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・優生学というと、ナチスの民族浄化を即イメージし、劣ったものが殺される、というジェノサイドまでイメージがつながっていく。という人が大多数なんじゃないだろうか。私もまさにそうでした。
・日本でも96年まで優生保護法があった! ・優生学は、医学の発達により自然淘汰が行なわれず、弱いもの(医学がなければ死んでしまうように生まれついたもの)やその子孫が生き残ることで、人間という種の遺伝的性質が劣っていくことを危惧したことから始まる。 ・優生学は福祉国家の設立ということと密接に関わっている、という部分に一番驚いた。 ・命の強弱にどうやって線を引くのか、これは本来淘汰されるべきものだったなんて判断ができるのか。非常に考えさせられる一冊。良書。
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過去の悪夢として葬られたはずの優生学は、ゲノムの解読およびDNA技術のめざましい発展によってリアルに復活してきたようだ。
その問題にどういう姿勢をもって対処するかは、もはやSF映画の話ではなく、すぐそこにある現実の難問だ。
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初期の統計学者が実は優生学者でもあった事実、あるいは福祉国家スウェーデンが実は出生前診断や中絶に積極的だった歴史があったり…統計や歴史や福祉に関心があるなら勉強になると思われる。
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優生学という学問を知っているだろうか?これは障害者や犯罪癖のある人間が増えるのを防ぐ(断種はその一手段)ことによって福祉のコストを浮かそうという学問である。
この優生学はナチズムに通じるということで忌み嫌われていた。ユダヤ人を強制的にガス室に追いやって生きる「自由」を奪った、けしからん、というロジックである。
もっとも第二次世界大戦後、優生学は日本をはじめ先進諸国で生き続けたという。そして近年優生学批判の枠組みを突き崩すような事態が出現した。
それが「レッセ・フェール優生学」である。「レッセ・フェール」とは「気の向くままに」という意味である。
例えば出生前診断における障害児の排除に見られるように、権力の強制ではなく、あくまで「自由」な意思(とは言ってもうまれる子供の意思ではなく、産む親の意思なのだが)によって強権的な優生政策を実施したのと同じ結果が生まれてしまうというものである。
別の言い方をすれば、人間は自らの能力を高めようと勉学に励み、あるいは体を鍛える。それは少しも責められることではない。さらには次の世代にもそのようにさせる。そのことと、自らと自らの子孫の遺伝子を改良するのとはどのような違いがあるのか、という問いに立たされているのである。
新書ではあるが本書が突きつけている問いは果てしなく重い。
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1933年に成立したドイツのナチス政権はカリフォルニア州の断種の実績を参考にし、ナチス断種法が成立させた。そしてアメリカの優生学者の多くはこれを賞賛した。欧米の研究者が非難したのは、ナチスが行ったユダヤ人研究者の大量パージだった。ナチスはアメリカの断種法や絶対移民制限法を、自らの政治主張の正しさを世界に認め採用した具体例として、さかんに喧伝した。ナチスの人種政策に確信犯的に賛同する人間もいた 。第二次大戦直後のナチズム解釈の文脈では、暴力的圧制とユダヤ人の大量虐殺がその悪行の核心と考えられ、優生政策は非難の対象にならなかった。ニュルンベルグ裁判の訴追流に優生政策は入っていないし、1945年に連合軍が設置した非ナチ化委員会が行った強制解除の対象に、ナチス断種法は含まれていなかった。逆に悪名高いナチスが葬られたことで、いくつかの国では戦後になって本格的な科学的優生学の時代が到来した 。
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第二章「ドイツー優生学はナチズムか?」以外は流し読みした程度なのだが、プレッツとシャルマイヤーに関する記述に興味を惹かれた。遺伝子によって人間の優劣が分かるのだとしたら、発達し過ぎた技術によって滅ぼされる種も生まれるのかもしれない。
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客観的視点で貫かれた、とっても真面目で誠実な本。
例えばの話で、自分が子供を授かってなんとなく出生前診断をしてみて、自分達の赤ちゃんに先天的異常があった時。僕たちはその命をどうするのか?これが優生学の扱う問題の一部分。
さて、僕たちは技術の力を借りて命の選別をするのだろうか。いや、そこで悩むべくもなく、出生前診断を受けることを決めた時点ですでに命を選別は行われている。
気軽な気持ちで出生前診断を受けることができる、これは人間の進歩がもたらした誇るべき事。でも、気軽な気持ちで出生前診断を受けようとするその瞬間に逡巡すること、これもまた誇るべき進歩の証なのだ。これはどちらが正しいという問題じゃなく神と人のどちらの立場に立つのかという選択に関する問題のようだ。
優生という言葉が非人道的な意味合いを持ってメディアから消えたここ最近では、このテーマは知ろうとしないとわからないことだ。だから強く人に薦められる本じゃないけど、面白いからいいかも。
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[ 内容 ]
優生学はナチズムか。
戦後日本の優生政策の内実とは。
優生思想の歴史を再検討し、遺伝子技術時代の視座を示す。
[ 目次 ]
第1章 イギリスからアメリカへ―優生学の起源
第2章 ドイツ―優生学はナチズムか?
第3章 北欧―福祉国家と優生学
第4章 フランス―家庭医の優生学
第5章 日本―戦後の優生保護法という名の断種法
終章 生命科学の世紀はどこへ向かうのか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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随分前に読んだ本だが、ふと思い出したので記録。
医療や生物学の専門家たちが厖大な文献を参照しつつ、
優生学と社会のあり方について、歴史を踏まえて客観的に論述した一冊。
一般人は優生学と聞くと、ナチズムやディストピアSFなどを連想しがちだが、
決して過去の問題でもなければ未来の話でもないし、
もちろん日本だって他人事を決め込んではいけないと警鐘を鳴らす、
優生政策=合理的な近代化政策の一種だったことの論証。
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「しかし、シャルマイヤーは、性病や遺伝病については「患者一人の利益を無条件に守れば、他の多くの人間の利益が犠牲にされてしまう」として、後者の利益を前者に優先させた。」
優生学がどのように発展し、国の政策として活用されていたかについて書かれた本。
優生学は、ナチスドイツのような全体主義よりも、手厚い介護を提供する福祉国家と密接に関連しているものである。
それは、障害者に対する福祉の費用が莫大なものであり、健常者への福祉が薄くなってしまうからである。
’福祉国家’は国民への手厚い福祉を重視しているので、費用がかかる国民は国にとって重い負担である。
一般的な堕胎はよくて、病気の有無などによる選択的堕胎を認めないのは、二重基準と呼ばれても仕方がないと思う。
堕胎は、女性の権利なのか、それとも胎児の権利なのか非常に難しい問題であるが、法学的に考えると胎児に権利を認めるのでは妥当ではないように思われる。
なぜなら、どの部分から’胎児’として認知できるのか分からないからである。
受精卵は権利を持つのか?
そうすると、女性の権利としての堕胎を考えるしかなく、’育てる’ということも考慮すると、DNA検査によって障害を持つと分かった子を堕胎すると決めても、誰も非難することはできないであろう。
それよりも、無理やり産ませることのほうが、その女性への侵害である。
しかし、ダーウィンの自然淘汰によると、ある人間が新しい環境に適用できるかどうかわからないことから、人間の多様性を認め、未知の病原菌に’人類’として対応できるほうがよいので、人間に関しては、優生学的発想を適用するのは好ましくないと思われる。
人間が利用するものは、人間の都合のよいように操作すればよい。
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元々は優生学は人類社会に存在する劣性遺伝子をなくすことにより、福祉負担の少ない社会への緩やかな進化を目指す善意によるものであった。
今まで考えたこともなかったが個人的な思想はバリバリの優生学支持派だった。出生前診断によって障害を持った子供が産まれそうなら中絶した方がいいし、遺伝病を持った性犯罪者や精神病患者は去勢すべきだと思うし、優秀な子供を産むためにサラブレッドよろしく両親の遺伝子を集めることにも賛成である。
とはいえそんなことをこの国で発言しようものなら袋叩きにあうこと請け合いである。反対派は「青い芝の会」のような現状も大いに福祉のための税金の恩恵を受けている人達なのだが、彼らが将来不幸な暮らしを強いられる子供やそれにかかる負担を減らすための優生学的な政策に反対する理由がどうしても理解できない。
※彼らにとってみれば障害者が減れば差別につながるということなのだろうけど、永久に負担し続ける健常者の身にもなってほしい。
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優生学=悪ではない、が、
優生学は歴史的に見て危険を孕む
ということがしきりに語られていた。
優生学にあまり固定観念がなく読み始めた自分としては、優生学を是と言ってるように聞こえないよう必要以上に努力しているように見えた。
哲学、倫理的にはすごく面白いテーマだと思うけど、いろいろ枷が多い分野なのだなと思った。
出生前診断は今生きている病気の人の生を否定するか?
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優生学について客観的な視点で書かれた唯一と思われる和書。2000年と今となってはやや古いのが読む前は気になっていたが、起源や歴史が中心で、神経質になるほどのことではないようで安心。
優生保護法という一時期にメディアを騒がせたワードがあったなあ、という程度で読み始めてもいいし、相模原障害者殺傷事件というきっかけでもいいし。
一度読んでおけば理解が深まるのでオススメ。
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その経緯からタブー視されてきた優生学について事実部分をフラットな視点で解説し、各国 (地域) での優生政策の歴史が紹介されている。
恥ずかしながら、この本を読むまで日本での優生政策の中身も全く把握できていなかった。
こういったものの歴史は社会の価値観の変化を大きく反映しており、とても興味深い。
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しばらく読書から遠ざかっていたがようやく読了した。近代合理主義と優生学の結びつき、ヒトラー、ナチスの優生学との結びつきで圧倒的に負のイメージとなった「優生学」という言葉の歴史と5カ国・地域(イギリス、ドイツ、北欧、フランス、日本)の断種法や障がい者に生きる権利はないのか、つまり障がい者の生存権の提起がようやく1970年代に盛り上がってきて、日本では脳性まひ患者の団体「青い芝の会」の痛烈な批判によってわずか10年余でそれまでのんきに使われ、ハンセン病患者や、遺伝性とされた精神疾患を持つ人たちにかなりの強制力をもって断種が日本で行われそれは70年代まで北欧でも類似のケースが見られる、など、「優生学」の歴史の概観に非常に適切な書物である。
ドイツではやはりナチス・ドイツとヒトラーの痛烈な教訓からかアメリカ、日本、北欧ほどには進まず、そしてフランスでは本書で挙げられた地域でほぼ唯一断種を権力の強制で行ったことはないなど目からウロコである。イタリアの事例も欲しかったかもしれない。
類書が少ないようでやや古い(本書は2000年刊)にしても「優生学」史とこれからの生命科学の展望に常に批判的に取り組まなければならないという結尾は多くの人が本書を読み終えて納得するところだろうと思うので☆5つ(5点満点)、推奨書籍とする。)