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古典は難しい、つまらないと思いながら学ぶのはもったいない!ちょっとでも興味を持ってもらうにはおススメの本。
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(2014.02.03読了)(拝借)
【日本の古典】
娘の本棚から拝借しました。娘は、高校生のころ読んだのでしょう。
日本の古典の現代語訳は、だいぶ読んできました。
「源氏物語」「竹取物語」「伊勢物語」「枕草子」「方丈記」「徒然草」「古事記」「日本書紀」「おくの細道」「平家物語」「日本霊異記」「今昔物語」「土佐日記」「紫式部日記」「和泉式部日記」「大鏡」等、です。抜粋版、子供向けリライト版も混じってます。
ある程度読んでから、入門書を読むのも一つの読み方かなと思います。本の中で紹介してある本の内容をある程度分かっていたりすると、著者の言いたいことがわかりやすかったり、すでに読んだ本の理解を深めることになったり、結構有効です。
橋本さんの訳した「枕草子」「徒然草」もすでに読んでいます。楽しく読ませてもらいました。「源氏物語」「平家物語」「古事記」は、他の方ので読んでしまったので、橋本さんのまでは、ちょっと手が出ない状態です。
この本の内容ですが、「徒然草」が書かれるまでの日本文学史の流れがハシモト式で紹介してあります。なかなか新鮮でした。
日本語を表現するための文字は、中国から入ってきた漢字を拝借し、公の文書は、漢文で表現しました。記録用としては、漢文で間に合わせたのでしょう。
人間の感情を表現するものとしては、万葉集で代表される和歌などの詩歌があります。こちらは和文になるので、漢字の音を拝借した万葉仮名で記録しました。
漢文を日本語風に読み解くためには送り仮名が必要になります。そのために発明されたのが、漢字の一部分を拝借したカタカナです。こちらは男性用です。
説話文学などは、男たちが収集し記録したので、漢字+カタカナの表記になっています。記録用ですので、実話と信じられていたようです。
一方、男女の交流のために必須であった和歌は、漢字の草書から派生したひらかなを利用するようになります。ひらかなは、女性が主に使用する文字となりました。
漢字も平仮名も使用できる紀貫之は、主に平仮名で、「土佐日記」を書きました。これ以降、女性の書いた日記文学が続々登場し、随筆「枕草子」、物語「源氏物語」等も生まれます。こちらは、平仮名の表記です。
漢字+カタカナ、ひらかなのみ、の表現は、現代日本人にとっては、読みづらいものです。
現代日本人にもなじみやすい、漢字+ひらかなの表記が出てくるのが、「徒然草」ということです。「徒然草」の成立は、1330年頃ということですので、鎌倉から室町に移行するあたりでしょうか?
この頃になって、やっと表現としての日本語ができたということなのでしょう。
漢字、カタカナ、ひらかな、の表記による使い方によって、日本文学史を読み解くというのは、新鮮でした。
【目次】
まえがき
第一章 古典を軽視する日本人
第二章 日本という国にはいろいろな古典がある
第三章 「和歌」とはなにか?
第四章 日本語の文章はこうして生まれる
第五章 「わかる古典」が生まれるまでの不思議な歴史
第六章 人間の書いた『徒然草』
第七章 どうすれば古典が「わかる」ようになるか
●書けない鉛筆(40頁)
その昔、漢文の教科書にカタカナを書きこんだ人間も同じです。墨でチョコチョコっとカタカナを書きこんだ人間もいましたが、だいたいは、「書けない鉛筆」のようなものを使って書きました。竹のような固いものの先をとがらせて、それで紙の上をこするようにして、補助のカタカナを書くのです。字の跡だけが残って、本の上には漢字しか見えません。そういうものをすかして見ると、カタカナの跡が浮かび上がります。
●ひらがなだけの文章(42頁)
昔は『源氏物語』だって『枕草子』だって、ほとんど漢字を使わない「ひらがなだけの文章」でした。
●「土佐日記」(50頁)
事実は、「紀貫之の『土佐日記』があったからこそ、後の時代の女性たちは自由にひらがなの文章を書くころができた」なのです。紀貫之が『土佐日記』を書かなかったら、後の女流文学は生まれなかったのかもしれないのです。
●和漢混交文(56頁)
「奈良時代にも平安時代にも、まだ普通に読める〝漢字とひらがなが一緒になった文章〟は存在しない」
漢字とひらがなが一緒になった「和漢混交文」という「普通の文章」は、鎌倉時代にならないと登場しないからです。
●カタカナ(91頁)
カタカナは、「一字一字考えながら読む文字」で、カタカナが多いと、かえって読みにくいのです。
●漢文の書き下し文(95頁)
カタカナを使う「漢文の書き下し文」は、そもそもが、日本語ではない、中国語である「漢文」を読むために開発された文体ですから、これは、日本語として「不自然なもの」です。
●平安貴族(115頁)
『古事記』『日本書紀』以来、日本の政府はずーっと時代ごとに「歴史」という公式記録を作り続けていましたが、それも平安貴族はやめてしまいました。
平安貴族がやったのは、「自分たちが楽しむ」ということと「組織内の出世競争」だけで、あとはなんにもしませんでした。
●源頼朝(121頁)
源頼朝の「死因」というのを知っていますか? 女好きの頼朝は、夜中に若い女のところに訪ねて行って、そこの護衛の男に「誰だ!」と声をかけられて、それに答えなかったので切られてしまった―という説があるんですよ。鎌倉幕府の公式見解は、「落馬による死」ですがね。
●和歌(159頁)
「和歌というのは、人間の感情を核として生まれるものだ」と、『古今和歌集』の「かなの序」の中で紀貫之は言っていますが、和歌というのは、「学ぶべき教養」じゃなくて、「人間そのもの」なんです。
☆橋本治さんの本(既読)
「桃尻語訳 枕草子(上)」清少納言著・橋本治訳、河出書房新社、1987.08.31
「桃尻語訳 枕草子(中)」清少納言著・橋本治訳、河出書房新社、1988.12.20
「桃尻語訳 枕草子(下)」清少納言著・橋本治訳、河出書房新社、1995.06.30
「絵本 徒然草(上)」橋本治著・田中靖夫絵、河出文庫、2005.06.20
「絵本 徒然草(下)」橋本治訳・田中靖夫絵、河出文庫、2005.06.20
「上司は思いつきでものを言う」橋本治著、集英社新書、2004.04.21
(2014年2月4日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
あまりにも多くの人たちが日本の古典とは遠いところにいると気づかされた著者は、『枕草子』『源氏物語』などの古���の現代語訳をはじめた。「古典とはこんなに面白い」「古典はけっして裏切らない」ことを知ってほしいのだ。どうすれば古典が「わかる」ようになるかを具体例を挙げ、独特な語り口で興味深く教授する最良の入門書。
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興味深い。
ただ、古典の門をくぐるかと言うと依然と敷居は高い。
漢字カタカナ使いやひらがな文の生い立ちが書いてあります。自然である現代日本文表記も、話し言葉とは違うわけで、なかなか深いお話でした。
もう一度読み返すといいんだろうけど、そこまでは…。身の回りに読みきれない現代本がありますのでね。この反応の鈍さは、バイタリティの欠如なのかもしれない。
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自分の国の物でありながら、とっつきにくい古典の 生々しさフレッシュさ面白さを指南してくれました。早いうちに橋本さんに出会ってほしい。