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M.トリエ他著、平山惠三他訳による、記憶と健忘についての専門書。
「覚える」「思い出す」「忘れる」という、日常ごく普通に行われている行動と、それらを障害されたさまざまな症例について実例を上げて解説を加える。
本書は神経学を専門とするひとたちに向けて書かれたものであり、わたしのような門外漢が読むにはなかなかに骨が折れる。そもそも、このような専門書を読むに至った理由は、いわゆる「記憶喪失」という症状が神経学的・医学的にどう捉えられているのか、という疑問を抱いたからである。一般向けの啓蒙書のたぐいを捜したのだが、残念ながら記憶障害を件名とする書は少なく、思うようなものを見つけることができなかった。
2005年に話題になったピアノマンのように自分の名前も出自もわからぬ記憶喪失《自己同一性障害・全自分史健忘》というのは医学的にはそう頻繁に起きるものではないようだ。
わたしは自己同一性障害は、頭部外傷で引き起こされると思っていたのだが、どうやらそうではないようだ。偶発的な頭部外傷で引き起こされる健忘はそれほど長期間にわたる記憶を障害するものではなく、自己同一性障害は家族間の重大な緊張から引き起こされるもののようである。それゆえに先のピアノマンも、両親が見つかって母国へ帰ってからも彼の正体が大々的に報道されなかったのはプライバシーの観点からであろう。
ひとの求めるドラマチックな展開というのは、やはりそうないものだ。だが、本書を読み進めるにつれて、それに対する落胆はすぐに霧散した。記憶と健忘という日常不可欠な行為のもつ奥深さ、それに携わる研究者たちの試行錯誤の積み重ねに驚嘆を感じるのだ。記憶の研究の難しさは、動物実験に頼りにくく、被験者を募っての実験もままならず、偶発的に発症して病院を訪れる患者たちの治療と観察を以てしなければならないことにもありそうだ。動物とヒトとの間の記憶の複雑さの差、その複雑な記憶を表現する言語の有無を鑑みねばなるまい。
古来よく知られた症状であり、たびたびフィクションの世界で取り上げられる自己統一性障害ですら、その発生のメカニズムははっきりしないという。そして、重篤な自己統一性障害を引き起こす原因の1つとして、先に挙げた家族間の緊張があるとすれば、ヒトにおいて特に発達した家族の絆の強さが病因にもなりうるというのはいかにも切なく、かつ皮肉である。
本書掲載の症例の中で、わたしが印象に残ったものをふたつ挙げてこのレビューを締めくくろう。いずれもヒトの心の複雑さ、哀しさ、それゆえの美しさを感じたものである。
>反対症状が互いに明らかになるにつれて、以前の経験あるいは人生のエピソードが驚くほどの豊富さと選択性をもってよみがえってくる新規健忘発作がある。(略)L.Huberte夫人は、側頭葉性欠神発作の度に数秒間にわたり、彼女が10年前に離れたアパートの中庭の壁であるとすぐわかる壁の上に雨が流れるのを《再現視する》。P244
>この症例は15歳の思春期の男性で、Saint-Antoine病院の救急施設へ搬送されたときには自己同一性健忘があり、《自分の名前も、年齢も、自分が誰であるかもわからず》、両親の顔も思い出せず、非常に古い記��と見捨てられた過去を思い出しているようであった。(略)実際には患者の父親は家の地下室で首を吊って自殺し、思春期の患者は母親が父の身体を解くためにヒモを切断するのを目撃した。(略)上述のやりとりの際に、少年が自分の父の死を喚起しているときに、右手を自分の首におき、つぎに両手を組み、指を硬くし、静かになった。(略)父が自殺したという出来事に関しては長い間上述の運動行為によってのみ想起された。P260