紙の本
爽快だし、現実的で役に立つ
2002/06/11 16:59
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投稿者:ひめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
毎日せまい教室にギュウギュウつめこまれて、みんなといっしょに行動して考えて……学校がどうにもキライだったわたしは、これ読んですっきりしました。
学校のいう「成果」をあげるのが、ホントに学ぶってことじゃないって、これでもかと検証してくれます。
ああ、気持ちいい。
でも同時に、マジで学校化社会にサヨナラしたら、かなりの摩擦の中を生きなきゃならんよなあ、というのも透けて見えて戦慄を呼ぶのも必須。
スリルありますよ、これは。いちいち具体的だし。
あと、あんまりジェンダー色強くないから、男性にも無理なく読めると思います。
親の立場な人も、読んでおくと子供にいらぬ小言をいわずに済むようになるかもしれません。
実際、役に立つよなあと思いました。
それと関係図書をたくさん紹介している下段の注釈も、便利です。
紙の本
学校が作った近代
2002/05/12 21:40
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投稿者:よんひゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
努力と成績の間には、実は、さほど強い相関関係はない。では、学校の成績を決める大きな要素はなにか。それは、その子供の家庭の年収である。このようにして、学校では社会階層が再生産される。そして、そのツボは、下層になる子供たちが「自分たちはガンバらなかったから、だめだったんだ」と、自ら納得してしまうところにある。成績がよければよいで、次もまた、よい成績を取らねばならない、取れるだろうか、という不安のうちに学校時代をすごさなければならない。
こういう近代の学校の仕組みが喝破され、その中で虐待母、「東電OL」、拒食症の少女たち、などとの関連が語られる。読みやすく刺激的である。
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宮台真司が言ってる学校化現象(イリイチのあれとは違うみたい)をこの人も批判していますよ。
ま、ふーんだね
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装丁のかわいらしさとは相反して、なぜか読みにくかった…これは私の教養不足か?
第一章が一番印象的。読んでいるうちにどんどんどんどん怒りが募ってくるような、素晴らしいものでした。
それから、私もフィールドワーク的なこととか、自分で考えるってこととか、やっておきたかったということ…。あぁ、もう大学卒業なのに…涙。
ここで気付いたのは、『なぜフェミニズムは没落したのか』で批判されているのとは逆に、上野千鶴子が、「大事なことは、いま、自分に何が気持ち良いかという感覚を鈍らせないことです。」と、『なぜフェミニズム・・・』の著者と同意見のことを言っているということ。やっぱまちがってんじゃん!浅読みだよ!『なぜフェミニズム…』
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我々の生活の細部にまで浸透している「学校知」の是非を、丁寧に検証しています。内容が深いため読むのに時間はかかりましたが、逆に一度も飽きがくることなく読みきることができました。社会学・心理学・教育学・文化人類学等多くの人文系の学生に読んでもらいたい本です。
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日本の教育システムに対する著者の指摘は痛快です。
「子は3歳までに親の恩を返す」という言葉は印象的でした。
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意見は一致した。なので特に反論・批判する理由も見つからず困る。
あえていうならば著者も教育者の視点から抜け出せないことがわかった。
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ええことしてると思てる人が、気づかんとえげつないことしてるんが一番おそろしい。
学校しかり 警察しかり
反省なんか思いもよらんねやろね。
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後半は僕ができれば認めたくない宮台真司のまったり生きる路線と同じ。前半の東大生論は納得。評価を気にして生きてきた。
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学校とはなんなのだろう。階層の再生産を維持、低コストで全員が納得できる近代のシステム。えぐいな。。それの片棒担ぎをしてるわけだ。。う〜ん。でもそこを無視して生きてはいけないしな。
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テレビでも雑誌でも、とにかく僕は「ランキングもの」が苦手なのだ。星座占いの運勢のランキング、抱かれたい男ランキング、好きな歌ランキング、うまいラーメン屋ランキング、大学の偏差値ランキング…。うう、書いているだけで辟易だ。
なんだか世の中、いたるところでおかしな序列化(階層化)が進んでいる。いったい誰が、何を基準に、どうやって(もっともらしい)序列化をしているのか。得体の知れない数字ばかりがひとり歩きをしていないだろうか。そして僕たちはそれを特に考えることもなく、鵜呑みにしてやいないだろうか。ときとして、なにやら胡散臭さを覚えてしまう僕なのである。
さて、上野先生のいう学校化社会とは、「明日のために今日の我慢をするという未来志向とガンバリズム、そして偏差値一元主義」が、学校空間から溢れ出し、広く社会にも浸透してしまっている状態を指す。学校というのは、机に向かって長い時間オッチンと座らされて、いい高校いい大学へ行くために勉強しなさいと強要される場所だ。日本が昭和の時代ならそれだけでよかったかもしれない。いい学校を出れば、いい就職ができ、終身雇用に守られて、安泰な老後を迎えられたのだから。そのためには、退屈な勉強も嫌な仕事もひたすら我慢する---。未来志向やガンバリズムが信奉されるには、当然の時代背景だったのかもしれない。
しかし、時代は大きく変わった。企業の終身雇用は崩れ、国は派遣や契約社員のように不安定な雇用形態を認め、現在の有様だ。学歴だけで人生の未来予想図を描くことも容易ではなくなった。それでも受験競争は相変わらず続いているし、企業はあらゆる場面で、成果制や能力制というもっともらしい方法で社員を「客観的に」評価するようになった。
なるほど、点数やノルマの達成具合は一見、個人を評価するのに都合がいいのかもしれない。でも忘れてはいけない、評価をするのは自分ではなく、他人だ。他人が、誰かの作ったもっともらしい序列化によって自分を評価してくることに、自分のすべてを預けてしまうのは極めて危険だ。自分という人間は、「序列化・客観化」された数字だけで構成されているわけではないのである。
上野先生は言う。本当に自分の好きなこと・楽しいこと・気持ちいいことをするべし。ただし、好きなことはカネにはならないと心得るべし。だから好きなことをやるために、他方でカネになること、つまり他人の役に立って、カネを手に入れるスキルの一つや二つは身につけておくべし。
自分の「できること」と「好きなこと」は別物である。「できること」ばかりを追求して、自分はいったい「何が好きだったか」を、どうか忘れてしまわないように。
高校生くらいの年頃の若者に読んでもらいたい1冊。
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すーーーーっごい、血となり肉となった本。
どこかの本で『極端に示すことで見えてくるときがある』と書いてあったけど、上野さんはそれを体現してくれてる人で、新しいなにかを生み出すために、あえて極端に言ったり挑発したりして、世の中とか自分とか相手とか聞き手を前に進ませようとしてるところがあるように思う。
あとサービス精神がすごい。本ひとつにしても講演ひとつにしても、「お客様の大切なお金を頂いたからには、それなり、それ以上ものを持って帰っていただきます」というところがとても好き。
内容は、学ぶってことはどういうことか、働くってどういうことか。欠陥だらけの学校教育についてとか、偏差値は親の収入と結びついているという研究結果とか、偏差値が高くても『知のグルメ』でしかなく情報を産み出す能力がない人が多いとか、日本の頭のいいということは相手に都合の良い人になれる人だということなど。
今までとこれからの自分の『学ぶ』こと『働く』ことについての、視野を思いきり広げてくれた本。借りた本だけど絶対買う!は〜学生の時にでもこの本に出会っていれば、慌てて勉強したのにな〜。
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いわゆる良い大学を出た人間の最大の強みは「やればなんとかなる、自分にはそれだけの力がある、という意識を持てていることである」、という言葉が印象的でした。学歴がもたらすものは「知識」よりも「自信」なのだということ、そしてその「自信」が無ければ先に進む為に行動を起こすことすら出来なくなってしまうこと等が書かれていました。
低学歴でかつニート・フリーターなど社会的に弱い立場にある人達が思考停止しそこから脱出しようとする意欲すら持たなくなる背景にはこのような心理的背景があるのだということ、本人達の「怠け」ではなく学歴社会による心理的な圧迫があるのではないかという疑問に思い至り、社会問題を感情論ではなくロジカルに読み解くためのひとつのヒントになりました。
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上野さんパワフルだなあ。
はっきりしてるから、好き嫌いが分かれる彼女の本だけれど、
わたしは子気味のいい上野さんのお話がとってもすき。
でも読むのにとっても時間のかかる本だった。
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別の著者の本の中に、この人の名前を何度か目にしたことがあったので、一番簡単そうなやつを手にとって読んでみる。
わたし、その「別の著者」のスタンスに似ているなと思うんですが、「フェミニズムには賛同するが、フェミニストには賛同しない。」という考えの持ち主な気がします。
そもそもフェミニズムってなんだって聞かれても的確に答えられる言葉を持っていないのだけど、フェミニストの人の話を聞いていると、なんだかとんがっていて、ちょっと同意するに余裕が無い人を何人か見てきたからかもしれません。
で、この本を読んでみて、少し見方が変わったかも、と思った。フェミニストって、私が思うよりももっと寛容さがあるんじゃないかと思える面があったからかもしれない。
はてさて。この本。
同意できるなって、思うことも多くあった。うん。大半がそうだよなと思ってもいいかもしれない。でもいくつか、私はそうは思わないなと思うことがあった。
それは著者からしたら揚げ足とるようなものにすぎないのかもしれないのだけど、わたしがこれから、この人の著作を読むにあたっての誤解を納得に変えてくれるきっかけになるものであったり、やっぱり違うなと、違いを際立たせてくれるきっかけになるものになるように、ここに記しておく。3点ほど。
一つ目。
学校は、不相応に知育、徳育、体育、生活指導、心の教育、全人教育などやらずに、知育だけに特化すれば良い、相応にダウンサイジングすべきだ、と学校の先生に話すが、いつも反発される、というところ。
うーん。この人に対して「反発」しているように見えたのかもしれない。でも、恐らく多くの教員からしてみれば、「教えることだけに特化出来ればどれほど楽か。」と思っているのではないだろうか。「教えることに特化するために」まずやらなきゃいけないことが山積していて、やらざるを得ないから知育以外のことをやってるんじゃないかと思う。ダウンサイジングだけして知育に特化することを強制的に学校がやっても、めちゃくちゃになるだけ。知識の足らぬ人間を切り落としたところで、次に受け皿となった場所で同じことが繰り返されることは容易に想像できる。それをなんとか食い止めようと(なぜならそれは生徒の望むことではないから。)知育以外のことにも手を出さざるを得なかったのが今の教育現場なのではないだろうか。
その2
今の教育が最悪な点は、、学ぶ側が教師を選べないということ。授業は学校が提供する商品。学ぶ側はいわば消費者。教師を選べるという「消費者の権利」が確立されない限り、学校というシステムは変わらない。
この人は、「学校化社会」を批判する一方で、「システム化された社会」を学校に取り込んでいこうとしているのだろうか。
わたしは、教育はサービス業ではない、と思う。逆に、あらゆる人が(それは教師を含む)教育をサービス業と捉えているから、いろんな問題が出てきているのだと思う。「教師を選べる学校教育は、『いろんな人間が集まる環境』を作らないだけでなく、���力低下、競争社会を激化するだけだと思う。
「サービス業、資本主義、消費社会」そうでない社会も世の中にある、という視座に立てる人間を育てるのが、教育なんじゃないだろうか。
今の子たちは、「消費者の権利」を、無遠慮に教育に突きつけてくる。「先生、これやって何の得があるんですか?」「何のために勉強するんですか?」「これだけやっとけば単位取れますか?」評価の絶対的存在が「教師」で、教師の望むものをいかに楽なエネルギーでこなしていくか(=いかに安いお金で高い価値のものを手に入れるか)に躍起になる学習方法をすればそれなりの結果を得られることを「学ぶこと」だと履き違えてる。だからこその彼女の目のあたりにした東大生の実態があるのでしょう。そこの根本、覆さなきゃ教育なんて変わりゃしないよ。「自分の好きなこと、よくわかんないけど楽しそうなもの(=無駄かもしれないもの)に、どれだけ熱を注げるか、そこに達成感得られるかっていう、消費や効率と真逆のベクトルにあるのが「教育」だと私は思う。
その3
雇用の多様化、労働の柔軟化をすすめるべきだ。でもその一方でそれは、貧富の階層化を避ける事が出来ない。
要は貧富の差、階層化を認めろってことだよね。
身の程わきまえて、持てぬものは持てぬままその階層を受け入れて、好きなように生きて行け、だって「好きなこと」をやって生きる生き方選んだあんたの自己責任でしょってことだろうか。
「偏差値競争の勝者も敗者もどちらも幸せにしない現在の教育システム」に危機感を抱く気持ちはわかる。「これではいけないという焦燥感は、現場にいれば痛いほどジレンマにとらわれる。
でも、彼女のやり方では、この本を読んだ限りでは、苦しさが移動しただけで、痛みが弱者に向ってしまうだけで、根本の解決にはならないと思う。
そもそも根本の解決なんて望むべきじゃないっていうか。
教育なんて、昔から教えてること、大きく変わってないんだよ。それを根本から変えるなんてほど、今の人間が頭よくってエライなんてことありえない。先人たちの積み重ねてきたもの亡き者にして、「いまのニーズにあってないから」って、何もかも変えてしまうのは、得策じゃない。「いまのニーズに合うもの」を安易に取り入れたのが「ゆとり教育」とか呼ばれるものでしょうが。
教育の効果が現れるのは、学んでから1週間後とか、そんな安易なものじゃないし、教えたことが同じように全員に浸透してくなんてありえない。だから面白いんだし、だから思いがけない発見があるんだし、だからわけのわからないものを学ぶ意味があるんだと思う。
要は、「根本から変える必要はない」。但し、機能不全に陥っているものを適宜点検して、修繕していきながら、今のシステムも大切にしていくのが…良いのではないかなぁと、私は思う。