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リアル教養醸成本! 中沢新一の講座を本にしたシリーズ第一冊目。人間が考え出した最古の哲学として「神話」を探求する。世界各国に存在する酷似したプロットの神話に「隠された意味」とは? あるいは地域によって異なる理由は? など興味深い問題意識を提起したうえで、シンデレラなど誰もが知っている具体的な物語を読みながら判り易く展開されている。
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<ブックレビュー>
人類の歴史や文化、思想といったものを、「神話」という観点から大胆に読み解いていく書。講義形式なので、口語調だし、難解な言い回しもなく、学術書なのにすらすら読める。
著者は、新石器時代に起こった人類の変化を、人類史上最大の革命的な出来事であるとし、それ以来、人類は根本的な変化や進化を迎えていないという(8千~1万年前から人間の脳味噌は根本的に進化していないのだ)。
そして、その新石器時代の大変化が生み出したものこそ、神話的な思考であり、その神話的思考の原型は世界に散らばる様々な神話やおとぎ話の中に見いだせるのだとし、実際に様々なおとぎ話や神話を題材にし、その中に神話的思考を読みとり、解説していく。
本著で大きく取り上げられているのはシンデレラの物語だ。今ではディズニーのアニメが有名だが、シンデレラと同型の構造を持った物語は、世界中に存在し、中国のシンデレラやインディアンのシンデレラ、日本のシンデレラなど、ヨーロッパのシンデレラと非常によく似たシンデレラの物語が世界各地に存在するのだという。そして著者は、その物語の類似性の中に、人類の中に眠る神話的思考を見いだしていく。そのことで、人間が無意識のレベルで自然に対してどういった思想を持っていたのかを明らかにしようとする。(別にユングのいう普遍的無意識云々の影響で物語が類似した形を取るとかそういう議論はしてなくて、ちゃんと人類学的理由でその類似については説明している)
最終章では、著者による神話的思考による分析の射程は、現代日本のヴァーチャルな文化にまで及んでいる。
近現代の日本で大きな発展を遂げたアニメやゲームといった文化の分析だ。こういったサブカル的なものを、文化人類学的思想や神話によって読み解く本は他に見たことがなかったので、新鮮だった。
ただ、本書ではそれはまだまだきちんと理論化され十分に分析されているとはいいがたく、ある種の予見というか、試論とか準備論の段階にとどまっている。
(著者によると日本のゲームやアニメの文化の根底には、古くから日本人の思想の中に生き残っていた神話的思考が生きている。しかし、ゲームやアニメが古来の神話と異なるのは、神話が現実的なものとのつながりや五感が捉える現実とのつながりを保持しようとしていたのに対して、ゲームやアニメはヴァーチャルな領域だけで完結してしまっている点だ。だからゲームやアニメの体験は、現実的なものや具体的なものとの接触の中で弁証法的関係を築けない。つまり、それは快楽原則の充足のためだけに、ヴァーチャルな部分だけが肥大化した思想であり、自然の根底に触れ、それを理解しようとする神話の思想から離れてしまっている。そのことで具体的な自然的世界への深い理解やつながりは失われてしまう。と、現代のヴァーチャル文化に対して軽い警告を発している。あまり深いレベルにまで分析が達しているとは正直言い難いなと)
全体として刺激に満ちた本だし、教養としてもすばらしい体験をもたらしてくれるので、興味ある人は手にとって読んでみてもいいのではないかと思う。
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文化の大切さ、面白さを教えてくれた。シンデレラに通じる話がこんなにも世界中に広まっているとは。あと、シンデレラの話に神話的解釈が行われていること、その解釈が世界で似たものになっていることに驚きました。これが集合的無意識なのだろうか、と驚かされる一冊。けっこう読みやすい本。
また、アメリカインディアンはとても文化レベルの高い人たちだったのだなと驚いた。
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「人類最古の哲学」とは神話である。神話は感覚の論理を駆使することで、宇宙における人間の生の意味を見出そうとする始祖の創造的活動であり、ゆえに最古の哲学だ。
神話の臨界点とその役割は、空間や時間の中に散逸して、おおもとのつながりを失ってしまっているように見えるものに、そのつながりを修復し、崩れてしまったバランスを均衡状態に戻すことだ。非対称性となってしまった事象に本来ある対象性を取り戻し、現実の中で両立不能になっている対立項に共生の可能性を論理的に探り出す、決して空想ではない実際的な営みである。
「もはや存在せず、恐らく決して存在しなかったし、これからも多分永久に存在しないであろうが、それについて正確な観念をもつことは、われわれの現在の状態をよく判断するために必要であるような一つの状態をよく知る」(ジャン=ジャック・ルソー)
人間の進むべき正しい道とはなにか、神話には人の根源的な願いが込められているのだ。
太古よりの神話の思考は連綿と続き、物語として現代にも継承されている。本書では神話としてのシンデレラを扱っている。さまざまな民族にまたがるその異文としてのシンデレラ(サンドリヨン)の構造分析から見出すことができる深淵には野生の思考があることに気づく。
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面白い。面白いけど、好きじゃない。
シンデレラやそら豆やツバメは生者と死者を仲介する存在。すごく面白い。面白いけどさ、そんなの何とでも言えるじゃないか。人文科学で反証可能性なんて持ち出したら負けなのかもしれないけど、やっぱり腑に落ちない。これって学問なのか?
著者が物語に与えた彼なりの解釈を、唯一絶対の正しい読み方であるかのように押しつけられているような気がして居心地が悪かった。「いくつかの事実に対する、ある一つの可能な説明」でしかないものを、あたかも「すべての事実に対する、ただ一つの説明」であるかのように語る筆者の姿勢に反発を覚える。
神話の重要性を語るプロローグひとつとっても「偉い物理学者のパウリやハイゼンベルクもこう言っていて……」などと他者を利用して自説に権威付けをするようなやり方が目について、初っ端から嫌悪感を覚えてしまった。(だいたい「偉い」物理学者なんて言うか?優秀な物理学者、とかならまだわかるのだけど。単純に趣味の問題だと思うが、そうした細かな言葉の端々に現れる筆者の物の考え方がことごとく肌に合わなかった。)
もしこれが飲み屋で隣に座ったおじさんの話だったら、文句なしで気に入っただろう。ただこの内容を「学問」として得意げに提示されることに違和感を感じた。もっと肩の力を抜いて読むべきなのかもしれないけど。
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噂では知っていたシンデレラのバージョン違いを考察する授業の記録。バージョン違いをいろいろと読んでいくという形式なので、集中力が途切れるtwitter好きにはちょっと読み進めるのが苦難の道。なのですが、授業形式なので続けられる。そしてアクセントに引用に挙げたような素晴らしい文章が。神話とは何か?なぜ神話が問題となるのか?ということを大変シンプルに伝えてくれてやっとわかった気がする。最近自分内部で流行の右脳、左脳議論に基づいて読むわけです。びっこをひくことの神話的意味のところでは、中学の時に読んだ井上ひさしの小説の最後のなぞのせりふ「地面に根が生えろ」
を思い出したり、金閣寺の主人公を思い出したり、脳ってすげえ。
最後の章では、アニメーションと神話と身体性の欠如についての提言までして、でもそれがベニテングタケのクスリネタで彩られているところとか先生も大変だなとか思ったり。
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神話は人間が最初に考えだした、最古の哲学です。
面白かった!はやく続きが読みたい。
ピタゴラスが豆を嫌った話を読んで、
ふと、魔女狩りを思った。
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「人類最古の哲学」である神話のお話。
世界のなりたち、その中の自然、人間。それらの本質に関する抽象的思考を哲学とした場合、数万年前からの旧石器時代から哲学はあり、根本的な思考法やその道具立ては変わってない、というカウンターパンチは利いた。
動物や植物など自然界に関する広範な博物学的知識をもってして、その感触や視覚や行動特性などの感覚を項として論理的に世界を構築する「感覚の論理」。
神話を作っているものはこの分子的構造で、現代の自然科学の原子的構造とは違うけれど、作り方自体は同じなのだと。
世界中に拡散するシンデレラの物語を題材に、その分子的項が一部変形すると全体がその論理に沿って変化する仕方を、世界中のバリエーションをもとに検証する。
旧石器時代になぜしいたげられた汚らしい女の子が報われる話が出てきたのかは言及されないから、イマイチこの題材が何を意図して選ばれてるのかわからないけど、単に世界中にバリエーションがあるからってだけなのかしら。
こういう、莫大な知識に基づく華麗な論理は好きだ。
神話好きが高じたロマンティシズムのきらいもなくはないが、中沢新一は要するに頭が良くて、言語センスがすごい。
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異なる者を結びつける仲介者
神話ときくと、おとぎ話の一つのように捉えていた。
しかし、そこには理想とする社会構造や、人間の不条理さを描いているものが少なくない。
この妙にシュールリアリズムな点が、素直に物語として楽しめない理由かもしれない。
本書は5冊のカイエ・ソバージュの1冊目である。
シンデレラ物語を取り上げ、そのプロトタイプとなる物語が世界のあちこちに存在することを指摘する。
多くは立場の反転を、魔法や超自然の力を借りて行っていることに着目している。(個人的にはインディアンに伝わる『見えない人』が好きなのだが)
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読了。
【借り本】
人類最古の哲学カイエ・ソバージュ1
銃・病原菌・鉄と交換という形で貸し借りした本。全5巻のカイエ・ソバージュシリーズの第一巻です。
それを読んだらこれも面白いよという流れでの交換です。
人類最古の哲学とは神話であるという。
文章化された神話ではなく、文字がない時代に口伝された神話。これが最初の哲学ということです。
レヴィーストロースは名前だけは知ってます。(ブラックラグーンのTwoHandじゃないよ。)
昔に哲学入門的に現代思想の本を読んだことがあるので、うっすらわかります。各地の伝承をもとに人類学を提唱した人。そこからの流れです。
世界各地には似たような神話があるよね。それはきっと石器時代から口伝で伝わって人類が移動したからだよね!っていうところです。
9世紀に発見された最古のシンデレラが中国あったことに驚きです。(文章化されてないだけですが)
あとは一般的な綺麗なシンデレラとグロいシンデレラと各地にいろんな伝承があるわけですね。
ということでなかなか興味深いですが、同時にすごい難しい感じがしました。
3巻まで借りてるのでさて次に進むかな。
あるいは脇道にそれるか...w 積み本が山のようにあるので...
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神話は、具体的な世界との関わりの中で生まれれる。
この本の中で紹介されるいくつかの神話を読んだとき、たしかな感動があった。
なぜ僕は今、神話に感動するのか。
きっと、僕が、具体的な世界に目覚めはじめているからだろう。
これまで浸ってきた、観念の世界から脱出しつつある。
神話と宗教の違いが、この本では語られる。
神話は具体的な世界をもとに生まれる。対して宗教は観念の世界である。
ああ、今まで自分がやっていたことは、宗教だったのかもしれない、と思った。
また、著者は現在流行しているアニメやゲームの物語は、神話的であるが、神話とは異なるものであるという。
アニメやゲームの物語は、神話の「様式」であり、そこには「内容」がない、と。
「内容」とは、具体的な世界のことである。物質の世界。自然。
大量の物語を消費する僕たちの空虚さの正体が、少し見えた気がした。
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人類最古の哲学は「神話」である。
シンデレラは、もっともポピュラーなペロー版、「本当は怖い」のグリム版、最古の中国版を経て、本来の神話がネイティブアメリカンによって再生される。さらにオイディプス神話ともつながるという、壮大なSFを読んでいるよう。
そして最後に神話を様式だけ、情報として消化することに対して警告を放つ。
都市、情報空間の中だけでジブリ映画のような神話様式を消費する私たちは自然と断絶し、自然からの恩恵を受けられなくなるのだ。
かぐや姫の子安貝から「燕石」の普遍的な意味。
ピタゴラス派の掟から「ソラ豆」のもつ二元性。
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中沢新一の著書は読み始めてからもう20年近くなるが、どの著書も「よくわかった」というものはなかった。というか、「よくわからん」わけで、それが良いのだろうと思いつつ、わからんなりにおいしいところはその都度いただきつつで今日に至っている。このカイエ・ソバージュシリーズは学生にたいする講義の内容がそのまま本になったものだし、少しは入門的で分かりやすいのかなと期待して買って読んだ。その結果、…ま、言わんとすることはわかった。でも、カチッとおさまったり、スパッと切れたり、スッと腑に落ちたりということはやはりないんだな、これが。そういう持ち味なんだな。全てを割り切り、全てを分かった気になる今の世の中が捕獲できず、取り残してきたものを相手にしようとするとこうなるものなのかね。
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中沢新一による「カイエ・ソバージュ」、最初の一冊。文化人類学の基礎である神話研究のレポート。公演を書籍化したものなので、語り口調で非常に読みやすかった。純粋な理論的立場から考えると一見トンデモ理論に見えてしまう神話研究ですが、人間の潜在意識の糸を手繰り寄せながら、人間と文化を紡ぎ出そうとしています。理性を絶対視した啓蒙主義の限界から、人間の思考の無意識の側面を理論家していったものが文化人類学であり、現在の社会学の基礎にもなっている。こういうものは人間の活動の上澄なのか、骨組みなのかと考えてしまう。完全にしっくり来ているわけではないが、知ることの必要性は感じる。
17.3.24
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大昔にニューアカなどといわれていたときに何冊か読んだことのある中沢新一であるが、最近どうしているのかな、とふと思い、本を検索してみれば、すごくご活躍のご様子。
ということで、ここ数年の著書で、評判のようである本書を読んでみる。
講義録であるため、すごく分かりやすいし、講演録とは違って、一つのテーマをさまざまな角度から丁寧に論じていて、面白い。こういうスタイルの本は、もっとあっても良いと思う。
内容的には、文化人類学入門というか、神話学入門というところかな。シンデレラやかぐや姫など、だれでも知っている話をもとに、その物語の様々な国のヴァージョンを比較していくことで、神話の構造、そしてその哲学を浮上させていく。
という方法論は、いうまでもなくレヴィ=ストロースのものだが、中沢氏がレヴィ=ストロースに対して、かくもストレートなシンパシーを持っていることには、少し驚いた。共感を抱きながらも、もう少し複雑な関係ではないか、と勝手に想像していたので。。。
昔、レヴィ=ストロースをはじめとする文化人類学に興味をもっていろいろ読んでいた事があったのだけど、久しぶりにそのときの知的な高揚感を体験させていただいた。
にも関わらず、満足度が星5つでないのは、この講義録はあと4冊あって、全部そろえると8000円くらいしてしまうこと。1冊200ページくらいの分量だったら、少し本を大きくして2分冊にするとか、新書版にするとか、して、もう少し、お求めやすい価格にしてほしいと思った。