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表題作と「エブリバディ・ラブズ・サンシャイン」の二編。
登場するのは大阪の若者たち。従って話し言葉は大阪弁である。
この二つの物語では これが必須なのだろうと思わされる。東京言葉では表わせないであろう 時計の針がゆっくり回るような空気感である。
次の町に着いてしまえば、人は何かやることがあるのだ。何かをするためにその町へと出かけてゆくのである。しかし、次の町へ行くまでの移動の道のりはときに遥かに遠く、町に居る時間よりもずっと長いかもしれない。
次の町までどんな歌をうたうかが、人がどう生きるか ということなのかもしれない。
私は 次の町まで、どんな歌をうたおうか。
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今読むと主人公はなんてハチャメチャな男の子なんだ! と思うけれど、よくよく思い出してみれば、学生時代はあんな風に振舞うヤツも振り回されるヤツもちゃんといたなぁ、なんて。眠っても眠っても眠い女の子の話は、人事と思えないほど身近に感じました。ネガティブな書き方でなく、確かに、でも柔らかに存在を描く筆致が好きです。
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どうなんだろ、こーゆうのは。これくらいなら、ネットで誰かの日記読む方がよっぽど楽しいんじゃないのー?って感じ。素朴で淡々としていて、そこがまた良い!と言われたらそれまでだけど…。
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淡々としたストーリーを読みたくなったらこれを。この世界観はとても読みやすいはず。ユルークじんわりきます。
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愛情という枠に収めたような作品ではないのですが(苦笑)
淡々とした中に、きちんと読めば、面白い方向からの見方、洞察力に気が付きます。
ただ、話がそのまま、終わってしまった。そんな印象でした。
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【何も起きていないのに、何か起きてる。】
主人公の世界観が楽しくて、とても共感できる本。他の本に飽きてしまったのならこの本がお勧め☆
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二編の物語から構成された本。
どうしてこの人は、曖昧な感情や感覚を、こうも自然に文章にしてしまうのだろうか。
文章がスーッと入るのと、ドキドキする楽しさで、いつもあっという間に読みきってしまう。
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あっという間にさくさく読み終わった。とても読みやすい。
初めて読む作家さんだけど、わりと気に入った。
ただし特に起承転結がはっきりしている話ではないので、少し物足りない感じもする。
タイトルがうざいけど、許す。
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普通なこと、というのが流行っているように感じる。普通のことを普通に描くこと、なにかそういうスタンスに立ったメッセージが多く世の中では発せられているように感じるのだ。そのことは個人的にはそれ程嫌な感じはしないのだが、普通のことを普通に描くということは案外特別のことであって、普通にしていることが何か他人の考えなどに影響を及ぼすようなものになるということはまれだと思う。そうは思うのだが、気づくとそんな作品を手にしていることが多いように思う。
普通のことを描きながら、それを読むものの中に何かをきっちりと残せる形に仕上げる、というその行為は、あるいは昇華というべき過程であるのかも知れない。しかし、冬の最中に冷たい打ち水を浴びることを連想するような響きを持ったそんな言葉とは決して相容れない、もっと等身大の精神活動の結果生まれてくるような作品があるように思うのだ。そんな作品を紡ぎ出しているのが、柴崎友香、である。
「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」という物語に溢れているもの、それは、まだ何にも固まることがない柔軟な精神の動きである。それを単に、若さ、と呼んでしまっては柴崎友香の良さを伝えることはできないだろう。それは若さの持つ大きな特徴ではあるものの、ひたすらに内省のみを強いる若き悩みや、自分のもやもやを他人の責任に転嫁するような押しつけのない、爽やかな自由と呼んでもいいような精神の在りようだ。主人公は同世代の男女4人。才能溢れるものも、不器用にしか人生を送れないものも、等しく行き先の不確かさを感じている。そんな4人が1台の車に乗って大阪から東京へ向かう。カップルである恵太とルミちゃんはディズニーランドを目指している。車は恵太の新車である。そこへ便乗するのが、望とコロ助の2人だ。コロ助は6年分の片思いを告白しようと東京へ向かっている。そして最後の一人、望はモノローグの主で、4人の中では最も才能に恵まれながらも何をするのかを決めかねている男である。
4人の珍道中は最終目的地である東京へ直線で進むことはない。脇道へ逸れるのは、主に望のその場限りの思いつきのためだ。例えば、浜松の文字が見えたところで、鰻を食べるために高速を降りよう、などとわがままを言い出す。それもその筈で、4人の内3人は東京に行く目的がはっきりしているのに対して、望には特にするべきことがない。東京においてするべきことがないだけでなく、大学を卒業したものの望はアルバイトを時々する程度で人生に打ち込むべきものが、ない。
そのような設定であったら、結末で望に何か兆しのようなものが訪れて終わる、というような展開を予想しそうなものだが、この「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」には、そのようなあからさまな予定調和はない。ないのだけれど、ほのぼのと何かしら暖かいものが残るのである。レイモンド・カーヴァーの名前を出して柴崎友香を評価する向きもあるようだが、確かに何か似たような読後感がある。カーヴァーも柴崎友香もともに宛ての無さに対する漠然とした不安感のようなものを描いているとも言えるだろう。そして、二人とも日々に対する愛おしさのよう���ものが文章から滲み出ている。ただし、カーヴァーのスタンスは人生における不幸を見尽くしたとでもいうような達観であるのに対して、柴崎友香のスタンスはやはり達観ではあるものの、どこかしら根拠のない達観、それはもちろん作家本人の年齢にもよるのだろうけれど、若さゆえの潔さ、のようなものであると感じるのである。この一見矛盾したような潔さは、状況が違えば、決して共感を呼ぶことはない類いの個人的境地でもある。あるいはカルト的に、その精神の行き着いた先と言われる場所へ、半ば強引に人を連れ去る類いの精神状態に変容してしまうかも知れないものだ。単純に言えば、ひとりよがり、に陥り易い潔さなのだが、柴崎友香の描く世界には不思議とそのような自己中心的雰囲気が漂うことがない。とても希有なことだと思うのだが、この若さで人生の意味を日々の暮らしに見いだし、そこに限りない愛情を注ぐことが嫌みにならずにできるということに、とても感じるものがある。
解らないことがあるのがそれ程悪いことではない、と人は誰かに言ってもらいたい。しかしそれを言ってくれる人については個人的選択を残したい。そんな風に人は自らの生き方を広げたつもりでいながら、実際には自分自身で狭めてしまう。そしてそのことに気づかないでいるうちに、悩みだけは雪だるまのように勝手に大きくなっていく。雪だるまを崩すための努力をしなさいと言われ、それもそうだと思い力を振るったところで、また坂を転がれば雪だるまは大きくなる。そんな人々が普通な人々だとすれば、例えば柴崎友香の描く世界の人々は、雪を体にぺたっと付けてしまうことなく、さらさらのままで坂を転がっていけるような、特別な人々であるのかも知れない。しかし、特別な人々は、何一つ特別なことをするわけではない。解らないことがあることに、不器用ながらも自ら気づいて、解らないんだなあ、と独り言を吐くことができるだけだ。そんな、ほわほわとしたような人が居て、でも確かに誰にでもそういう時はあるよね、と静かな共感をいつの間にか覚えている、柴崎友香の描くのは、そんな世界なのである。
大阪の言葉で語られるため、個人的には、どことなく別な世界の話のようにも受け取れてしまうのだが、この言葉もまた、柴崎友香が彼女の世界を無理なく描くために必要な符号であるのに違いない。その言葉を母国語としない自分にとって、そのために柴崎友香の世界を今一つつかみ損ねている気がしないでもないのだが、よくできた翻訳の小説を読むよりは、恐らくもう少し伝わってくるものを受け止められていると、思っておくことにしよう。
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何気ない日常
ちょっとずつの変化
本編よりは2つ目の作品のが好き
いくら寝ても眠いのは25までらしいので
頑張ってそれまで寝続けよう
12.29-01.04
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空気感が
「きょうのできごと」に
なんとなく似てる気がした
なにかに気付く時
どこかに辿り着くように
夢から醒めるように
微かな痛みと 光と
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表題作と一緒に収録されていた「エブリバディ・ラブズ・サンシャイン」がいい。
何も考えずゆっくりと眠りたい。
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表題作も読みやすいが、もひとつ掲載されている
「エブリバディ・ラブズ・サンシャイン」が好き。
失恋話だけど、暗くも痛くもない。
主人公がこんなに寝てしまうのは
次の恋に進むための充電期間だったのでは?なんて思う。
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眠いのは仕方なくて。
夢が果てしなく広がったり、自分の器が解ってなかったり、しょーもなく周りに甘えてしまったり、妙に馴れ合ったり、どうしょうもなく人を好きになってしまったり…
仕方ないよね。
きっと。そうやって漂って、そのうち生きてく覚悟決めるんだから。
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表題作の方のなんでもできる主人公のイメージはやぎの目の林さん
後半のねむい大学生の話がかわいくてとてもよい