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『ぼくらは海へ』を読んだときに、この旧作が文庫化されたときの那須正幹インタビュー「“巣立ち”の象徴を書きたかった」をネットでみつけて読んだ。そこでは、次の一冊としてこう語られていた。
──これまで「ズッコケ」の那須さんしか知らず、今回『ぼくらは海へ』を読んでびっくりした、という大人の読者に、“次の一冊”を薦めていただけますか。
那須 まずは『屋根裏の遠い旅』。短篇集の『ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド』。それから、『さぎ師たちの空』。これは我ながら快作ですよ。 (http://hon.bunshun.jp/articles/-/115)
それで、図書館で『屋根裏の遠い旅』を借りてきていた。もとは、1975年に偕成社から出されたもので、図書館にあったのは、99年に偕成社文庫として出たものだ。借りてきて積んだまま他の本を読んだりしてるうち、返却期限になり、また今度借りて読むかーと思いながら、最初をぴらっと開いてみて…そのまま読んでしまった。
巻頭には、日本国憲法第九条が引かれている。
これも『ぼくらは海へ』と同じ"小6モノ"で、6年3組の省平と大二郎が、北校舎の屋根裏から、パラレルワールドに迷いこむ。その世界は、日時は変わらず昭和五十×年四月三十日で、省平も大二郎もやはり6年3組なのだが、何かが違う。しだいにわかってきたことは、二人が迷い込んだのが「日本が太平洋戦争に勝った世界」であること。その世界では軍部が大きな力をもち、アジアでいまだに戦争を続けていた。
8月に読んだ山田太一の『終りに見た街』は、現代から、昭和19年、戦争まっただ中の日本に迷いこむ話だった。主人公は、この先の現代日本を知っていながら、家族とともに戦中を生きのびようとしていた。
この那須正幹の物語のつくりは、『終りに見た街』ともまた違う。省平と大二郎が生きていた元の世界と、迷いこんだ世界とは、同じ日時、つまりは現代なのだが、1941年、昭和16年のあたりから道が分かれたようなことになっている。
当初、省平と大二郎は、元の世界とよく似ていて、でも違う風景の中で、見たことのあるような人たち、でも違う経験を生きている人たちの中で、驚き、戸惑う。二人は様子をさぐりながら、迷いこんだ世界で暮らしていく。
「太平洋戦争に勝った世界、いまだにアジアで戦争を続けている世界」は、本で読み、話に聞く"戦中の世界"が続いているようだった。だから、さいしょのうちは、どこか教科書に書かれているような昔の話を読んでいるような気になった。だが、読んでいくうちに、まるで、今、まさに2013年の今、あるいはそこから遠くない未来が書かれているような気がしてきた。
秘密保全法というのが成立しかねない世界。どう考えても制御などできていない原発や事故後の状況を、コントロールしていると総理大臣が世界にむかって堂々と発表する世界。ヘイトスピーチなどがおおっぴらにおこなわれ、それを規制するものがない世界。けれども、"国策"に反対しようとするデモンストレーションは押さえ込まれ、ときにはデモ参加者が逮捕される世界。…
そういう「今」と、省平と大二郎が迷いこんだ「太平洋戦争に勝った世界」は、どこかで道が違ってしまったというより、同じなんじゃないかと、物語を読むうちに思えてきた。
"市民防空デー"に、哨戒機が運動場に墜落し、北校舎は炎上、省平と大二郎はもどるべき世界の出入り口を失った。省平は「いやでも、このけったくそわるい日本のなかで、せいいっぱい戦っていくしかない」と思う。
けったくそわるい日本。
二人と同じように、ある日この世界に迷いこんだ正木教授は、反戦組織での地下活動に入ることにしたといい、二人に別れをつげる。「おれもつれていってください」と頼む省平に、正木先生はこう語りかける。
▼「…きみらはここにのこって、自分たちの生活をつづけるべきだと思うね。戦争に反対するのは、なにも反戦組織にはいって地下活動をするだけじゃない。きみたちがいま考えていることを、きみたちの生活のなかで実現することもたいせつじゃないのかな。
こんな日本はまっぴらだと思うだけじゃあ、戦争はなくならんよ。国民が、いやでも戦争に協力しなくてはならないような、この日本のしくみを改めることがたいせつなんじゃ。わたしや林くんは、それを軍隊の内部から改めていこうとしておるが、きみたちだって、やろうと思えばやることはいくつもある。学校のなかにだって問題はあると思うがねえ。」(p.295)
昭和50年代は私自身も小学生だったときだ。この物語は、もうその頃にはあったんやなーと思う。子どもの頃に読んでいたら、どんなことを思っただろうかと考えつつ、大人になってこの話を読んだのもわるくないと思った。
『ぼくらは海へ』のように、これも大人が手に取る文庫で、復刊されればと思う。那須正幹のお薦め本も、続けて読んでみたい。
(9/28了)
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小学生の頃初めて自分のお小遣いで買った本だったと思われます。
タイムトラベル系SF。
パラレルワールドとしては鉄板の、
「太平洋戦争で日本が勝った」世界へ行ってしまったお話です。
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単純に「反戦」を訴えるだけで終わらない作品であったと思います。
「アジア太平洋戦争(作中では「大東亜戦争」とも呼ばれます)に日本が勝利した世界」に紛れ込んでしまった主人公・省平とその親友・大二郎。
日本は軍部が主導権を握る体制のまま発展し、アジア地域の植民地で起こっている独立戦争のため、拡大するアジア戦線を抱えていました。
『ズッコケ三人組』シリーズの作者が描く、省平と大二郎がおこすドタバタや冒険はユーモアがあり、また彼らが「もとの世界」に戻ろうと奮闘する様子はハラハラドキドキさせられます。
一方で、その根底にある「反戦」のメッセージは単純なものではないように感じます。市井の生活に直接の被害がない「テレビの中の戦争」であったり、戦争継続に否定的な思想を過剰に取り締まられたり、「もとの世界」と「戦争を続けている世界」の間に大きな違いを感じられなかったりと、思わず考えさせられる「怖い」部分も少なくありませんでした。
戦地での戦死や、爆撃などによる被害だけではない、閉塞感のある日常生活や市民同士の相互監視社会など、「戦争」のもたらす「負」の影響は様々ですし、それを「現在の(といっても1975年当時の)小学生」の視点から描いた、という点で興味深く読めた作品でした。
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私が図書館の閉架から取り出してもらったのは、オリジナルの1975年版。
偕成社文庫に入っていることは、ブクログで見て初めて知った。
(オリジナルはもっとふわっとした挿絵である。)
那須さんのごく初期の作品で、日本が太平洋戦争に勝利した場合の現代(といってもすでに40年以上前)日本に行ってしまった少年たちの物語。
一種のタイムスリップでもあり、こちらとあちらで、それぞれの自分がいるらしいこと、自分の他にもこちらの世界から紛れてしまった仲間がいること、など、仕掛けも面白く読んでいた。
が、ラストで驚く。
これは初期の作品ならではの終わり方かもしれない。
解決せずに、そちらの学校生活で戦っていきていくしかない=俺たちの戦いはこれからだ、の終わり方に驚いた。
同級生のいわくありの女子生徒やその父、中途半端に死んだ先生(仲間なのか、黒幕なのか、と疑っていたのに)は一体??
那須さんののちの作品と違って、エンタメというより、問題提起をメインとした作品だった。
ベトナム戦争当時の日本、児童文学でコレを書いたのは非常にチャレンジングなことだと思う。
田中芳樹が同じテーマで書いたら、ついでに現代日本もけちょんけちょんにされるんだろうな。
小野不由美が同じテーマで書いても、やはり帰れないんだろうな、など勝手に妄想して楽しんだ。
続きがあればいいのに、と思う。