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似非ロージャーズ流カウンセリングに染まってしまって、立ちゆかなくなっている日本のカウンセリング界の方向を変えうる力作。
まず、今の日本のカウンセラーに最も欠けているのは「能動性」ではないか?との問題意識から、それは、決定的に「見立て」の能力や「準備性」の不足からきていることを指摘。つまり、カウンセラーは万能感を捨てて、冷静に、目の前のクライエントにカウンセリングが有効かどうか見極めねばならないのだ。ただ傾聴だけで全てが事収まるほど、人間の問題は単純ではない。
次に、カウンセリングの肝となる「共感」を感情と感覚のレベルに分けて論じている。ここで著者の独創的な視点は、共感を「カウンセラーの感性を通してクライエントの感情機能を高めること」と定義していることだ。この中で、P198のカウンセラーとクライエントとの共感のプロセスを記述した段落は芸術的な趣すらある。
以下に、気に入ったフレーズを抜き書きする。
「いわば医療の尽きるところからカウンセリングが始まる」(P128)
「カウンセラーが面接の場におけるイニシァティヴを失うのは…『のようなお気持ちでしょうか?」という“感情の明確化”技法に寄るところが大きい。それは『私にはこう思える、こう感じられる」という、カウンセラーの能動的な自己表明性によって大部分カバーできる・・・」(P139)
「(あなたは)身も心も汚れていないということばは、善意から出た励ましのことばには違いないが、自ら汚れる決意はなく、クライエントには空しさしか残らなかったと思う」(P177)
「要するにカウンセラーは、自分について知っている以上に、クライエントについて知ることが出来ない」(P199)
「カウンセラーの見捨てられ感には、自分のしていることへの不全感が多分に反映している。見立てをおろそかにする我が国独自の現象かもしれない」(P248)