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寂聴さんは本当に話がうまい!とっても面白くわかりやすく般若心境の意味が書かれていてとてもためになった。意外と気楽によめる仏教本です。
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般若心経を実に分かりやすく訳していると感じた。著者の体験をもとに。
他者のいわゆる宗教家の同類のを数冊読んだが比にならず。
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仏教について、お釈迦さまの教え『摩訶般若波羅蜜多心経』についての入門編だと思われる本。
寂聴さんのこれまでの法話を本にまとめられたそうで、本文は終始語り口調な感じで書かれていてとてもわかりやすい。
『向こう岸へ渡るための、いちばん大切な偉大なる智慧(ちえ)のお経』の内容を『般若心経』本文に沿って説明してある。
本文は、『舎利子』というお釈迦さまの十大弟子のひとりで、その弟子に向かって唱えられた言葉があとあとずっと続くことになります。
全ては『空(くう)』であるということをずっと説いてあるんですね。
空になりなさい。ものごとにとらわれず、執着を捨てるということ。
最初から『無い』から、ものごとにとらわれることはないんですね。
人間が幸せになるというのは、結局のところ自由になって、心のこだわりを持たなくなって(空になって)何ものも恐れなくなること。
だけど、そんなことわかっちゃいるけどなかなかそうは出来ないじゃないか。。と思うのだが、寂長さんは、そういうもんだと思ってくださいと。
そしてクヨクヨしたときは、自分自身を見つめる。
『今、こだわっているな…』とこういうことを思い出す。
『諸行無常』、すべてのものは移ろう。永遠は無い。
今日は元気だと思ったって、明日のことはわからない。
今どんなに美しい娘でも、やがて必ず年を取り、皺くちゃのおばあさんになり、ついには死ぬんだということを直視せよというんです。
満開の桜も必ず散ってしまうように…。
だから、現実逃避して『夢想』も時にはむなしい。
だからそういう妄想は捨てなさいと(><) ←なんか。。こういうことが、ある意味生きがい(?)な私にはキツイ宣告(笑)
ものごとを正しく見る。。というのは、『八正道』に通じる。
砂漠の蜃気楼は、やはり蜃気楼に過ぎないんですね;;
『あるがままでいいじゃありませんか。。。』と寂聴さんは仰り、ある意味納得もしてみる。。
この本を読み終わった後、気持ちが楽になったような?よく解らなくなったような??
執着は捨てるけど、人間は目標をもって向上していくものだと思うから、そうやって今の文明社会をつくり、また成り立ってきたわけだから。
核のように、少しずつ間違った方向へ行ってしまった文明もあるんですが(><)
考えれば考えるほどに『空(くう)になる』ということがわからなくなって。
考えなければいいのですけど(笑)あるがままに…。。
こう見えても私、色々悩んだり凹んだりもするから、こういう時は『般若心経』を唱えて、ただそれだけに徹して一瞬でも心を『空』にしようかな。。。とも思った。
なんだか、すごく近くに祖母がいるのかな。。?なんて思ったりした。
この本の出会いも昔・昔の祖母のお蔭なのかな?と。
何かあるたびに、あの時こうだったからこうなってしまった;;とか、
あの時自分がこういう状態だったから…と、とても否定的に考える自分がいたりして。
だけど、今の自分は、過去のいろんなことがあったからこそ今こんな出会いが出来たり、今こんなふうに考えられたり思えたりするんだ。。。ということを思い直した日々でもあった。
それから…。『季節の行事は、一つ一つ人生の節目。だらだらと365日を生きていたら、過ぎたことは忘れてしまうんですね。だから、節目節目に自分の人生を振り返る。』と。
日々の節目、人生の節目を大切に。。。忘れないようにしたいなぁと思う。
そのために日記やブログに書いて残しておこう♪と思ったのでありました。
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今から二十年前、縁があって読んだのですが、その頃読み漁った般若心経の解説書で一番分かりやすかった本でした
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語り口調で書かれた入門書ですが、仏教を知るためだけでなく
生き方の指針として、大変な名著だと思いました。
感激しました。
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般若心経中心ですが、仏教全般について解りやすく書かれた本です。
法話の内容を本にしているので、著者自身の話しもたくさんあり、興味深く読みました。
仏教の考え方って素敵だな、と思いました。
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仏教って、人間って、この世って、素晴らしい!
……と思える素敵な本。
般若心経の解説がわかりやすいこともさることながら、解説の前に添えられるエピソードがとてもいい。
釈迦が食中毒にあたって苦しんでいる(その後死ぬ)ときの話。
食中毒の原因になった食べ物を食わせた鍛冶屋のチュンダに気を遣って言った言葉。「今まで人に食べさせてもらった食事の中で、チュンダの食事が最も尊いものだった」
そしてついに死んでしまう直前。
この世に生まれることは苦である、と説いていた釈迦の最期の言葉。
「この世は美しい、人間の生命はなんと甘美なものだろう」
あるいは博多の仙崖さんという偉いお坊さんが弟子に言った最期の言葉。
「死にたくない」
弟子は、もうちょっといいこと言ってくれよ……と困って聞き直した。すると「死にたくない。どうしても、どうしても死にたくない」
また、著者が中国のとある観光地のフォトスポット(写真撮影1回80円)で撮影する前に3回分ぼられたという話。著者は怒って結局1枚も撮らずに帰ってしまった。数年後に再び訪れるとそこは撮影禁止になっていて、当時の自分の短気を後悔する。
修行を積んだ偉いお坊さんたちも人間らしく生きているんだと思ったら、なんかこちらが楽になる。リラックスリラックス。五蘊皆空。色即是空。心無罣礙。羯諦羯諦。
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般若心経、仏教についてとてもわかりやすく書かれた一冊です。
般若心経というものは、「人はなぜ苦しむのか」ということについて、思ったより論理的に説明しているなという印象です。
本の構成ですが、「般若心経法話」と「『般若心経』について」の2つに分かれます(前者がページ数の多くを占めますが)。法話の部分は著者自身のエピソードなども絡めて語り調子で柔らかく書かれており、楽に読めます。まずこの部分で般若心経全体をざっくりと解説してから、改めて最後におさらいをする形になっています。この構成のおかげで、予備知識なしでも楽しく読めました。
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お釈迦様も私と同じ人間で、たくさんえらいことをしてきたのに、食中毒で苦しんで死んだ・・・。このことは衝撃的だった。
これが人生だと寂聴はいう。いいことをしたから、いい死に方をするなんて、そういうもんじゃない。身を持って、人生とはこういうものだと教えってくださった、と。すごく納得した。
観音様はその時に応じた姿で我々を助けてくれることを知った。ということは、藤井先生は観音様だったんだなあと思った。先生だけではなく、夫も父母も、兄弟も、看護師さんも友人も、観音様が姿をかえて私を助けてくれているのだろうか。
そして、お釈迦様がお亡くなりになるときに弟子に言った言葉がとても印象深く、教訓として心に残った。
信じるは自分と法。そのために自分を磨くようにおっしゃったのだ。周りに惑わされることなく、信じられる自分になる。そのために信仰が自分の助けになるのだ。
何度も読み返したい。
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とらわれないこと。執着を捨てること。 そうすればなんでもできる。
よく外人にあなたの宗教はと聞かれたらとりあえずBuddistと答えればいいと言うが、現代の日本人でそう言える資格がある人ってどれだけだろう。
僕はそういえるように般若心経を覚えることにするよ。
まぁ、般若心経POPから入った僕ですが。
今二十代の僕はこれを読んで、とんがったところの無い若者を突き進みそうだ。そうじゃないんだけどな。そうじゃなくて、もっと自分だけで切り開かなきゃいけないんだよな。
変な執着なく、回りの目を気にするばかりでなく、生きていく。
羯諦
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解りやすい般若心経入門。
というか、般若心経をベースにした寂聴法話。
般若心経の解釈については、もうすこし踏み込んだところが聴きたかったけど、法話である以上、それは望むべくもない。
岩波文庫の般若心経と合せて読むとまたいろいろ自分なりに考えることが出来て、良いと思った。
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般若心経をめちゃめちゃわかりやすく解説してある。
とはいえ、自分で説明しろと言われたらやっぱり忘れてるので、紙に自分なりのまとめを書きながらもう一回読みたい。
瀬戸内寂聴の講話が間に挟まってて、それもまたおもしろい。
最後に、講話を除いて、般若心経の解説をサマってあるけど、これではやっぱりわかりづらい。
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瀬戸内寂聴の個性が強く出るけど、般若心経の解説としてはとても丁寧でわかりやすいと思う。お経の内容の流れが理解できると暗記が良く進みます。
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著者が京都嵯峨野の寂庵でおこなった、『般若心経』についての法話をまとめた本です。
『般若心経』の解説書や仏教入門ではなく、あくまで著者の法話として読むべき内容だと感じました。机に向かって勉強するという姿勢で臨むのではなく、著者の気のおけない話に耳を傾けているような気持ちになって読むというのが、おそらくただしいのではないでしょうか。
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先日、寂となった寂聴さん。
般若心経も日々唱えているので、心にスッと入ってきた。留めたい言葉達、
人間が幸福になるとは結局のところ、自由になることで、何事も怖れなくなることです。仏教は人間の幸福を、自由自在な心を得ることに求めます。いいかえれば悟りとは、この自在の心を体得することではないでしょうか。
人の死に際して、死者にも、死者を送る者にも、改めて人間の生き方を教えるという意味があります。
死ぬことを往生するといいますが、往きて生れるということ、あの世に往って生まれ変わることで、魂は永遠だという思想です。
往け、往け、彼の岸へ。いざともに渡らん、幸いなるかな。
まだまだ見つめて想うことは深い。