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この本は私が心をひどく病んでいる頃に義父が贈ってくれたものだ。
これほどまでに、心を救ってくれた本があっただろうか?他力というとつい、他力本願という悪いイメージにつながるが、ここで言う他力とはそのような次元の物ではない。
私は何度この本を読み返し、心に涙しただろうか?
私の子供にもいつかもたせてやりたい、時代が変わってもこの本は色あせないだろう。
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仏教の他力についての本です。最近宗教とかに興味を持っているので読んでみましたが、今までそういうことに関心がなく資本主義の下で生きてきた俺にとっては、すんなりとは受け入れ難いです。でもこういう考えは必要かなとも。俺的には、宗教や倫理のような感覚的なこと等の大切さはわかっている、と思ってたんですが、それは実際にはわかってないこととほとんど変わりないレベルだと感じました。そういう根本的な価値観ってのは日々の行動に少しずつ少しずつ影響を与えるわけで、それも大切だね、という程度の人は結局「それ」を無視した行動をするのでしょう。株や債券のトレーダーは市場を厳正にウォッチしており、資源の効率的配分に寄与している、という話があります。それはトレーダーという仕事の社会的意義と言え、トレーダーの倫理感を納得させる一つの論理だと思うんですが、やっぱトレーダーとお坊さんの考え方は違うと思うんですよね。当たり前ですけど。
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生き方を模索するのには十分過ぎるほどの内容だったように記憶しています。
でも詳細は、ほとんどのこっていないですね。(^_^; アハハ…
読書ってそんな物なんですかね?
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マイナス思考のどん底から真のプラス思考が生まれてくる。
もしも、自分の命を誇大に考えず、大きな流れの中の一部分に過ぎないと感じることができれば、自分の愚かさ、卑小さをおぞましく思いつつも、その中の自己の存在をいとおしくおしむ気持ちが生まれてくるかもしれません。
免疫論の異物の話
拒絶から寛容へ
今の人々は言葉の本来の意味での、ラディカルな、根源的な疑問を提出しないまま、不安を感じながらも、その不安に背をそむけ、日常の中で気を紛らわせながら行きている気がします。
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私たちは1人で生きていく事はまず不可能です。いや、生きている事自体が自分の力でどうする事もできない事なのです。
他力をいただいて生きている事を知る。そうする事で自力をもっと発揮できる人間になれるのではないでしょうか?
豊かな心を育める。そんな本がこの一冊です。
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数年前に購入しましたが、読まずにほって置いた状態でした。最近、家族に不幸があり気が沈んでいるとき、たまたま開いてみたところ、気が楽に、落ち着いた感じになれました。浄土真宗の考え方が、年齢を重ね最近になってようやくわかってきた。
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「酒鬼薔薇」少年など、残虐な無差別殺人の事件が、頭の狂った恐ろしい、いち個人の問題ということではすまされないように思えてきた。今までは、その犯人がただ恐ろしく、理解不可能で、恐ろしい人間がいるものだと個人の問題にしか思っていなかった。しかし、この本を読んで、時代や、教育方針など、さまざまとりまく「今」というものが、どうも関係しているように思えた。不安や空虚な心など負のものが内にでれば自殺へ、外に出れば他殺へ。人の命が軽くなっていることへの危機感を著者は語っている。
今、私に何ができるのか。どうやって生きていくべきか考えさせられた。
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特に感銘を受けたのは
・感情をもつ自分との付き合い方、自分らしい生き方
→自分の感情との付き合い方が分かった。
・慈愛と寛容の心の尊さ
・共生の大切さ、パートナーとの共生について
・「わがはからいにあらず」、「他力」の考え方
世の中を客観的に、大局的に眺めて、
自分の軸をぶらさない視点が得られる。
自分の心のあり方はどうあるべきか。
辛い時、困難に直面した時、是非読んでほしい本。
まずは、自分の関心があるトピックだけを読んでみるといいと思う。
この本に出会えて心から救われました。
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「他力本願」
他人まかせなのではなく、自分の力というものは結局は全て他者が存在したからこそ付き、発揮できる。そういう考え方をこの本から教えていただきました。
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「親鸞」を読んでその勢いで読んでしまった。私は関西人ですが、「もうかりまっか」の応えは「ぼちぼちでんな」だと思っていた。そういえば「おかげさんで」もあるなと思ったが、そちらが昔の大阪商人の応えだったとは。お陰が神仏のご加護によってという意味でこれも他力だという。書かれた時代がオウム真理教、阪神だ震災の後、正に世紀末だったので、当時の事件に関連した気持ちが書かれている。それらの事件は今では古いが、世相は今も変わらない、共感できる部分も多かった。
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簡単な口調で、物事の本質を書かれる書き方、すらすらと読んでいける文章に感動します。そのわかりやすさはどこから来ているのか。五木さんの行動力、真摯さ、考え抜く力、他人のことを深く思う力から来ているような気がする。
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・ぼんやりと自分の意識の外を流れていくような聞き方をしながらも、なお心に残るものこそ忘れないし、これこそ大事なものであるということなのではないでしょうか。
・自分の生きてきた証拠とか、自分の足跡なんかは風に吹き消されていくように、すべて消し去りたいという思いが強い。
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他力とは?
目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支えているという考え方…
自分以外の他者が、自分という存在を支えていると謙虚に受け止めることが重要である。
他力本願とは、安易な他人依存とは、根本的に違う。国家や憲法や、政府や、病院や、学校や、企業や、世間の良識や、マスコミや銀行や、その他全てに頼ることを捨てることから発する真の自力の確信こそ、他力本願の姿である。
人間には、四つの思うに任せぬことがある。
[生老病死]
生まれ出ずること。老いてゆくこと。
病を得ること。そして死んでゆくこと。
諦めるとは、物事を消極的に、後ろ向きに受け止めることではなくて、言葉の本来の意味。[明らかに究める]、勇気をもって、現実を直視すること…
見たくない現実を、認めたくない現実をリアルな目で直視する。これが、諦めるということである。
その為、まずきちんと認める、確認するということから、出発しなければいけない。
深く絶滅する人間にしか、強い希望は掴めません。強く悩み、強く迷う人間にしか、確信は得られない。
人間は、感受性が変わると、思想も、そして行動も変わる。
今大切なのは、励ましではなく、慰め、非である。
人間は、まだ立ち上がれるときに励まされると、再び強く立ち上がれることができる。
ところが、もう立ち上がれない、自分はもう駄目だと覚悟してしまった人間には、励ましのことばは、上滑りしていくだけである。そういった場面で必要なのは、励ましではなく、慰め、非である。
同治と対治ということばがある。
例えば、高熱を出したときに、氷で冷やして熱を下げるやり方は、対治といい、これに対して、十分に温かくしてあげて、汗をたっぷりかかせ、そのことにより、熱を下げるやり方を同治という。
また、悲しんでいる人に対し、いつまでもくよくよするなと、気持ちを立て直して頑張りなさいという励ましは、対治的なやり方である。
これに対し、黙って一緒に涙を流すことによって、その人の心の重荷を少しでも自分のほうに引き受けるようにする、そういった態度が、同治である。
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100のエピソードで他力について語った本。他力的に考えるならば、今この状況で出会うべくして出会った本。
確かに会社を辞めて抱いていた漠然とした不安や焦りといったものがちょっと楽になった。
が、オウム事件とか酒鬼薔薇事件といったエピソードというか題材が繰り返し使われていて「五木さん、またその話?」と思ってしまった……。
五木さんの死生観とかは共感できる部分が多かった。
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他力とは自分の無力を深く強く自覚することではないか。とは言っても投げやりになるのではない。自分の本源たる宇宙の大生命、宇宙エネルギーに全面的に、自己をまかせること。ちいさな図らいはすて、自分を生かしてるチカラに全託すること。