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戦後民主主義のリハビリテーション 論壇でぼくは何を語ったか みんなのレビュー

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みんなのレビュー3件

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評価内訳

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高い評価の役に立ったレビュー

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2001/11/01 21:11

ちょっとずつ読んで、じっくり考えるための一冊。

投稿者:きのした - この投稿者のレビュー一覧を見る

 大塚英志のこと、少しバカにしていました。まあ「サブカル」の人だし、そんなにたいしたことはないんだろう、と。しかしこれを読んで評価が全くかわりましたね。この本は筆者が論壇誌に書いた文章を集めたものなんだけど、一つ一つがいちいち腑に落ちる。筆者の立場は明快で、筆者にいわば肉体化されている「戦後民主主義」を、もう一度じっくり考え直そうとするもの。戦後民主主義にどっぷりつかってきた筆者とは違って、ぼくはいわば「戦後民主主義」が既に終わった時代に生まれ、その瓦礫の上に立っているという感じがする。だから、筆者とぼくの立場は違っている。僕には「戦後民主主義」があまり肉体化されていないし、どちらかというと胡散臭く感じる。しかしそれでも、筆者の主張はいちいちよくわかるのだ。
 筆者は難しいことばや概念をほとんど使わないし、美文ではない、平凡な文章で語る。しかしその足取りはしっかりと地に足がついていて、どっしりとした感じを与える。それに彼はやはりサブカルの人なので、若者文化(こんなふうにくくるのもばからしいけど)に対する理解も的確だ。とにかく、全く誠実なんだと思う。その誠実さを私たちは受け止めなければならないし、それに対して応答しなければならない。筆者も問題にするように、今論壇誌では若い書き手がほとんどいないという。東浩紀もそういってたかな。筆者がここでしているように、私たちも、自分たちの感覚を検証し、語りはじめなければならない。それはもちろん、感覚だけを信じるのではなく、感覚と言葉の間のフィードバック回路を作るような作業になるだろう。
 この文章における「私たち」は、「私たち若い人びと」という意味で書かれているけれど、この本は、そうでない人びとにも読んで欲しい。とくに、「リアルとヴァーチャルがごっちゃになっている」とか言ってサブカルを批判したつもりになっているような団塊世代の人たちは、この本を読んで、もっとちゃんと考えて欲しいと思う。

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低い評価の役に立ったレビュー

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2002/02/02 00:32

90年代を考える

投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は、90年代半ば以降に大塚英志が「論壇誌」に書いてきたことを一冊にまとめたものだ。600ページ近い本だけど、大塚英志が他の本でも同じようなことを書いている内容が多い。しかし、これだけ数が集まると、いろいろな思考のヒントが散りばめられている。頷けることあり、疑問に思うこともあり。とにかく、90年代の日本に関する一つの思考の足跡となっている。
 この本に納められている批評で、もっとも目立つ言葉は「歴史」という言葉だ。戦後の私たちには「歴史」が欠けているという。《これからぼくが指摘しようとする問題の根源にあるのは、戦後社会を通じてわれわれが、目の前を通り過ぎていく様々な出来事をただやりすご過ごすだけで、それらを歴史に収斂させていく手続きを一切欠いていたという事態である。》
 歴史認識を構築してこなかったから、サブカルチャーの引用の集積にすぎないような陰謀史観だの、自虐史観だのと次々と現れる歴史に対抗出来なくなっている。とりあえず、なるほどなあと思うのだけど、しかしどのような歴史を、いかにして構築するのか、そんなことを考えてしまう。その点について、「他者と共有する歴史」というものを提示している。それでもどうしても「歴史」という言葉に引っかかりを覚える。「私」が「歴史」と繋がりがあることを認識できるようにしたほうが良いのだろうか?
 もう一つの違和感は、インターネットに関しての批評だ。大塚はインターネットを<私>の公然化だという。だれでも簡単に、<内面>をさらけ出せるようして、ネット上は<内面>と<内面>が対話するメディアだという。この<内面>は、普通なら個人の中でのみ呟かれるものか、あるいは言語化されるものではなかったが、それがインターネットによって公然と現れてきたという。私は、<内面>ではなくて<内面のようなもの>が現れていると思う。やっぱり言葉というものが表現の中心である以上は、<内面>といってもそれはフィクションのようなものになるような気がする。
 これは違うとか、その通りだ、と思うことが多い本だった。そういう点で楽しめる本だと思う。

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本

90年代を考える

2002/02/02 00:32

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は、90年代半ば以降に大塚英志が「論壇誌」に書いてきたことを一冊にまとめたものだ。600ページ近い本だけど、大塚英志が他の本でも同じようなことを書いている内容が多い。しかし、これだけ数が集まると、いろいろな思考のヒントが散りばめられている。頷けることあり、疑問に思うこともあり。とにかく、90年代の日本に関する一つの思考の足跡となっている。
 この本に納められている批評で、もっとも目立つ言葉は「歴史」という言葉だ。戦後の私たちには「歴史」が欠けているという。《これからぼくが指摘しようとする問題の根源にあるのは、戦後社会を通じてわれわれが、目の前を通り過ぎていく様々な出来事をただやりすご過ごすだけで、それらを歴史に収斂させていく手続きを一切欠いていたという事態である。》
 歴史認識を構築してこなかったから、サブカルチャーの引用の集積にすぎないような陰謀史観だの、自虐史観だのと次々と現れる歴史に対抗出来なくなっている。とりあえず、なるほどなあと思うのだけど、しかしどのような歴史を、いかにして構築するのか、そんなことを考えてしまう。その点について、「他者と共有する歴史」というものを提示している。それでもどうしても「歴史」という言葉に引っかかりを覚える。「私」が「歴史」と繋がりがあることを認識できるようにしたほうが良いのだろうか?
 もう一つの違和感は、インターネットに関しての批評だ。大塚はインターネットを<私>の公然化だという。だれでも簡単に、<内面>をさらけ出せるようして、ネット上は<内面>と<内面>が対話するメディアだという。この<内面>は、普通なら個人の中でのみ呟かれるものか、あるいは言語化されるものではなかったが、それがインターネットによって公然と現れてきたという。私は、<内面>ではなくて<内面のようなもの>が現れていると思う。やっぱり言葉というものが表現の中心である以上は、<内面>といってもそれはフィクションのようなものになるような気がする。
 これは違うとか、その通りだ、と思うことが多い本だった。そういう点で楽しめる本だと思う。

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紙の本

教科書問題、保守論壇、電子メディア、オウム事件などを鋭い切り口で解剖する

2001/09/13 18:15

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:藤崎康 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書はまんが雑誌の編集者であり、まんが原作者、小説家でもある大塚英志が、「論壇誌」に精力的に書き続けたエッセーをまとめた上下二段組で五百ページをゆうに超える一冊である。内容は教科書問題などの文字どおり「論壇的」なテーマから、サブカルチャー、電子メディア、オウム事件等々、じつに多彩だが、問題の急所をつかみだす大塚の手つきは鮮やかで、読者をけっして飽きさせない。

たとえば「メディア化する「私」」というエッセーで大塚は、インターネット時代の「自我の病理」を鋭く分析する。…若い子たちが強い自意識を内側に抱え込んでそれを持て余している、という事態はそのものは今も昔も変らないが、彼ら彼女らは思春期から対面ではなくメールや携帯といった問いメディアを介して「私」を発信することに慣れている。そして、現在も進行中の表現手段の徹底した大衆化は、今後さらに、送り手と受け手の量的なバランスを崩していくのではないか。つまりそこには、極端にいえば「受け手=他者の消滅」という事態が待ちうけているのでは…。本もゲームも売れなくなったという今の状況は、だから、受け手が特権的な送り手というポジションを認めなくなった状況なのかもしれない。そう大塚は推論する。また大塚は、オウムが呪縛された「近い将来の日米決戦」といった妄想的歴史認識にふれて、「歴史にはこれを共有する他者がいる」と書いたが、それを批判した福田和也が唐突に持ち出した「民族」というファンタジーを、やや無理があると逆批判する。福田を高く評価する大塚だけに、このあたりの本書の記述にはとても緊迫感がある(福田和也と保守の「葬送」」)。

大塚はさらに、国家というシステムを揺るがした阪神大震災とオウム事件が、「つくる会」などの保守派の不安を増幅したと言う。たとえば藤岡信勝はオウムのなかに「見えない共産主義」を感知し、教科書批判に着手したが、皮肉なことに彼らの歴史観は、オウムのオカルト的歴史認識に通じる、「サブカルチャー」的な匂いがすると喝破している。大塚によれば「サブカルチャー化」とは、言葉や思想の断片がその本来の体系から乖離し自動化することだという。つまりは「ポストモダン化」と同義である。では、大塚自身の立脚点は何かといえば、「苦肉の策」としての戦後民主主義である。ある種の保守派の「大衆=民主主義」批判にはかなりの魅力を感じてしまう私も、何はともあれ、「民主主義」というフィクション(?)を支持する大塚の姿勢に共感する。諸悪の根源は大衆消費文化だという思いが募り、ユイスマンスの「さかしま」を高校の国語教科書にせよ、などと「暴言」を吐いてしまう日々ではあるが…。 (bk1ブックナビゲーター:藤崎康/現代文化論・映画批評 2001.09.14)

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紙の本

ちょっとずつ読んで、じっくり考えるための一冊。

2001/11/01 21:11

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投稿者:きのした - この投稿者のレビュー一覧を見る

 大塚英志のこと、少しバカにしていました。まあ「サブカル」の人だし、そんなにたいしたことはないんだろう、と。しかしこれを読んで評価が全くかわりましたね。この本は筆者が論壇誌に書いた文章を集めたものなんだけど、一つ一つがいちいち腑に落ちる。筆者の立場は明快で、筆者にいわば肉体化されている「戦後民主主義」を、もう一度じっくり考え直そうとするもの。戦後民主主義にどっぷりつかってきた筆者とは違って、ぼくはいわば「戦後民主主義」が既に終わった時代に生まれ、その瓦礫の上に立っているという感じがする。だから、筆者とぼくの立場は違っている。僕には「戦後民主主義」があまり肉体化されていないし、どちらかというと胡散臭く感じる。しかしそれでも、筆者の主張はいちいちよくわかるのだ。
 筆者は難しいことばや概念をほとんど使わないし、美文ではない、平凡な文章で語る。しかしその足取りはしっかりと地に足がついていて、どっしりとした感じを与える。それに彼はやはりサブカルの人なので、若者文化(こんなふうにくくるのもばからしいけど)に対する理解も的確だ。とにかく、全く誠実なんだと思う。その誠実さを私たちは受け止めなければならないし、それに対して応答しなければならない。筆者も問題にするように、今論壇誌では若い書き手がほとんどいないという。東浩紀もそういってたかな。筆者がここでしているように、私たちも、自分たちの感覚を検証し、語りはじめなければならない。それはもちろん、感覚だけを信じるのではなく、感覚と言葉の間のフィードバック回路を作るような作業になるだろう。
 この文章における「私たち」は、「私たち若い人びと」という意味で書かれているけれど、この本は、そうでない人びとにも読んで欲しい。とくに、「リアルとヴァーチャルがごっちゃになっている」とか言ってサブカルを批判したつもりになっているような団塊世代の人たちは、この本を読んで、もっとちゃんと考えて欲しいと思う。

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