紙の本
近代哲学の父に会いに行く
2004/02/22 02:23
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投稿者:中堅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は、彼の哲学を勉強するために読むというよりか、デカルトという「合理的」人間、近代の型ともいえる人間像を知るために読んだ。私に哲学の素養はないので、以下はそのつもりで読んで欲しい。
この本には方法序説含め三つの論文が入っている。
「方法序説」は、プラトンの対話篇と同じくらい読みやすい。内容が、哲学的な思索だけでなく、彼の伝記的なところを含んでいるので、飽きずに読めるのと、なにより難解な用語が出てこないところが良い。
「哲学の原理」は、第一部の人間的認識の原理はおもしろいが、しかし、第二部の物質的事物の原理はいまの科学からみれば明らかな間違いと分かることが書いていて、なんだか悲しくなる。だからといってデカルトの価値が下がるわけでもないのだが。
「世界論」(つまり宇宙論)は、正直にいって、今の私には、読む価値があるのか良く分からなかった。考えているのは分かるのだが、最初から最後まで思弁的で分かりにくい。読んでいる最中に、「なぜデカルトは誤ってしまったのか」と、考えてしまうほど退屈だった。
*付け加えると、最後の読書案内はとても参考になる。
デカルトは物質と精神の二元論を打ち立てた。
私という人間は、体が無数の細胞組織の集積でできているのを知っている。つまりそれは一つの「精巧な機械」ともとれる。しかし、その一方で、私は、私の自由意志がそこにあるのを明らかに知っている。(「私は考える、ゆえに私はある」)しかしこの二つのことは両立できない。デカルトは、唯物論、唯心論という安易な解決をさけて、人間の自由を確保するために、物・心の二つを独立させたのだ。
人間を含めた生物すべてを機械的な宇宙の中の構成要素に過ぎないという科学の教える事実の中で、デカルトは異議を唱える。人間の精神は別である、と。それがデカルトの人間観の基礎だろう。我々は自由なのである。
六部から構成されている「方法序説」の第四部に、「神」が出てくる。(合理主義の祖がその根底の根拠を神に求めている! )つまり、彼自身、神学と哲学の癒着から脱し切れていなかったのである。しかしデカルトの神が、中世の怪しげな空気の中のノストラダムスや占星術などと違うのは、それが人間の自由を確保するための手段であるというところである。「神」の三つの存在証明は、彼という一個の人間の自由を保証するためにあった。
「方法序説」が思想の領域における人権宣言といわれるのは正しいのである。
方法序説の次は「省察 情念論」に行きたいところだが、別にもうデカルトはこれっきりでもいいだろう(多分)。
デカルトから始まって、フッサールの超越論的現象学にとぶもよし、デカルトのライバル、パスカルにとぶもよし、日本の哲学者なら中村雄二郎にとぶもよし。はたまた自由つながりでエーリッヒ・フロムにとぶもよし。ただ、デカルトを肯定するにしても否定するにしても、近代の哲学は、デカルトの指した方向に向かっている。行った先でまた出会うことだろう。
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哲学徒としてこれは外せない。
アリストテレスやカントやヘーゲルやマルクスを無視しても、
どんなに難しくて、どんなに後世から非難されても、スゴイもんはスゴイ。
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デカルトの代表作。
新たな哲学の土台を確立するまでを自伝的エッセイ風に書いた作品。
哲学の第一原理とした「我思う、ゆえに我有り」が有名。
おそらく10数年振りに読んだが、なかなか面白かった。
真理を導き出す方法として4つの規則が出てくるが、
真理が確立するまでの暫定期間中に守るべき道徳法則としての
3つの格率の方がより哲学的に感じた。
哲学をどのように定義するかによるかもしれないが。。
3つの格率とは、
1)自分の国の法律と習慣に従う。
2)疑わしい意見でも一度従うと決めたら従い続ける。
3)世界の秩序より自分の欲望を変えるようにすること。
となっている。
これが面白いのは、真理を導き出す方法としての4つの規則
(明証性、分析、総合、枚挙)と矛盾するところ。
いずれ真理に到達するんだから、それまではこれでいいと言い切る
デカルトの柔軟性は見習いたい。
今回、読み直して見ての一番の収穫はやはり3つの格率。
初めて読んだときは、4つの規則と3つの格率をメモって
よく見直していたような記憶があるが、今読むと3つの格率の方が
現実的だと思う。
一歩間違えば妥協になってしまうが、やはり形而上学では
生きていけない。
この辺の結論はニーチェが出しているので、
そちらの感想に譲ろうと思う。
それにしても、格率3)なんて自己啓発本のおきまりのフレーズ。
やはり、輸入物には西洋哲学とキリスト教の影響があるのかも。
また、大陸合理論、心身二元論、動物機械論などその後の哲学史に
影響を与えた部分をチェックしてみるのもそれはそれで面白い。
さらに、本の中には出てこないが、三つの夢や、神の存在証明の循環など
本書にまつわる話はまだまだある。
いずれゆっくり読み直したいと思う。
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感想
半分ほど理解できたといった感じか。この本を読む前に入門書のようなものを読んでいたので、方法序説に関しては、理解することができた。しかし、現代の自然科学の分野に分類される内容に入ると、途端退屈に。
神の存在証明に使われた無限の観念から、神とはいかなるものか、について考察し、広げてくれれば、個人的な興味を刺激してくれる内容になったのに、と思う。まぁ、本文中でデカルトは、無限の観念について言及してはならないと記しているが。
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『哲学原理』と『世界論』が入っているので読んだ。『哲学原理』の第一部は『省察』とだいたい同じだが、もってまわった言い方が少なくなって、すっきりしている。人間が間違う原因の分析が5つになっているが、あまり整理されているようには思えない。第二部には、運動の相対性とか、慣性とか空気抵抗などにふれており、面白い点もある。物体を延長と考え、ワイヤーフレームモデルのように考えており、これを物体の本質としたところは面白い点であり、デカルト座標(XY座標)の話にもつながるのであろう。『世界論』は出版を断念した本で遺稿であり、未完である。基本的には第一元素(火の元素)、第二元素(空気の元素)、第三元素(それ以外)の組み合わせて、位置が入れ替わる渦動宇宙論だが、空虚を否定しているので、どうしても運動の説明に無理が生じているように思う。元素の渦動から太陽系(天球)が生まれたり、地球の周りを回る元素の渦動で重力を説明していたりするが、どうにも腑に落ちない。光についての理論がこの本のメインであるが、棒の端を押したら瞬時に他の端に作用が伝わるという着想は面白いが、やはり、納得できない。デカルトは文章があまり上手ではないと思う。『方法序説』は文学としては面白いが、哲学的にはあまり面白くない。神の証明と霊魂の不滅について書いた『省察』も、マテオ・リッチのような本物の異教徒に説教した人と比べたら、説得力が格段に落ちるし、神の証明もトマスなどをしっかり消化しているとは言いがたい。デカルトはイエズス会のラフレーシ学院では虚弱体質のために寛大な扱いをうけていたようだが、イエズス会で優秀な人は海外宣教にでているんである。そう考えると、『方法序説』で述べている遍歴も、なんだか古典の勉強がいやで、好き勝手にモノを考えたがる現代でもよくいる学生みたいに思えてくる。『世界論』は未定稿なので、こう判断するのは酷かもしれないが、後半など、変な前提を挿入しすぎで、自らの方法を放棄しているとしか思えない。科学読み物としても、ガリレイの方が文才があり、徹底的に反論を引き出しているので魅力的である。『哲学原理』は第二部までで、全訳がない。デカルト学者は翻訳すべきではないだろうか?