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著者は、かつては文藝春秋社の専務取締役であり、奥方は夏目漱石の孫娘という(半)身内から論じた肩の凝らない漱石の俳句論。
著者が「漱石俳句を酒の肴に一杯機嫌でオダをあげたもの」という通り、ときどき「お前は『ノモンハンの夏』や『ソ連が満州に侵攻した夏』を書いた人と同一人なるや」という読者からの問い合わせがあるそうだ。
「無人島の天子とならば涼しかろ」
「能もなき教師とならんあら涼し」 季語「涼し・夏」
明治36年ロンドンから帰国し、東大の講師になって2ケ月目に詠んだ句。
漱石が着任する以前から、学生に人気のあった、かの有名なラフカディオ・ハーンが突然に解雇され、学生たちがそれに反対する騒ぎが起きていた。その渦中に巻き込まれた漱石。学生の中には転科するものさえ現れた。
また講義も不評で、しかも衆人環視の中で、発音の間違いなどを片っぱしから指摘するのであるからたまらない。大学生から中学生へ逆戻りしたような屈辱を感じ、学生たちは自分の頭の悪いのも忘れて、夏目講師への敵意をひたすら燃やした。かくて新任講師の評判はがた落ちとなった。
普通なら洋行帰りのエリート教師として勇み立つところだが、教壇に立ってまだ2ケ月というのにこのぼやきよう。
「楽昼寝われは物草太郎なり」 季語「昼寝・夏」
自分の講義にそっぽを向く学生たち、つまりは大学への幻滅がそのままに出ている。
「骸骨を叩いて見たる菫かな」 季語「すみれ・春」
この句を初めて見た時は何の事なのか「ちんぷんかんぷん」だった。この本を読んでようやく理解できた。漱石はシェークスピア劇の中から、セリフを原文のまま取り出して、それに合わせて句づくりをするという独創的なことを行っていたのである。
「that skull had a tongue in it, and could sing once」ハムレット5幕第1場
「その頭蓋骨にも舌があった。昔は歌も歌えたものを」
漱石は、明治36年9月からの新学期に東大英文科での講義で「シェークスピア」を始めた。内容が抜群に面白く、前期とは打って変わって大教室が超満員になったそうだ。漱石の面目躍如。
「時鳥厠半ばに出かねたり」 季語「ほととぎす・夏」
明治40年ときの総理大臣西園寺公望公が私邸に「私人として文芸的な懇話をかわしたい」として、ときの有名文人を招待した。
漱石が、その時の断りの手紙の最後に添えた句が上記の句である。
年長の貴人に対する返事に、わざわざ厠で用便中ゆえというたとえを持ち出すのは、これが皮肉でなくてなんであろうか。
出席したのが、泉鏡花、国木田独歩、幸田露伴、島崎藤村、田山花袋、森鴎外等々17名。辞退したのが、坪内逍遥、二葉亭四迷、そして漱石の3人。
すぐさま朝日新聞がこの事件に飛びつき、漱石が同社に入社しての初めての新聞小説「虞美人草」が始まる直前だったので、このPRを兼ねて記事にした。
マスコミのやることは、今も昔も同じようなものらしい。
この西園寺公の懇話会は、合計7回も行われている。漱石は全部欠席の返事を出している・・・で、その本当の理由は・・・
このような面白い話がわんさかとあるが��紙面が足りないので、ここらで留め置きます。
ご興味のある方は是非本著をお読み下さい。面白さ抜群です。