紙の本
全ては「心」から
2003/11/04 01:47
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:いずみん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今さらですがエンデの作品はやっぱり「大人が読む本」。
大人だからこそ読むべき本だなァとつくづく思いました(苦笑)
この本もコドモの頃たしかに読んだハズなのに
恐らく当時は実感が伴わなかったのではないかと思うのデス?
時間の感覚や概念を多少なりとも理解していながら
現実にはついついそれを節約してしまう「大人」が
自らの戒めのために読むべき本なのかも。
個人的にはモモと仲良しだったジジの変わりようが切なくて(遠い目)
気持ちが変化したワケではなく、むしろ周囲の環境の変化に
気持ちだけが置いていかれたジジの心根が分かるだけに切ないというか。
私くらいの年代の人間にとってジジというのは在る意味うつし身のような存在で
モモほどコドモではないしベッポほど穏やかな大人でもない。
前半の彼の夢みがちな無責任さも、
後半の夢みることが終わってその後に残るものが見えたからこそ
その状況を変えられない立ち位置も、
イヤという程よく分かるだけに腹立たしくもあったり(笑)
ただやっぱり救いはモモの存在で、モモは特別なコドモではなかったけれど
友達が大好きで、その友達に時間を取り返してあげたくて、
一生懸命ちいさな身体でがんばってくれた。それだけで充分。
結果的に「私たち」の時間も取り戻してくれた彼女に感謝するとともに、
本当はこの本それ自体が「モモ」で、この本を手にした時間こそがこの物語の本質で、
時間を取り戻してくれた「モモ」であるこの本は
だからこそタイトルもそのまんま「モモ」なのかなァなどと
ツラツラ考えてみたり? 現在過去未来、いつ起きたのかも起きなかったのかも分からない物語「モモ」。
読み手が「モモ」と友達になって、それぞれの「モモ」がその友達の時間を取り戻してくれるのは、
読み進めているその瞬間なのかもしれません。
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エンデと運命的に出会った本。モモを読んでなかったらエンデを知らなかったし、エンデを知らなかったら生きて来れなかったと冗談抜きに思います。私自身、歩くの遅いしスローペースなので、時間に追われてる気はあまりしないのだけど、せかせかしてる人を見たら不思議な気持ちになります。社会に出てそんな悠長な事を言ってられなくなった時は必ず読もうと決めています。
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「世の中の不幸というものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見きわめずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ」
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有名な『モモ』の愛蔵版です。最初に出たハード版を持っている人でもこれは是非持っていたほうがいいと思います。そう言う私もその1人です。
のんびり屋のジッポとジジと離れて、たった一人で孤独と戦っていくモモの寂しさは胸が締め付けられる思いでしたが、読み終わった後は心がほっかりとして幸せな気分につつまれていました。 何冊も持っていたい、本当に大好きな作品です。
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いわずも知れた、超超有名作品です。らしいです。自分、知らなかったんですけど(汗。でも、最初の1ページめを読み始めて、不思議な感覚...デジャヴみたいな。。。読んだことないはずなのに、知っていたのです!!どうしてだろう??
思い返すと、心当たりが。小さいころの国語の教科書!!たぶん、国語の教科書に、『モモ』の導入部分。モモの特技についての部分が、あったんだと思います。
続きがあったんですねぇ。素敵な、キャラクターがいて、呼んでいてとても、懐かしいし、面白かったです。「モモ」の特技、ってとっても大事です。。聞くと聴くの違いを、これで習ったような思い出があります。現在・過去・未来 時間の勉強にも。映画、マトリックスのMr.スミスが大量に出てくるのは、これにインスパイアされたのかな?(爆)なんて!!!!小さい子むけの、読み物ですが。思い返すのも、良いですねぇ。
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「はてしない物語」でミヒャエル・エンデにはまってしまった私の、次の標的でした。おもしろかった〜。
その後大学の演劇部で、北村想の「11人の少年」を演るとき、作品のベースにモモがあったため、再び読み返しました。
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児童文学書。
当然、本の置かれている場所は図書館の児童文学書コーナー。探していて若干恥ずかしかった。
町の外れの廃墟に住む浮浪児モモ。
周りの色々な人の優しさのお陰で毎日楽しく過ごしていた。
そんなある日、人間に時間を貯蓄させることを勧める灰色の男達の出現。時間を貯蓄することを決めた人間は、無駄な時間を一切排除し効率至上主義となり、冷たいゆとりのない人間へとなっていく。
モモの周りの友人たちも灰色の男達の手中に落ちていってしまった。モモは人間から奪われてしまった時間を取り戻すため、灰色の男達へと立ち向かっていく。
ひらがなばかりだったので、ひじょうに読み難かった。しかし、現代社会への警鐘というか最近サラリーマンになった自分には、児童文学書と云えども非常に考えさせられる内容だった。
会社では開発効率を極限まで高めるという方針。自分の思考回路をロジックにするための己の能力開発という観点ならば良いが、無駄を一切省き開発効率向上というのはいかがなものか。無駄話から生まれる閃きもあったり無かったり・・・。
とにかく、そんなに仕事ばっかりしていて幸せなの?家族は?友人とは楽しくやってるの?というメッセージを自分の心に受けました。
話は逸れるが、この物語で登場した30分先の未来が分かる亀「カシオペイア」。ジョジョの奇妙な冒険5部でスタンド能力を持った亀が登場する。どこか似てると思った。
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昨日
何かに誘われるかのように
児童文学コーナーに吸い込まれて
この『愛蔵版』に
出会った。
当時(子供の頃に)読んでいた
装丁版とちょっと悩んだけれど、
とっても大好きな本で
ぜひ
この豪華な愛蔵版を
手元においていたかったので
こっちにした。
ステキなオレンジ色の布張りの本
表紙は
シンプルに
MOMO と型押しがあるのみ。
はてしない物語の
オリジナル盤もこんなカンジの装丁なので
並べるととってもバランスがいいな
と思った。
もちろん
当時の表紙のイラスも健在で
中開きにちゃんと入ってる。
ミヒャエル・エンデの本は
大人になってから読むと
また感じ取るものが違うと思う。
子供の頃は
オトナ側の描写が理解できなかった
大人になり
改めて
今読み返すと
自分自身が決められた時間の波の中に
とらわれてしまっていることに気づいた。
毎日
同じ時間に起きて夜遅くまで
時間に追われ、せわしなく働き
暇がない、暇がない
とぼやいている自分。
時間どろぼうに
すっかり大切な時間を盗まれていたのだ。
でも
この本を読んで
私自身も
モモに助けてもらいました。
私の中でしか咲かない
その一瞬をきざむ時間の花。
その
一輪一輪の花を大切に
今の時間を生きていこうと
強く、思った
たった一人で
たたかってくれた
モモのために。
また
時間どろぼうに
大切な時間を盗まれないように
この本を
枕元に置きました。
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せまりくる灰色人間に大切な友達を奪われていくモモ。本当の意味での「時は金なり」ってのは、家族や大切なひとと一緒にいる時間や、笑っている時、自分が有意義に思えている時だろうなぁ。
映画も観たんだけど、イメージしていたものとはちょっと違ったかも。
紹介してくださった大学の先生の言葉「ユウタさん、『待つことが愛』なんですよ」 感心しすぎて、よく知り合いに伝えたりしてます。
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通常版を持っていて、子供の頃の愛読書だったが実家においてきてしまった。
ある日電車の中で男の人が読んでいた本が、真四角でオレンジ色で装丁が美しくて目をひかれた。
彼が本を閉じると表紙にMOMOとあったので、調べてみたらこの本で、早速買って読んだ。
何度読んでも、良い本は良い。
あの頃感じた怖さや悲しさや美しさ、楽しさが、今でも同じように感じられる。
しかし、どちらかというと小さい頃は灰色の男たちへの恐怖と
ひとりで成し遂げなければならないことへの不安が強かったけれど
今読むと人間たちの方に感じる恐怖の方が強い。
悪い意味で、大人になってしまったからだろう。
あとがきにもあるが、これは過去の話とは限らない。
寧ろ、今の日本がちょうどこんな感じではないだろうか。
休み時間も遊ぶ内容が決められていて
休みの日には先生と会えないし連絡先をきいてもいけない
なんていう最近の学校なんて、こどもの家を笑えない。
あくせく働いてとげとげしている満員電車や雑踏も、こんな感じだ。
花を見て音を聴けば、時間を大切に思えるのかもしれない。
美しく咲きはかなく散っていくこの世のものとは思えない
自分だけの花。
それが毎時間生まれては死んでいくのだと思えば
灰色の男たちのいう無駄とは別の意味で
時間を無駄にしてはいけないと本当に思うだろう。
灰色の男たちは時間を殺して摂取するところが本当に酷いのだけれど
とても哀れでもある。
そして我々人間は、彼らを生み出しつけいる隙を与え
生きた時間を生きたまま殺すようなひどい無駄をしている。
時間の大切さを考えるとき、この本を思い出す。
今日も24本の花が、美しく咲いたのだろう。
ふたつとして同じものが無いその花を
私はどう扱っているだろうか。きちんと生かしてやれているだろうか?
そんなことを思う。
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円形劇場の廃墟に住みついた、もじゃもじゃ頭で粗末な身なりをした不思議な少女モモ。黙って話を聞くだけで、人の心を溶かし悩みを解消させる能力を持った彼女のまわりには、いつもたくさんの大人や子どもたちが集まっていた。しかし「時間」を人間に倹約させることにより、世界中の余分な「時間」を独占しようとする「灰色の男たち」の出現により、町じゅうの人々はとりとめのないお喋りや、ゆとりのある生活を次第に失っていく。
一番最初に読んだのは小学生のときでしたが、何年たっても変わらずに大事なことを教えてくれる一冊。むしろ大人になるほど忘れがちなことを思い出させてくれる。
時間とは何なのか、人生とは??普段じっくり考える暇もなく毎日を過ごしている私はもう灰色の男たちに取り込まれているのかもしれません。モモを通じたエンデの警告は、まるで現代を見ているのかのようにぴったり当てはまっていて、うすら寒くなるほど。エンデはきっとこんな未来を予測していたのでしょうね。実際になって欲しくはなかっただろうけど。時間を大切にすることがどういう生き方につながるのか、常に考えていきたいと深く思います。
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第一級の児童文学です。
50年先、100年先にも読み継がれていくだろうと思います。
そのころクルミドコーヒーはどうなっているのでしょうか。
カフェで読むには長いのですが、いつまでも置き続けるつもりです。
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時間をはかってみたところであまり意味はありません。
時間とはすなわち生活だからです。そして、人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。
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読んだ期間*2011年1月7日~1月18日
“時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。”
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小学生の頃、学級文庫にモモが置いてあったと思う。
もっと絵が沢山載っていて、その絵が何だか怖くてたまに手に取ってみても、ぱらぱらとページをめくっては読むのを避けていた。
これも雑誌の書評を見て、ちゃんと読んでいなかったなと思い、読んでみることに。
子供の頃に読んだ方が、楽しめただろうなぁ、残念。
もっと未熟な、でも今よりずっと豊かな感性で想像を膨らませていただろう、そう思う。
大人の目線ではなく、子供の目線で読んでおきたい本。
今の感性ではなく、もっと若い頃の感性で読みたかった!と思う本に、きっとこれからも出会うだろうな。本を読めば読むほどに。