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もうね、ユニットバスでもね、缶チューハイでもビールでも持っていってね、お湯はって、
バスクリンなんか入れちゃって、「ふいーー」なはんて浸かりながら読むと、めちゃくちゃ最高で
しやわせなの。童謡にアテ字あてたのなんか読んじゃうと、うつとりです。うつとり。
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町田テイストに少しばかりヤラレ気味の店長ですが、また読んでしまいました。この本の中では第4章の唱歌注解が絶品。誰もが知る童謡の詩を別の意味で受け取ってみるというか、それだけかと思うと失意のどん底に放り込まれてしまうような、なんとも絶望的なありさま。
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独特の口調で展開される貧乏と呻きと生活のあれこれ。
言葉の選び方もそうだが、とにかくリズムが良い。
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「日本語を愛する一番よい方法は?歌って叫んで、呪文を唱えること」「立派な国民になる一番よい方法は?とことん貧乏になること」―歌であり、詩であり、日記であり、エッセイであり…日本語をこよなく愛する、日本文芸界注目の作家による、真摯で過激な言葉のライブ、待望の文庫化。
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完全に自分のバイブル。
神経が敏感になっているときにこぼれる言葉は
何気ないつもりのものでもがんがん刺さるという好例。
素晴らしすぎる。
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2008年に文庫化された『告白』は間違いなく屈指の名作であり、個人的にもその年に読んだ本の中でも最も面白かった1冊なんだけど、そんな町田康のエッセンスが最も凝縮されたているのがこの詩集ともエッセイ集とも日記とも判断しずらい『壊色(えじき)』。
文庫は1998年発売なものの、ハードカバーの元は1993年。つまり、町田康が「パンク歌手以後、小説家以前」であったころに書き溜められたものだ。この時期、町田は何をしていたかといえば本人曰く、「真昼間から酒を飲み、日に何本も時代劇の再放送ばかり見ていた」。そして仕事もせず日々図書館通い。もちろん貧乏。そんな暮らしの中から生み出された妄想と狂気が一回転して笑えてしまう言葉に溢れた本。って、360度回転したらお前何も変わっとらんやんけ、どあほ。アナーキー・イン・ザ・3K。
「うはは、腹をかかえて笑ってたけど、気がついたら俺、腹、ないじゃん!」
そんな感じ。
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積ん読本消化。
えらいぶっ壊れとるとゆーか猟奇的。第三章と第四章がとても面白いです。
詩よりも散文のが好きかな。
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「金が無い時は、家籠って本読むねん。
それが一番タイパ?コスパ?がええんや」
そう言って隣のおっさんは、煙草の煙を吐きながら小汚い鞄から文庫本を一冊取り出してこちらに見せる。
「ほれ、この本なんか古本屋で80円やで。大して量あらへんから五、六時間で読めるわ。時間換算したら一時間10円ほどや。外出歩いてどこにそんなとこある思う?時間潰せて教養なる。最高やろ?本読みぃ本」
「本は僕も読みますよ。それなりに。タイパコスパ言うんなら図書館行ったらええんちゃいますの?」
「期限やらなんやらじゃぁくさいやろ。借りた本やと落ち着かんねん。自分のもんやないと。あとはこんなおっさん本借り行ったら、えぇ歳して本買う金無いんかいな思われんの嫌やろ」
「行かへん理由絶対そっちやん。誰もそんなん思いませんて」
「まぁちょっとでもそんな素振り見せたらそいつどつくけどな」
「本読んでるのに全然教養無いやん。モンカスやん」
「何やねんモンカスて。若い子は何でも略しよるな。モンブランカステラかなんか?」
「今の話の流れで何でモンブランカステラになんねん。ってかモンブランカステラって何やねん」
「カステラん底の茶色いとこに栗砕いて撒いてんちゃうか、知らんけど」
「うわでた知らんけど。色だけで言うてますやん、もはや」
「まぁそんなんどうでもえぇねん。これ貸したるから読んでみ。まぁまぁおもろいで」
と差し出されたのが町田康の壊色だった。
ちょっとおっさんが吸ってたセッタの匂いがした。裏表紙には本当に80円の値札が貼ってあった。
あんまり読みたい欲は湧かない。何たってこの本を開く度にあのおっさんのヘラヘラした馬鹿っ面がチラつきそうだからだ。顔がエロサイトのディルドの広告くらい煩い。鬱陶しいことこの上ない。こんなことなら借りるんじゃなかった。それかもっと別の誰かから手にしたかった。3階の店の富林さんとか。吉岡里帆とか。どちらも町田康とは縁遠いなぁ。南無。
家に帰ると台所に昨日天麩羅を揚げた後のドス黒い油がそのままになっていた。一人暮らしで何故こんな面倒な料理をしてしまったのか。後悔先に立たずとはいえ、後に立った自分は昨日の自分を許せない。片づける面倒臭さがわかるか昨日の自分よ。馬鹿野郎。そう。ちょっと良い酒をネットで注文してたのが昨日届いた。この酒と対等する肴は何だ?そうだ天麩羅だ!天麩羅しかありえない!とスーパーに駆け込み一式揃え、茄子だ海老だ春菊だを、これでもかと揚げた。美味かったが、別に特別なスキルは要らない料理だ。誰がやっても美味い。天麩羅とはそう言うものだ。大根おろしがあればもっとよかっただろうが、流石に面倒だったので抹茶塩で食べた。まぁ思い立ったが吉日。天麩羅も美味かった。酒も美味かった。なら仕方がない。南無。
そうはいっても自分よ。このドス黒い反吐みたいな残滓はどう処理する。新聞紙なんて今時あるわけ無いし、このままシンクにだぁぁと流してしまうのは、何かの罪(環境破壊罪、シンクにだぁぁするな罪、銃刀法違反)に問われそうで憚られる。その時、ピンと閃いた!天の啓示か、悪魔の囁きか��鞄の中にはおっさんから借りたアレをぶち込んでしまおうか。そうだそれがいい!
これは名案だ、天才だ天才だ、果ては総理か大臣か。なんて舞い上がっているのも面白くなってきて、しばしひょっとこ踊りなぞして部屋中を口ひん曲げてハイヤっハイヤっえぇぇぇぇいやっとしていたが、途端我にかえる。
本一冊ごときで、油を吸い切ってしまえる訳ないのだ。そりゃそうだ。困った。
あと本を捨てたり汚したりして読めなくするのは何かの罪(
環境破壊罪、貸借物損傷罪、銃刀法違反)に問われそうでやはり憚られる。
あとシンプルに人のものだし。すんでのところで引留まって良かった。
壊色と、昨日天麩羅だった名残を並べて眺める。
名案は浮かばない。ググるのも億劫だ。
あぁもう明日にしよう。
台所から現実逃避し煙草を吸う。
3階の店の豊林さんを思う。南無。
・・・・・・
町田康文体は関西弁だからなのか、
歌手特有の詩的センスからか、
テンポ感が良い。
読点の使い方、語感、視点、おもろ。
そして文章の締めの圧倒的なキレ味。
だからつい真似したくなる。
壊色は上の真似事くらいの長さのショート散文と、日記、みんなの歌の音を置換して展開する小話、詩とバラエティパック文庫。
軽く読んでしまえるので、重たい小説を読んだ後の口直しにもってこい。
みんなも歌って叫んで呪文唱えて、
悪政の餌食になって貧乏になろうね!!
金困ったら、
遊ばんと本読んで、
飯喰わんかったらええねんから。
ルーラ!
ps.
関係ないけど町田康の歌声って大槻ケンヂと似過ぎじゃないですか?
犬とチャーハンのすきま聴いてて思った。
饂飩すっきゃね。
pps.
関西弁といえば、蜆シモーヌさんの詩を思い出す。関西的ニュアンス、テンポ感は関西人には全員に備わっているのだろうか。南無。