新太さんのイラストが可愛い。
読みはじめてすぐは、ポエティックすぎて、最後までついていけるか不安になった。
夏休みのはじまりと同時に、人生のきらめきを謳う、少年ダグラスの話。
舞台は1928年。今から100年近くも前のことだ。
途中から、イリノイにあるグリーンタウンに暮らす人々のオムニバスだとわかり、だんだん読みやすくなりほっとした。
弟のトムの性格が面白くて好き。
さっぱりとしたなかに、ユーモアと寂しさがある。
翻訳の文体が素敵で、おかげでラストまで読み通すことができた。
タイムマシンのような老人の最後の長距離電話の話、高齢女性と若い新聞記者の交流、一家の精神的支柱であったおおおばちゃんの話、遠くへ引っ越す親友とダグラスの別れなど。
物悲しいテーマもあるが、湿っぽくならず、それなのに強い寂しさを表していて、それがくっきりとした印象を残す。
ブラッドベリといえばSF作家なのだろう。そちらの方面はとんと疎いので、今後もほかの代表作を手に取るかはあやしいが、本書のエッセンスは私の好きな部類だった。
(何度か出てくる、タイコンデロガ鉛筆という名前が面白くて。はじめは大根?と見間違いしていた。ネットで見たら、今もこの鉛筆はあるらしい。ステッドラーやトンボの鉛筆みたいなかんじ。)
きらきらした夏休みに乾杯。
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とても文章が長いので最初は戸惑いました。
でもすぐにダグラス少年の夏の世界に夢中になりました。
庭に咲くたんぽぽの花をたくさん摘みお酒を作るのです。
この物語には生と死が描かれています。
ダグラスは生きていることに改めて気づき、様々な人の死に出くわします。そしてとても深く考えます。
弟のトムとのやりとりもとても素敵に描かれていました。
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「輝く夏の陽ざしのなか、12歳の少年ダグラスはそよ風にのって走る。その多感な心にきざまれる数々の不思議な事件と黄金の夢…。夏のはじめに仕込んだタンポポのお酒一壜一壜にこめられた、少年の愛と孤独と夢と成長の物語。「イメージの魔術師」ブラッドベリがおくる少年ファンタジーの永遠の名作。12歳からみんな。」
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少年のひと夏の思い出や、彼が住む町で起こった事件を描いた小説。短編集ではないのだが、短編のお話がいくつも連続しているような作りになっている。個人的には、文章が装飾過多でごてごてしているように感じてあんまり合わなかった。
登場人物では人間タイム・マシンになるフリーリー大佐と、ガラクタ売りのジョウナスさんが好き。自分にも若い頃があったことを信じてもらえずに思い出の品を盗まれるおばあさんはかわいそうだった。