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聖書を引用しながら、甘えと人と神の関係を論じている。神を受け入れている人や聖書に通じているひとにとっては、聖書から新しい観点を得られて非常に興味深いであろう。しかし、一般人である私は、キリスト教的根拠に基づき語られる甘えの概念に、消化不良や空疎さを感じた。
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「国家的懺悔の危険」と題して十九四〇年、新聞紙上に発表した小文を読んだことがある。当時イギリスの若いクリスチャンたちが、今次大戦の罪はイギリス側にもあるとして国家的懺悔を唱えたのに対し書かれたもので、そうすることは自分は何ら関与していない当事者たちの行為を一方的に弾劾することであり、懺悔の精神には程遠く、しかも各自自身の罪を棚上げする結果になる、とルイスは厳しく戒めた。152
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孤立を恐れることがいけないのだ。孤立に堪えてこそ自立できる。そしてそれでこそ日本は今日の混迷した世界に積極的に貢献できるのではなかろうか。167
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「甘えの構造」はもはや古典といっても良い本ですが、その著者が聖書の中の甘え、妬みなどに関する記述を説明し、キリスト教がそれに対してどう評価しているかなど。聖書の中で「妬んではいけない」という禁止文言はなく、むしろ「あなた方の神はねたむ神である」という表現があることなどを解説する。著者はカトリック教徒のようであり、だからこそ「甘え」という精神構造について比較的好意的に分析できたのではないかと思いました。プロテスタントにも、非キリスト教徒にも「甘え」についてこのような好意的な関心は持てなかったのではないかと思う次第です。
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著者の「甘え」理論を用いて、聖書を読み解いています。そのほか、著者がこれまでに発表した時評を一書にまとめた本です。
「甘え」と、その挫折の形態としての「妬み」をキー・ワードに、聖書に描かれるさまざまなエピソードを読み解く試みがなされています。ただし著者は、信仰を「甘え」という心理的な出来事に還元することをめざしているわけではありません。神が人間に関係を持とうとするとき、人間からすれば、その関係は人間的なものにかたどられている必要があると著者は論じます。そして、そのような人間的な関係に神自身が入るということが、神と人間との間に「甘え」の視点を適用することを可能にしていると主張されています。
著者は最初から信仰の立場に立つことを前提にしているので、このような主張が出てくるのは理解できるのですが、信仰を持たない者にとっては、「甘え」という心理的事実から信仰への道は示されておらず、ただ著者の「甘え」理論の応用と捉えることしかできないのではないかという疑問があります。読者を信仰に導いてほしいと言いたいわけではなく、「甘え」の心理が信仰にどのような仕方で包摂されることになるのか、説明してほしいということです。