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人の命の瀬戸際に臨む者として、死の受容までの五段階を何度も何度も読んで、深く考えた。この心理的段階は、死に限らずいろいろな局面で、同じような心理過程を示すものだと言うことを臨床経験から学んだ。医療従事者はもちろんのこと、現代を生きる全ての人に読んで欲しい本。精神科医であり、末期医療を確立したエリザベス・キューブラー・ロス博士の世界的名著。
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誰にも必ず訪れる死。未知の世界ゆえに恐怖感が先にたつ。人は死を前にした時、どういう過程をたどっていき、それを受け入れていくのか。人々の心理の移り変わりがとても興味深い。
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死に直面した時、人は何を考えるか。コミュニケーションに飢え切った臨死患者のケアをする為には、まず、自らの死の恐怖を取り去らなければならないと説く。著者が臨死患者のインタビューから学び取った、死の受容までの5段階、他。
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末期患者との直接インタビューで得た、人間の死に至るまでの心の動きを5段階に分けて研究していった著書。
全体的に分かりやすい説明。会話(対談)の書き方がリアルで良い。けどシンプル(会話部分だけ)な為、抑揚のない風に聞こえる。そこが少し怖くて、ジョークもジョークに取れんかった。
次の段階に入ると、これまでについて軽く触れてくるから、忘れっぽい杏でも思い出せるとこが嬉しい。
医者−E・K・ロス(著者)は女性の為か、牧師よりも感受性豊かに見えたのが印象深い。良く言うと、1人の人間として患者と接している。まあ良いことなんだけど。
以前私は「”死”は分からないから恐ろしく感じるのだ」と言った。それもあるが、しかしもう一つ大切なのは「今、この状態から去る」という事実、だ。『今から去れば、愛していたものと別れることになるし、好きなことも出来ない。これは”死”を知らないから余計に不安になる』(P279)
『〜という仕方でもって、わたしたちは生きているうちから”死”と付き合っている。その意味で、わたしたちはやはり”死”を経験しているのだ。同じように、神に祈ったり神の存在を疑ったりという仕方で、わたしたちは”神”をも経験している』(P?)
なぜか(やはり?)杏的には「うーん」だなあ。”死”の捉え方が違うんだろう。しかし14行目『経験している=なんとなく分かっている』なら、まあそうなのか、と思う。なあ。
『主観的、客観的という〜<わたしは黒で、向こう側に真理がある>』(P?)
?!どういう意味だろう?!もっと見方を変えた読み方をしなきゃ…。
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生き物は死へ向かって歩いているから、それについて考えてみようという時に良い本です。生きている私たちにとって「死」は未知なるものだから・・・
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課題の本で今一生懸命読んでる本。
難しい。でも自分にとっても身近な死についての本だからもっとちゃんと読まなきゃ
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うーん。
何か微妙でした。
確かにこういうのも大事だと思うし、ターミナルケアはこんな感じなのかなぁ。
でも私が知りたいこととはちょこっと違う感じ。
何でだろ。
ほんとにこんな風に進むのかっていうのもあるし、このプロセスを経る十分な時間がない場合はどうなるのかってのもあるのかな。
あとは、もっと一般的な健康な人の死生観の方が興味あるからかも知れません。これは本当に死期が目に見えている人にフォーカスしてるからかな。
またこういうことについてじっくり考えたくなったら読み返してみたいと思います。
読みやすいことは読みやすかった
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勉強にはなったけど、やっぱり実際に現場に行ったり自分が死に直面しないとわからないことだらけだと思った。本だけでは。
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末期患者へのインタビュー集。旧訳がコレで定着しすぎたがらって新訳になったときにキチンと変えればよかったのに。よい本なのにタイトルがね…。
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面白かった。
読みやすいし、内容も凄くいいし。
文庫なのに千円越えてしまうので、少し財布は痛かったけれど…。
末期患者に対する精神科医(著者)のインタビューが中心。
末期患者のこころの動きが分かりやすい。
その過程は、目新しいものではなくて、それまでに勉強したことでしかなかったけれど、今まで勉強してきたことが裏付けられるようで面白かった。
患者だけでなく、病院内スタッフについても色々書いてあるところが面白かった。
アメリカ人にとってキリスト教はとても大きいものなんだなぁ(少なくとも書かれている60年代のアメリカ人にとっては)と思った。
日本では見られない様子が記されているように思った。
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この本は、何よりも死に行く人々に接し、治療し、看護し、介護する人々のために書かれたものであろう。そうした医者や看護婦、家族にとって必読の本であり、きわめて多くの示唆を与えてくれる。E・キューブラー・ロスの本は、これまで臨死体験などに触れた二冊と自伝『人生は廻る輪のように』等を読んだ。『人生は廻る輪のように』にがあまりに素晴らしかったので、この主著も読む気持になったが、今直接に死に行く人々に接しているいなくとも、必読の書であることが分かった。
本書で初めて語られた「否認と孤立、怒り、取り引き、抑鬱、受容」という、末期患者がたどる死の五段階説は、あまりに有名だ。200人以上の末期患者に対して行われたインタビューを元にして本書は書かれている。その具体的な事例のなかで語られる個々の患者の心理的の重さ・真実さ。それは、誰も逃れることのできない死という絶対的な事実の重さから来る。
著者が繰り返し指摘するように「無意識のなかでは私たちはみな不死であるから、自分が死と向かい合わなくてはならないという事実を認めることなど、ほとんど考えられないのである」。読んでいる私自身も、無意識の否認をみごとに行っているのだが、末期患者の生々しい心理やインタビューでの言葉に接することで、いくぶんなりとも「無意識の否認」に揺さぶりがかけられる。
否認はまさしく、ヤスパースのいう「限界状況」からの逃避である。人間が、自己の挫折をいかに経験するかということが、その人間がいかなるものになるかということを決定する。本当の意味で挫折することから眼をそらし続け、最後にそれに打ち負かされるのか、それとも挫折を糊塗することなく、絶対の限界状況を直視し続けるのか。限界状況のうちで無が現れるか、それともあらゆる消滅する世界存在に抗し、それを超越して本来的に存在するものが感得されるのか、そのいずれかなのである(ヤスパース『哲学入門』新潮社、1988年)。このヤスパースの言葉を心の隅に置きながら、『死ぬ瞬間』を読んだ。
私たちは無意識の中では自分の死を予測できず、ひたすら不死身を信じている。そのため、乱闘や戦争や交通事故による死のニュースは、自分は不死身だという無意識の信念を裏づけ、死んだのは「隣のやつで、おれじゃなかった」と、無意識のうちにそっと喜ぶのだ。また、人間の集団は、暴力団から国民全体にいたるまで、それぞれ集団のアイデンティティを利用して他の集団を攻撃・破壊するが、これは逆に破壊される恐怖の裏返しである。もし国民全体・社会全体が死を恐れ、死を認めないならば、破壊的な自衛手段に訴えざるをえない。戦争、暴動、増加するいっぽうの殺人、その他の犯罪は、私たちが受容と尊厳をもって死を直視することができなくなった証拠かもしれないのだ。深い洞察というべきだろう。
死に行く人々の心理を語る部分は、さらに鋭く細やかな洞察に満ちている。その描写は、あまりに具体的で生々しく、多かれ少なかれ自分自身がそのような状況に置かれたならどう反応するかと、自分の身にに置き換えて読み進んでいるのを発見する。つまりこの本は、自分自身が自らの死を見据えること���強いるようなところがある。
たとえば著者は、第4段階目の抑鬱を二つの面に分ける。第一は、体力を失い、人生の楽しみを失い、財産さえ失い、さらに様々なものを失うことから来る抑鬱である。忘れがちなのは、死期に近い患者には、この世との永遠の分かれのため心の準備をしなくてはならないという深い苦悩があるということだ。第一の抑鬱は、個々の物事を喪失する体験への反応としての抑鬱、第二は、準備的な抑鬱である。
「人生の明るい面、肯定的な面に目を向けてごらん」という励ましは、第一の抑鬱状態に対しては効果がある場合もある。しかし、終末期の患者が、愛するものとの別れ、人生との分かれへの準備に入っている時には意味がない。死ぬ準備をする覚悟ができているのに、もっと頑張って生きろを言われるのはよけいに悲しい。準備的抑鬱の段階では、むしろ言葉を必要とせず、感覚的に理解しあい、手を握ったり、黙っていっしょにいるだけで十分なときもある。
患者が死を受け入れて安らかに旅だっていくには、このタイプの抑鬱は必要であり、患者のためになる。それを分かってあげなければらない。何と言う深い愛に満ちた洞察だろう。こうした洞察に貫かれた本を読むことは、死に行く人々と接する人々にとっても有意義だが、日常、死から目をそらして生きている私たち一人一人に何か本質的なことを思い起こさせてくれるのだ。この本には、そういう力がある。
「自分自身を正直に見つめることは成長・成熟を大いに助ける。そしてその目的を達成するには、重病患者,年老いた患者、死の迫っている患者に接する仕事に勝るものはない」と著者はいう。そしてこの本を読むこと自体が、自分自身を正直に見つめることを幾分なりとも促すようである。
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本当に死を覚悟しなければならない人々の話。死には「死の五段階説」があるといわれまずなる訳ないと「否認」の状態。「そんなわけない」と考える。2段階目は「怒り」で「何故自分・・・。」という気持ち。3段階目は「取り引き」。「死ぬのはしょうがないから、○○まで生かしてください」と取り引きをしたがる。4段階目は「抑鬱」。無気力や喪失感が生まれてくる。そして最後が「受容」これでやっと認める。というものにわかれている。
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なんとなく題名が気になって買って読んでみた本。
著者は有名らしいけど実は全然知らなかった。
死に直面している重病患者へのインタビューを元にして死ぬまでの過程が述べられている。
人によって死に対しての受け止め方や反応が違ったり,養わなければいけない家族がいるとか死に向かう状況にいるときの自分の立場によっても受け止め方が違ったり(こう言っちゃ悪いかもしれないけど)おもしろかった。
死。とくに重病患者には避けられる言葉かもしれないけど、むしろそういうときにこそ考えなければいけないことなのかも。そう簡単にできることだとは思わないけど。
それに、そういう人たちに何が必要かって、話を聞いてあげることだよね。その分患者さんは楽になるんだから、きっと。
医者や看護師もちゃんと一緒に死と向き合っていかなきゃだよね。
なんか死に直面している人に対しての見方がかわったかも。
病院で働いているひとだけでなく、患者の家族とかみんなに読んでほしいと思ったよ。
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高校生のとき、図書館ではじめて手にした。
当初その意味合いを理解できていなかったことに後々気づく。
自分で購入したのは10年ほど経過してからか。
自分の命の終わりを目の前にした人達に対するインタビューの内容は
それは壮絶を極める。
「死が近づいているが、どんな気分か」
と質問されて、人間はあれほど平静でいられるものなのか。
私のような凡人でも、あの心境に達するのだろうか?
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全ての生物に平等に与えられた死。人間だって避けて通れやしない。
むかしむかし、人々は死について経験し、向き合ってきた。
でも今は、死を臭いものに蓋をするように頭の隅に追いやる。
そんな現代人のために書かれた死についてのバイブルがこれ。
死ぬ瞬間に何を思うのか?みたいな題目ですが違うんです。
この本の核は、死を人々がどう受け入れて行くか。
死に対する受容までの長い過程を臨床心理学からえぐり出す。
何百人という末期患者にインタビューを重ねるごとで。
これまで死教育がちゃんと行われてこなかったため
末期患者が死についてどう考えるのかというものを誤解と偏見で
現実とはかけ離れた対応をしてしまう医者、患者の家族、友人。
そして死に向かう患者自身。
今、もし近いうちに土に還らなければならない人ならすぐに読むべし。
でも、死というものを理解するために少しでも早く読むべし。
これは間違いなく、死に対する理解を促すバイブルだ。